○能ある鷹は爪を隠す
私のような学歴もない生まれつきの凡人は、自分の能力の低さをいつも認識していて、高学歴な時代ですから、出会う人全てが吉川栄治の「人みなわが師」の言葉通りに人の存在を絶えず上に見て生きてきました。その結果学歴はなくても学習歴を積んで、どうにか相手をしてくれる方々と会話が通じるまでになったのです。しかし最近は横文字が多くて、昨日の会議で主催者が話す言葉の中にも横文字が限りなく使われて、能ある鷹の爪を垣間見てしまいました。私は常々人間には4つのタイプがあると思ってその人の話を聞きながら観察して見るのです。①難しい話を難しくする人、②分かり易い話を難しくする人、③難しい話を分かり易く話す人、④分かり易い話を分かり易く話す人です。私にとって苦手なタイプは①型と②型の人です。「お前たちのような低能な人間に俺の話が分かってたまるか」と言わんばかりに、相手の見境もなく相手がだれであれ話すのです。鼻もちならないその話を拒否した人たちは聞いているふりをして居眠りという対抗手段で行動に出るのですが、その事さえも無視して自己満足している人を時々見かけたりするのです。それでも難しい話を難しくするのであれば世界が違うと納得もします。でも一番困るのは分かり易い話を難しく言うタイプです。これはカモフラージュ人間と呼ぶにふさわしい人で、なり上がりものに多いようです。「能なき雀爪を出す」という言葉を作ってみました。
私が尊敬するのは③の難しい話を分かり易く話する人です。このタイプで思い出すのは数学者秋山仁さんです。秋山先生は頭にバンダナを巻いた風変りな格好でテレビなどに登場していますが、一昨年国立大洲青少年交流の家で開いた「大人を考えるフォーラム」の講演に招きました。私が実行委員長を務めた役得をいただき随分身近な場所で出会わせてもらいました。数学者と聞いただけでアレルギーを起こしそうですが、先生は偉ぶる所が全くなく、むしろそこら辺にいるおじさんのように若者や私たちに接していただき、難しい数学を分かり易く話されました。先生はこれまで出会ったどの人よりも難しい話を分かり易く話してくれたのです。「大人を考えるフォーラム」は大成功でした。先生は最後にアコーディオンを弾いてくれました。子どもの頃から苦手だった音楽を大人になって練習し、ものの見事に克服した話は「やればできる魔法の言葉」のように若者の心に染みたのです。
さて④の分かり易い話を分かりやすく話す人とは一体誰か、はい「それは私です」と、かくありたい願いを込めて話すようにしています。私のような人間は残念ながら難しい話は分かりません。私の風貌からして難しい話をするようなタイプだとは百人中百人が思うのです。ですから話したり司会をする度に「どうしたら参加者に理化してもらえるか」一生懸命考えられるのです。多分能ある人から見るとまどろこしくも幼稚にも感じられるのです。「能のない雀は爪の出しようがない」という格言を作ってみました。私はぬある鷹ではないから隠す爪もないのです。
等身大でありのままに生きることを常に自分に教えてくれているのが、人間牧場にある人型パネルです。一昨年人間牧場で国土交通省主催で開いた観光カリスマ塾の折、事務局の小野さんに無理を言って作ってもらいました。写真は村上太さん、製作は加藤徹さんが担当して作ってもらいましたが、これが私の等身大への戒めとなっているのです。背伸びをしてもこの程度、化粧をしてもこの程度、あれから二年が経ちましたがこの程度なのです。でも持ったカバンと心の中に謙虚に生きながらも少しずつ知的コンテンツを蓄えてきましたが、「能ある鷹は爪を隠す」ではなく、「能なき雀ながら爪を隠す」ような人間になりたいと思うのです。
「能もなき 子雀ゆえに 出す爪も ないかも知れぬ 爪切り切った」
「難しい 話分からぬ 身分にて 分かり易くを 常に心得」
「欠点を 長所に変える 芸がある これも一芸 笑い飛ばして」
「等身大 自分のパネル 戒めの つもり時々 対話している」