shin-1さんの日記

○大学は不思議なところ

 愛媛大学農学部に客員教授として通うようになって1ヶ月半余りが経ちました。慣れない大学は肩ぐるしいと思いきや不可侵の原則があって、用意された実験室のような研究室の部屋に入ると学内とはいいながら完全に他の場所と遮断され、人の気配さえも感じないのです。パソコンを一台用意いただいたので、思いつくままにパソコンで色々な資料を作っていますが、はてさて3月までに成果物を出さなければならないノルマの程度がどんなものかも分からぬ作業に多少不安を感じながらとにかく月曜日と木曜日出勤簿に判を押しに行っているのです。

若松進一ブログ

 本館5階529号室の部屋のドアには事務局の方が用意してくれたのでしょか、いつの間にか表札のような名前が貼り出されていました。「社会人の学び直しニーズ対応教育推進事業・客員教授若松進一・客員准教授山内敏功」と書かれて、この部屋の住人が誰だか分かるようになっているのです。

 昨日は農学部の教授会があって、私は事務局から教授会に出て就任のご挨拶をするよう勧められました。午後2時からの会議の冒頭、泉学部長さんが私の紹介をしていただき、私も軽く自己紹介をして会場を去りました。

学部長さんから「双海の夕日によるまちづくり」や「元双海町教育長」と紹介をされましたが、これはもう過去のことなので、人間牧場主としての活動やその後の私の評価とは少し違っているので、これからは過去よりも今や未来をどう生きるか紹介してもらえるよう頑張って御役に立ちたいと思っています。

 教授会から帰って部屋に入るといきなりドアをノックする人がいました。「どうぞ」というと出会ったこともない初対面の人でした。その人は今治の人らしく「ローカを歩いていると若松進一という」表札が目につきました。ひょっとして夕日で町おこしをしたあの有名な若松さんですか」と持ち上げるのです。何が何だか分からぬまま、まあお座りなさい」といって椅子を用意しました。実は最近この部屋を訪ねて来る来訪者が多くて、事務局の方に椅子を3つばかりご用意いただきたい」と頼んでおいた椅子が昨日のうちに運び込まれていたのです。


 私は「県庁に所用があってこれからら出かけるので」といえば、「私を県庁まで乗せて行って下さい」と頼まれ、見ず知らずの人を乗せて県庁まで送りました。降ってわいたような話や車に乗せることも、まちづくりの世界ではよくある話なので、別に気にも止めませんでしたが、昨日は折から降り出した雨のせいかどんよりしていて、不思議な出会いでした。別れ際「近々今治に来る機会はありませんか。一度あなたの講演を聞きたいのですが」といわれ、「はい、私は2月15日に今治の公会堂で老人クラブの研修会に講演を頼まれていますので出かけます」と話せば、「必ず伺います」といって、雨の中へ消えて行きました。

 大学の構内で先生が殺された話はショッキングな出来事として報道されていますが、確かに大学という所は無防備で不思議な世界です。愛媛大学法文学部にはもう6年間も通っていますが、学内には溢れるばかりの学生がいて、「ああ大学」って感じがしますが、農学部は学生の数も少なく静かな印象です。これからもう少し大学とい不思議なところをウォッチングしてみたいと思っています。


  「私には 縁もゆかりも ない世界 思っていたが 出会い始まる」

  「元の名で 紹介されて 戸惑った 昔の名前 とうに忘れた」

  「不可侵の 世界私に 与えられ パソコン相手 雨の音のみ」

  「椅子欲しい 明くる日部屋に 椅子三つ 届く丁寧 嬉し恥ずかし」 

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shin-1さんの日記

○論に負けても理に勝つ

 私は若いころ、病気になったことが原因で転職を余儀なくされ、それまでやっていた漁師を断念して役場に勤めることになりました。若さにものを言わせて青年団活動に夢中になって夜更かしし、殆ど寝ないまま早朝に出漁するという寝不足と働き過ぎが原因で病気になったのです。役場に入った駆け出しのころは、青年団で培った実践と理論を武器に配属された公民館で、水を得た魚のように思う存分働きました。

 しかし、世の中はそんなに甘くはなく、行く先々で自分の非力を認めざる得ないような出来事に出合いました。それでも一つ一つ、一年一年目の前のハエを追うがごとく努力した結果それなりの成果をお納め、県公連主事部会長になったり、青年の船班長としてアメリカに渡ったりしながら地道な努力を続けた結果、10年目に輝かしい全国表彰を勝ち得ることができたのです。

 私が主事部会長をしていたころ県外研修という制度があって、県下の代表主事さんを引率して、武者修行の旅に出ました。向かった先は静岡県と埼玉県でした。そこで出会った静岡・埼玉の主事さんたちの理論は相当ハイレベルで全員がかかっていっても軽く転がされるほどの落差でした。その当時公民館の世界では東の静岡、西の愛媛と持て囃されていましたし、私たちもある意味胸を張っていたつもりでした。「行動こそ最大の武器」と思っていたのに、彼らは既に「理論と行動の一致」のレベルだったのです。鼻をへし折られた私は帰るとすぐに主事さんたちの頭脳改造に取り組み始めました。いわゆる理論武装です。


 当時愛媛県には条例設置公民館が366館ありましたが、その全ての事業を経営評価することにして調査を試みることにしましたが、これは内容を明らかにされたくない現場の館長さんや主事さんの猛反対に遭いました。それでも説得し実行しました。その結果公民館の②学習や学びの援助事業は相当高いレベルにあったものの①問題を知らせ提起する事業や、③学習の組織化事業、④ボランティア事業などにおいて低いレベルであることが判明したのです。その結果を受け①、③、④の強化に取り組んだ結果、大きな成果を得たのでした。以来愛媛の公民館は理論においても他県に負けない自負が生まれましたが、逆に実践が弱くなるという方向に進んだことは皮肉なことでした。


 理論と論理という言葉があります。理論も論理も同じように聞こえますが、理論は学びで得た知識です。論理は実践から生まれた知恵です。「論」と「理」はどちらがよいかは甲乙つけがたいのですが、私たち実践家から言わせれば、どんな学習から得た知識よりも実践から生まれた論理は勝てると信じているのです。「論に負けても理に勝つ」とはそのことだと思い、これからも実践に意を注ぎ、実践から生まれた論理をしっかりと積み重ねてゆきたいと思っています。

 内よりも増して一番は論にも負けず理に勝つ」ような人間でありたちと思っています。

  「論と理は どちらが勝つか 尋ねられ どちらも大事 両方目指す」

  「実践で 言葉編み出す 生き方を 長年やって やっとここまで」

  「世の中は 上には上の 人ありて 目指せど先は 果てなく続く」

  「希望燃え やった昔が 懐かしい 幼稚だったが 仲間とともに」

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