○三人寄れば文殊の知恵
最近になって自分の考えが古いことに時々気がつきます。「今頃になって気がつくようでは遅い」と言われそうですが、特に若い人と話したり行動したりすると気力も体力も行動力もついて行けないばかりか、知識を知恵に変えることすらできないのです。
私はふたみシーサイド公園を造った折、砂の流れを止める手段として建設省にお願いし65メートルの突堤を造ってもらいました。そしてその突堤に恋人岬という名前を付けたのです。その岬の突端に高さ4メートルのオブジェを作りました。3年間もかかって太陽の沈む方向を見定め、自らが現場監督をして難産の末出来上がったオブジェは春分・秋分の日に穴の中に夕日がすっぽり入る、私の秀作アイデアでした。当時は人気を呼んでいましたし、今もサンセットロマンティッククリスマスなどでイルミネーション装飾を施し若者のデイトスポットとなっているのです。しかしシーサイド公園もオープン以来15年が経過すると目に見えない陰りのようなものを感じるのです。
若者たちもそのことを感じていて、何かにつけてシーサイド公園の活性化をと意気込むのですが、市町村合併や指定管理者制度などの時代の流れとのギャップ的逆流で苦労しているのが事実なのです。しかし手をこまねいていては何もできないと、若者たちが立ち上がって「恋人の聖地百選」にも選ばれ、その記念イベントも斬新なアイディアで挑戦してくれたおかげで、少し新しい兆しが見え始めてきたようです。
彼らの手順は私たちと根本的に違っていて、三人寄れば文殊の知恵的な発想で、様々なネットワークを使って新しい発想を生もうとしているのです。既に第二弾、第三弾のイベントも企画されていて、それがインターネットという新しい情報媒体に乗ってターゲットにしている若者の心をとらえようとしているのです。
今の若者にはかつての青年団のような地域を場とした出会いの場は皆無です。でもこちらが仕掛けると企画次第で多くの若者がまるで一本釣りのように出会いの場を求めて集まってくるのですから驚きです。
文殊菩薩は知恵を授ける仏様です。しかしどんな立派な文殊菩薩でも、凡人と言いながら3人の寄せ集めた知恵には叶わないほどの値打ちがあるのです。これまでの地域という縛りを中心にしたやり方だけでは人も集まらず、いい企画も生まれないのです。夕焼けコンサートにしろ、恋人企画にしろ、今まで見たこともないような若者がそれぞれの持ち場で働き、トータル的な知恵に発展させて成果を収める手法は、これからの本流かもしれません。いやいや名を連ねて仕方なくやるものからは次につながるものは何も生まれてきません。やりたいからやる。楽しいからやる。そこには輝いて生きてゆきたいという今も昔も変わらぬ人間の本能が見え隠れするのです。
時代は変わっているのに変わっていないことがいっぱいあります。私たちはそれを変えてはならないことと勘違いしていたことがいっぱいあるようです。時代は変わった。でも「三人寄れば文殊の知恵」という故事ことわざはむしろ新しい教えとして今に蘇らせててゆきたいものです。
「変えちゃダメ 何をそんなに こだわるの 俺らの出番 既に終わりて」
「変わっても 変わらぬ教え 蘇る やり方ひとつ 地域元気に」
「変わらぬは 行政それに 古き人 任せてご覧 上手くいくはず」
「何のため そこが一番 大事です 金がなくても 文殊の知恵で」