shin-1さんの日記

○勤勉は成功の母

 昨日も今日も、24時間という決められた一日が絶え間なく繰り返されて行きます。その一日の営みをただ漫然と過ごすのと、少しだけ思いを持って過ごすのでは一ヵ月、一年と積み重なると、これはもう大きな違いとなって人生に跳ね返ってくるのです。ささやかな時間でもいいからとにかく想いを持って一つのことを成就し続けたいと、多くの人は気軽に思い気軽に始めるのです。朝早く起きてラジオ体操をしたい、毎日日記や家計簿をつけたい、毎日少しでいいから貯金もしたいなどと誰もが考え行動するのですが、人間の体に住んでいる怠慢な心は、「一日くらい休もう」というネガティブな命令を脳に出して、結局は長続きせずに止めてしまうのです。

 考えてみれば私の少年時代も多分そうだったように思うし、その怠慢な心が今の自分を作ってきたのだと深く反省や諦めもするのです。しかし私は社会人になったころから、その慢心を戒める行動的な人間になりました。人から見れば他愛のないことですが、小さな目標を立て、それを続けて習慣化する訓練をしてみたのです。その一つが自らは発想し深く関わったシーサイド公園という道の駅の海岸掃除でした。このことを思いついた理由は幾つもありますが、「掃除もできない人間はまちづくりを語る資格がない」とある偉い人からいわれた一言でした。掃除くらいなら俺にでもできると思ったのは当然かも知れません。私はその日から毎朝5時に起きてシーサイド公園の人工砂浜に行き、役場へ出勤するまでの一日三時間、掃除をすることにしたのです、しかし一日三時間というけれど、また掃除くらいというけれど、これは大変なことを始めたと、一週間目に早くも心が揺らぎ始めたのです。仲間は「掃除くらいでまちづくりができるものか」とか、「ええ格好をして、今に止めるだろう」と冷ややかな目で見ていました。正直言って多分そうした他人への「何くそ」という反発がなかったら、止めていたかも知れないのです。

 でもその「何くそ」が大きな力となってそのうち肩の力が抜けて、一日三時間の掃除を一年一年と積み重ねて何と十二年間もやったのです。シーサイド公園が成功したかどうかは別として勤勉の積み重ねは私の大きな自信となり、傍目の信用も随分勝ち得ることができ、そのことが私を国土交通省選定「観光カリスマ百選」に選んだのです。これはもう成功といえるもので「勤勉は成功の母」という言葉ぴったりの出来事ではないかと多少胸を張るのです。

 冬の凍てつく寒さの中での海岸清掃は容易ではありませんでした。また夏の海水浴シーズンのゴミも半端な量ではありませんでした。でもネガティブに考えずポジティブに生きた結果私は掃除というかけがえのない行動で大きな自信と信用を得ることができました。

 勤勉、それは誰にでもできそうでできない人間行動の積み重ねです。まさに平凡も続ければ非凡になることを物語っています。これからも続けることに生き甲斐を見出し生きることは勿論ですが、そのような勤勉な人を育てることもしたいものだと思っています。


  「成功を したかどうかは 分からぬが 勤勉だけは 一生懸命」

  「掃除とて 十年以上 続けると 非凡となって 値打ちを作る」

  「平凡と 非凡はほんの 紙一重 たかが掃除で カリスマ認定」

  「砂浜で 雪のちらつく 日もあった 過ぎてしまえば 懐かし日々が」

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shin-1さんの日記

○友人からもらった千代紙の小物

 日本には和文化と呼ぶにふさわしい物が沢山あります。しかしその殆どは知られることもなく忘れ去られていて、多分このままだと廃れていくのではないかと思われるのです。昨日女性の友人に会ったら、それは綺麗な和紙でできた手作りのティッシュペーパー入れをいただきました。私が無造作に背広のポケットからティッシュペーパーを出して口元を拭いているのを見て、「若松さんこれ私が作ったの。使って」と手渡されました。最初はラブレターでは?と思い一瞬ドキッとしましたが、「何だティッシュペーパー入れか」と少し落胆しました。手に取ってみるとこれが千代紙でできているのです。

 私は子どものころ千代紙を見て、「何て綺麗な紙だろう」と、その幾何学模様に不思議な魅力を感じたものでした。しかし凡人の凡人たるゆえんでようか、それ以上の詮索をするでもなく今日まで過ごしてきました。昨日和服を着た友人からティッシュペーパー入れをもらって、再び子どもの頃の思い出が蘇ってきたのです。

 千代紙とは和紙に色々な模様を木版画で色刷りした紙のことで、その発祥の時期は定かではありませんが、京都の公家文化から生まれたことは確かなようです。公家たちは上質な和紙に肉質で模様を描いたり吹きぼかしなどをしたり、木版で模様を刷り込んだりした模様紙を進物の上掛け紙や小物の包み紙にして使っていたようです。そうした風習は江戸時代大奥や大名家に伝わり、江戸でも千代紙が売られ、浮世絵版画の技術が千代紙にも利用されて一気に庶民文化として広がりました。

 何で「千代紙」というのかインターネットで調べてみると、元々千代紙の模様には鶴亀や松竹梅などめでたい柄が多く、長い年月を意味する「千代」というめでたい言葉が使われたという説や、千代田城(江戸城の通称)の大奥で使われたという説、この紙を好んで使った公家の千代姫の名前からとったという説があるようですが、残念ながら分からないそうです。京都で始まり江戸で発展した千代紙は今でも、京千代紙と江戸千代紙の二つの流れがあるようですが、双方の違いは図柄だそうです。京千代紙は染織物のモチーフである草花を基調としたものが中心で、江戸千代紙は江戸の風土から生まれた歌舞伎や芝居、役者紋づくしなども見られるようです。

 和紙でできている千代紙は美しいだけでなく軽くて丈夫なため、姉様人形や小物入れ書物の装丁など使い方も様々です。私は青年の船でアメリカやメキシコへ行きましたが、その折も日本文化を紹介する意味から沢山の千代紙を持って行き、外国人にとても喜ばれました。今は印刷技術の普及によって機械刷りが殆どで、安く手に入るようになりましたが、ラッピングや、箸置き、妻楊枝入れなどに使うと、その場の雰囲気が一気に格調高い日本文化に生まれ変わるのです。

 ティッシュペーパー入れを私にくれた女性は何かにつけてこんな小さな気配りをしていて、妻に見せると先日彼女から千代紙で作った名刺入れと素朴な布地で作った名刺れをいただいていて、箪笥の引き出しから出してくれました。私には「似合いそうもないので」と軽くいなされましたが、いやはや日本にはまだまだ知らない良さがたくさん残っているようです。

  「千代紙で 作ったチリ紙 入れ小物 どこかお洒落で 俺にゃ似合わぬ」

  「千代紙の 模様眺めて アメリカ人 ワンダフルだと 褒めた昔を」

  「千代紙の 模様見てると いつまでも 飽きも足らずに 机上広げて」

  「和文化も このまま廃れ ゆく定め 寂しかりけり 千代というのに」

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