○病院へ行った帰りに薬局へ立ち寄るとは?
私の町の上灘地区には、昨年末に医院の梶原先生が亡くなって病院が閉鎖されたため、親父は7キロ離れた下灘診療所へ週に一回程度通っています。私も年末年始風邪をひいたため隣町長浜の城戸岡医院へ診てもらいに行っています。この医院の院長さんが妻の妹の旦那、つまり私の義理の兄弟のおいということもあって、妻は時々通院しているようですが、私は今度の風邪で初めて病院を訪れました。
今日で通院三回目となりましたが、二回目に注射した以外は薬をいただいて帰るだけなのです。それでもその効果があったのか随分回復してきました。実は長浜に村上薬局という顔見知りの薬局があって、昨年伊方町の塩崎さんに頼まれてシンポジウムに出かけた折、「直ぐに治る風邪薬が欲しい」と駆け込んでもらった薬がとてつもなく効いて大任を果たし、その上風邪に効くからと薬を家まで届けてもらった経緯もあるものですから、医院で風邪薬を貰ったのに、医院の帰りに村上薬局へ立ち寄りました。ご主人はPTAの副会長をしていてあいにくどんど焼きや凧あげのイベントで留守でしたが、奥さんがご主人に電話をして顔を見せに帰ってくれました。
世間話をしながら、「明日は久万高原町の成人式でお喋りをしなければならないので」、何としても風邪を治さないとなどと話したところ、特効薬というのを出してくれました。「若松さんこの薬は効きます」という漢方薬をお店で飲ませていただき、しかも買ったマスク以外はお金を払わずタダで処方してもらったのです。
「出世払いか」と思いつつ、「えっ、俺はもう出世なんかしないので出世払いもないもんだ」と、身も心も温まって粉雪舞い散る海岸沿いの道を帰ってきました。
今日は新聞に一枚の広告が挟んでいました。「目の前が海」「シーサイド双海」土地分譲」「この風景と過ごす時間が私の日常を変えた!」「1平方メート18,200円より」などというタイトルが目立ちます。中には「黒潮の香り漂う海岸沿い」などと、黒潮でもない瀬戸内海をオーバーに表現した文字も目立ちますが、「土地分譲」「マリンレジャーの拠点に」など双海町に土地を求めたいという人の願いがほぼ一枚の広告に収められていました。
地図を見るとシーサイド公園から約4キロ西に行った魚吉という料理屋さんのすぐ隣の土地のようです。最近造成工事が始まっていて、何ができるのか地元の人の関心事でした。まあ双海町という町の魅力を民主導でPRしていただく訳ですから、善良な人に買い求めていただくことを望んでいます。
最近は私が人間牧場を造って盛んに情報発信していることもあって、「海が見え、夕日が見え、飛行場から1時間圏内でいい物件はありませんか」とよく尋ねられることがあります。しかし残念かとに双海町では水が少ないことがネックになって中々いい物件に巡り会えないのです。病院からの帰り際、広告の場所を通りましたが、既に見学会が予定されていたようで、車が何台か入っていました。(友人から電話が入り単価表と図面を貰って欲しいというので出かけました)
「こんな田舎」と、この町に住んでいる人のほとんどは自分の住んでいる町を卑下しています。確かに海と夕日以外は取り立てて特徴のない町ですが、これからはこんな手つかずの田舎に魅力を感ずる時代かも知れません。都会の雑踏や喧騒、それに日ごろつれた人間関係の中で暮らしていると、「無」こそ大切な人間性回復の宝物なのです。20世紀は私たち田舎に住む人間が都会にあこがれて生きてきました。21世紀は都会に住む人が田舎にあこがれる時代かも知れません。
でもどこかで規制をかけなければ都会の悪しき都合が田舎に持ち込まれ、田舎が毒されていくことの危惧も持たねばならないのです。そのことに気づいて転ばぬ先の杖を用意するのは一体誰の仕事になるのでしょう。まちづくりはそんな話もしなければ本当に訪ねても住んでもいいまちにはならないと思うのです。
「病院で 薬を貰い 薬局で 薬を処方 これで万全」
「良薬は 口に苦しと いうけれど カプセル薬 苦くもなくて」
「売り出しの チラシに書いた シーサイド よく似た名前 はてさて迷う」
「見に行って みようかどんな 土地なのか 冷やかしでなく 仲間勧める」