shin-1さんの日記

○金は天下の回りもの

 私のようなお金に余り縁のない人間にとって、暦の下に書いてある「金は天下の回りもの」という故事ことわざはどういう意味を持っているのか、首をかしげながらブログを書いています。ひょっとしたらこの言葉はお金のない私のようなもののためにある言葉かも知れないと思うと、わが意を得たり急に力が出てくるのです。自分の懐に今はお金がないが、そんなに深刻になるな、そのうち私にもお金が転がり込んでくるかも知れないのです。妻はそういいつつ今年も当たる当てのない宝くじを買ったもののものの見事に当てが外れ、「お父さん2億円当たったらどうしよう」なんて夢みたいなことをいって、私に少しだけ期待を持たせたことも忘れて、今度こそはと意気込んでいるのです。

 しかし、「金は天下の回りもの」という言葉は本当だと思います。これは妻に内緒の話ですが(絶対に言わないようにしてください)、実は人間牧場に釜戸小屋を作る次の計画が自分の頭の中で浮かんでいます。設計をしている息子に予算をはじいてもらったわけではないのですが、総工費は30万円くらいいるのではないかと腹積もりをしています。さてこの計画を実行に移すにはまず予算の30万円を確保しないとスタートできないのです。ところが昨年の秋あるところから原稿の依頼が舞い込みました。普通原稿はタダのところもあるのですが、最近はきっちりと原稿料を払ってくれる奇特は情報誌や団体もあるのです。原稿の量は少し長めの400字詰め原稿用紙50枚ということでした。私は秋の忙しいころにその原稿を書きあげ相手の所へ送っていました。それ以来すっかりその原稿がどんな雑誌に載るのかも忘れていましたら、年末になって私の原稿が掲載された雑誌が手元に送られてきました。中々綺麗な仕上がりで原稿を書いたことを喜んでいましたが、それでも原稿料など「どうせ薄謝だろう」と気にもしていなかったのです。

 年末も押し迫ったころ私のもとに振込通知書が届き、見た私は驚きました。本来なら手紙類はまず妻がポストから取り出して仕分けをして私に渡してくれるのですが、その日に限って私が家にいたためその仕分け作業を私が行いました。ということは妻はこの振込事実を知らないのです。「しめしめこれはチャンス、人間牧場の釜戸小屋整備計画の資金になる」と、内心ドキドキしながら妻に内緒で今日を迎えているのです。まさに私の頭に「金は天下の回りもの」という言葉が渦巻き始めた一瞬でした。

 妻とは結婚して40年近くになりますが、私の嘘は必ずどこかでばれるのです。多分今回の臨時収入もつじつまが合わなくなってどこかでばれるのでしょうが、まあ春の夜の淡い夢だと思ってもう少しの間内緒にしておきたいと思っているのです。

 わが家はマイホームの新築や4人の子育て、それに教育と安月給ゆえに貧乏な暮らしを強いられてきましたが、どこかつじつまがあってどうにか今日まで経済の荒波を乗り越えることができたのも、やはり「金は天下の回りもの」という経済哲学でした。年金暮らしになったこれからは、そんな余分なお金が天下の回りものとなることは殆どないと思われますが、それでも貧乏人故そんな淡い期待を持ちながらこれからも暮らして行きたいと思っています。


  「うわ嬉し 妻に内緒の 振り込みに ハラハラドキリ 夢は果てなく」

  「金なんて 明日があるさ 明日がある 気楽なものだ 貧乏人は」

  「隠してる いつ言われるか 分からない こんな小さな 一喜一憂」

  「私にも 当たる権利が あるのだと 今年も予定 妻宝くじ」

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shin-1さんの日記

○大分へ行ってきました

 今朝は朝5時に起きてわが家を出発し、夕やけこやけラインこと国道378号をひた走り、保内町から国道197号を通ってフェリー発着場である三崎を目指しました。黎明の佐田岬半島は車の通行量も少なく、加えて少し曇り空で風もなく穏やかでした。2時間もあれば出発30分前に到着するだろうと目算を立てていましたが、1時間半ほどで到着し、しばらくの間暖房の効いた自分の車の中で仮眠を取りました。

7時になるとい夜が明けていつの間にか始発便に乗るであろうトラックや乗用車が2列ほど乗船を待っていました。私もその人たちに交じって切符を買い求め、少し早くに船に乗り込みました。今日の宇和海や豊後水道は冬とは思えないほど海も穏やかで佐賀関までの70分、他の客と一緒に船室に横になって仮眠を取りました。このルートは船賃も安い(往復2千40円)し時間も短く、最近私は度々利用するルートなのです。

 佐賀関の港には、大分県日田市大山町の緒方さんから依頼を受けた佐伯市上浦活性化センター「里の駅しおさいの里」営業部長の川本さんと二人の女性職員が迎えに来てくれていました。あいさつもそこそこ車に乗り込み、楽しい話をしながら大分市内に向かいましたが、上浦は岡崎さん始め知人友人も多く、初対面とは思えないような砕けた話をしました。

若松進一ブログ

 この日の集会は緒方さんが会長を務める大分県里の駅ネットワーク協議会の研修会なのです。旧大山町の緒方さんとはもう30年来の旧友で、元大山町役場に在籍していたころからの親友です。今は響の里の総支配人として存分の活躍をしているようですが、最近体調を崩しているようでした。でも今日はすっかり良くなって会場となったアイネス(大分県消費生活・男女共同参画プラザ)で元気に私を迎えてくれました。

 さて里の駅というのは大分県には30を超えるほど沢山あって、まあ私たち流に考えれば道の駅のようなものだと解釈して、約2時間弱の話をさせてもらいました。昨日緒方さんから私に携帯が入り、「演題をどうしよう」「適当につけておいて」なんてやり取りをしていましたが、緒方さんが選んだ演題は「しずむ夕日」ならぬ「昇る夕日でまちづくり」でした。さすが彼らしく私の頃を見抜いて演題をつけてくれたと喜びました。

 この日の出席者はどことなくおとなしい人が多く、物静かでしたが、その分集中して話をすることができました。講演が終わって民さんと一緒に近くの和風レストランに会場を移し楽しいおしゃべりをしながら交流を温めました。


若松進一ブログ

 今日は行き帰り送迎でお世話になった河本さんたちと色々な話をしました。私も若いころ講師の方の送迎を盛んに行い、講演では聞けない裏話を随分聞いたことを思い出しました。河本さんが営業部長を務める佐伯市上浦活性化推進協議会も、かなり厳しい経営を強いられているようで、合併後の大きくなった行政との関係や、里の駅の役割について随分意見を交わしました。河本さんはポジティブな方で、好感の持てる人でしたし、再会を約束して佐賀関港で分かれました。午後2時発のフェリーに余裕を持って乗ることができました。折から心配していた雨がポツポツ降りはじめました。フェリーに乗船して間もなく旧友である佐賀関社会福祉協議会の渡辺又計さんに携帯をかけました。本当は彼とも出会いたかったのですが、今晩は人と会う約束が、明日は大学で教授会が予定されていて先を急いだため結局は声の交流だけとなってしまいました。

 こうして行く先々で人と巡り合い、人と交友を深めながら暮らしていると、海を隔てた隣の県ながらまるで親類へ来たような親近感を持つのです。緒方さんといい、渡辺さんといい、新たにこう悠の輪が広がった河本さんといい、大分も温かい人がいっぱいいて、とても幸せな1日でした。


  「愛媛から 豊後水道 ひとまたぎ 隣の県で 日帰り仕事」

  「旧友と 呼ぶにふさわし 人ありて 今も昔も 変わらず出会う」

  「お互いに 脛に傷持つ この身にて 無理は出来ぬと 友をいたわる」

  「もうそこに 春の足音 聞こえそう 豊後の海に そんな予感を」 


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