shin-1さんの日記

○一日遅れの初詣

 年末年始にかけて風邪気味で外出を控えていたため、寒さが少し和らいだ今日の午前中家族で近所の氏神様に初詣に出かけました。まず最初に行ったのは同じ町内になる天一稲荷神社です。一昨年まで神社のお世話をしていたり、神社の新築や一部改築に殊の外深く関わった神社だけに、威風堂々神々しく見える社殿に深々と頭を下げて日頃のお礼や決意へのご加護を祈りました。この神社は暗算の神様としても知られていて、長男の子ども、長女の子どもが生まれた時も安産祈願をしてもらい、無事出産することができました。願わくば今回も長男の嫁の5月の出産が母子ともに安全でありますよう、家族全員で強くお祈りをしました。私のような人もいるのか正月二日というのに何人かの人がお参りに来ているようでした。

若松進一ブログ(天一稲荷神社の本殿にて)
 私たちは車で鳥居下まで車で来ていたため、その足で町の総神社と目される本郷の三島神社へ出かけました。この神社は海岸べりから450段以上の真っ直ぐな会談が続いているため、今の家族の体力では自信がないため、裏参道ともいわれる剣道と農道を走って社殿横に進みました。

 この神社の特徴は狛犬が亀の森とという地名のため狛亀になっていて、嫁も孫と一緒に珍しそうに見入っていました。早速狛犬ならぬ狛亀の前で孫の記念写真を一枚撮りました。

若松進一ブログ(狛犬ならぬ珍しい狛亀の前にて)
若松進一ブログ(三島神社本殿前にて)

 本殿の境内から見える瀬戸内の海は相変わらず北西の季節風が強く吹いていました。遠望はるかに伊予の子富士といわれる松山のごご島や釣島、松山飛行場を忙しく離発着する飛行機が見えました。やはり正月でしょうか、沖合いを走る船の姿は殆どなく時折走る客船の姿が見えるだけでした。

 明日になると様々な場所で様々な人の暮らしが元に戻り始めるため、この静けさも今日一日かも知れませ。

 私も少し回復した体調に合わせるように、妻から頼まれていた大きなブリを外の流し台を使って大きな出刃包丁で捌いてやりました。出流しにした水は冷たく背筋に堪えましたが、この一週間風邪を理由に家事一切を手伝わなかった報いだと諦め、気合を入れて調理しました。

 午後には警察官の三男も帰ってきて、わが家は大賑わいです。もう2日すれば娘の家族もやってきます。それまでには何のとしても体調を整えておきたいものです。

若松進一ブログ(天一稲荷神社境内からの冬の瀬戸内海遠望ー松山市沖合い)

  「早二日 あっという間に 過ぎ去って 焦る気持ち さらに追い打ち」

  「元気孫 生まれるように 手をあわせ 祈る爺婆 それしか出来ぬ」

  「今年こそ 元気お願い 頼みます 他力本願 百も承知で」

  「おめでとう お互い会釈 繰り返す 田舎の神社 懐かし顔が」

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shin-1さんの日記

○敬虔な祈り

 風邪で気分が優れないからといって、休む訳にいかないのが新春の迎春行事です。といっても漁業をしていた昔のように様々な海にまつわる神様に禊までしてお供えやお神酒を備えるような厳格な神事はしませんが、家や体に染みついた民族学上貴重な風習は私の代だけでもと思って続けていましたが、さすがにそれも持ちこたえられなくなって、簡素簡略な神事に終わってしまいますが、それでも年に一度正月元旦だけは当主である私が厨房に立って雑煮を作ったり神仏への迎春儀礼をおこなうのです。

 元旦は午前4時に起床しました。洗面所で若水を汲んで顔を洗い口をすすいで準備万端整いました。物音に気付いた妻は風邪気味の私の体を気遣って無理をしないようにもっと明るくなってからでもいいのではと小言を言いましたが、こればかりは譲れないと冷気漂う寒い厨房でお雑煮を作りました。そして出来上がったばかりのお雑煮を神様棚や水神様などの神々に供えお光を点けて祈りを捧げるのです。仏様には焼いたお餅に生醤油を一滴垂らして供え、お茶とと線香とお光をあげて祈りました。

 そうこうするうちに、居間のストーブも温たかさが増し、二階では早くも1歳4カ月になる孫希心君の走り歩きの音が聞こえてき始めました。わが家の後取りである孫の存在は想像以上に嬉しいもので、孫の足音や鳴き声や笑い声一つで家の中が活気に満ちあふれたように感じるのです。

 今年の正月は親父も元気なので気分の良い日に親父、私、長男、孫と4代4人の長男が揃った記念写真を撮っておこうと思っています。私たちのようにデジカメで毎日写真を撮っている人間は何故かあまり自分の身の回りに写真を飾りませんが、親父も息子夫婦も、ましてや妻もやたらと写真を飾るのが好きで息子などは家中記念写真だらけなのです。私など人に見られるのは恥ずかしいと思うのですが、まるで写真館にいるようなのです。

 その内家族全員がそろった所で私が再び厨房に立ち、要望の餅の数を聞いて雑煮を作ってやりました。今年の餅の大きさはやや小ぶりなので全員2個でした。おせち料理を今に運ぶのも、雑煮を椀に入れて運ぶのもこの朝ばかりは私の仕事と決めてかかっているのです。

 外は強風が吹き荒れ、日本列島はまるで冷蔵庫へ入っているような寒さだそうですが、わが家は穏やかな新年の幕開けです。今年もいい一年でありますようにお互いが決意を述べあいました。妻は家族の元気、長男は仕事に頑張る、長男の妻は5月の出産で元気な赤ちゃんを産み二人の子どもを育てたい、私はもう少し頑張ることを話しました。そして家族全員に、90歳を超えた親父をみんなで大事にしてやって欲しいと頼みました。人間仕上げが肝心なのです。

 今晩は病院に勤める次男が夜勤明け、明日は年末年始で休みの取れなかった警察官の三男がそれぞれ帰ってきます。今年も若松家につながる、そして私につながる多くの人々が幸せでありますように祈ります。


  「とりあえず 家族それぞれ 始まりて 神仏祈る それぞれ幸せ」

  「共通の 願いはやはり 新生と 老命ともに 力尽くして」

  「この風を 起こす自然の エネルギー 見習い新風 吹かせたいもの」

  「神仏に 頼らず生きる 生き方が できる人ほど 神仏信じ」 

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shin-1さんの日記

○悪魔の声と善人の声の狭間で

 「正月は冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし」とはよくいったもので、「もう幾つ寝るとお正月」と指折り数えて正月が来るのを待った少年時代とは違い、どこか白けて気持ちになるのはやはり加齢のせいなのでしょうか?。昔はそこら辺でよく見かけた駒遊びや凧あげに講じる子どもの姿はいつの間にか姿を消してしまい、子どもに代わってお爺やお婆の手押し車を押す姿が、どこか暗い影を引きずりながら歩いているのです。私たちが青年時代に高齢化社会の先進事例として北欧の福祉施設を映画で見ましたが、他人事、他所の国の出来事と思っていたことが今現実に起こっているのです。

 一方仕事につけば終身雇用と思っていた日本でも、いつの間にか聞こえの良い契約社員雇用がまかり通るような世の中になっていました。100年に一度といわれる世界経済の同時不況の中で職を失い、失おうとしている姿を見るにつけ、政治も経済も企業も結局は保身のことしか考えていないようだと思いながら、ゆく年くる年の除夜の鐘を聞き、新しい年を迎えました。さて私たちのように小さい力では解決できないこれらの大きな問題を前に果たして何をすればいいのでしょうか。

お前の考えることではない。お前は自分の目の前のハエを追っていろ。

お前のような貧乏人に何ができるか。施しは冨のある人がすることだ。

お前がいくら考えても世の中は変わらない。世の中はなるようにしかならない。

世の中はそのうち良くなる。慌てることはない。

世の中はそんなに甘いものではない。努力しない人まで助ける必要はない。

世の中はこんなものさ。多分今までもそうだったしこれからもすなる。

人や世の中を信じるな。人や世の中は冷たいもの。

人や世の中は見てくれはいい。でも本心は絶対違う。

人や世の中は隣に蔵が建ったら腹が立つ。人が不幸になると嬉しいようだ。


 心の隅のどこからか悪魔のような声が聞こえてくるのです。しかし心の隅のどこからか「お前は何をしている。今こそ立ち上がって行動すべきではないか」と善人の声もかすかながら聞こえてくるのです。始めて嘘を言った時、わが心の隅に住んでいる善人からお前は悪いやつだと随分ののしられました。それ以来嘘を言うことを止めました。母親の財布からお金を黙って取った時も嘘をついたと時と同じようにしかられ、それ以来二度と人のものに黙って手をつけることをしませんでした。

 心の隅に潜む悪人の声を聞きじっと見ているべきか、善人の声に耳を傾け何かの行動を起こすべきか、凡人たる凡人の私は今も悩の淵に勇気もなく立っているのです。

  「寒いけど 風除けあって 幸せだ この寒空に 明日とてなきは」

  「アリさんは 熱い夏にも 働いて キリギリスなど 見・て・ご・ら・ん(黙・涙)」

  「善人と 悪人声が ぶつかって どちらが勝つか 生き方決まる」

  「六十五 驚くような歳になる 今年も進化 道を辿りつ」

  

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shin-1さんの日記

○2009年の始まり

 マラソンに例えれば息も絶え絶え、やっとの思いでゴールにたどり着いたという感じの2008年でした。気力はまだまだ衰えてはいないはずだのに気力と体力のギャップが少しずつ広がりつつあることも実感しました。さらには疲労というものが学びや経済と同じように蓄積することも少し分かった一年だったようです。

 今年は年頭にあたりどんな夢を描けばいいのか、これまでのように大きな夢を描かず概ね5つくらいを具体的に実行しようと考えています。

 まず1つ目はありきたりの目標ですが健康です。妻からも厳しく言われた働き過ぎを自重し健康健康に特に気を配りたいと思います。そのためには一日4時間だった睡眠時間を一気に6時間に増やす予定です。40年を超えて培った深夜12時就寝・早朝4時起床のバイオリズムはそう簡単には治りませんが、昼食後の午睡などを増やして睡眠をたっぷりとることにします。食べ物は私の場合家の食事が中心なので問題はありませんが、運動が不足がちだということははっきりしているので、ラジオ体操とか柔軟体操に力を入れたいと思っています。


 2つ目は知的レベルのアップです。愛媛大学農学部での役割もほぼ決まり、この一年間は忙しくも自分を試されると思われるので、学歴のない私は折に触れて学習歴を積んで行かなければなりません。幸い教育環境にはすこぶる恵まれているようなので、読書や全国行脚、それに人的ネットワークを駆使しながら、学びの心を忘れないようにしたいと思っています。

 3つ目は地域貢献です。これまで様々な分野で私なりに地域のお役に立つことを基本に生きてきました。これからは自分たちに続く人たちへの応援とでもいうべき人づくりもしなければなりません。また地域の自立に向けた支援の在り方も検討しながら、少し軸足を全国や愛媛県、松山市からわが住む地域に移したいと思っています。生まれてからこれまで自分から見ると広がりを示す<印でしたが、これからは自分に帰ってくる>印に置き変える発想も必要なのです。

 4つ目はやはり人間牧場の完成です。釜戸小屋ができればほぼ完成するので、釜戸小屋の建設に取り掛からなければなりません。息子に設計を頼むととんでもないことを考えるので、自分で絵を描き息子と合作することを考えています。この一年で投資費用も何とか工面が付きかけたので、少し暖かくなったら着工したいものです。と同時に今年は人間牧場を使った新しいメニューも目白押しなので想いをこめて頑張りたいものです。

 5つ目は1月に出す予定の「夕やけ徒然草・水の書」に力を入れると同時に、落伍をとおして水の書の話芸も極めなければなりません。これまで書きためたものを整理して一冊の本にしたいとも思っていますが、はてさて文字は記録に残るだけに頃してかからなければなりません。

 目標を立てると目標が夢となり、夢の実現に向けて努力する。これが私のこれまでのパターンでしたが、少し肩の力を抜いてのんびりと生きてゆきたいと思っています。


  「気がつけば 目標作って 動き出す 長年の癖 未だ治らず」

  「書いてみて 始めて気づく 健康の できそで出来ぬ 手に入れる技」

  「のんびりと 暮らそいいつつ 口の下 乾かぬうちに 予定書きこむ」

  「神棚に お光灯し 手を合わせ 家族の健康 深々祈る」 



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