shin-1さんの日記

○お墓参り

私たちの地方では、1月4日に家族がそろってお墓参りに行く風習があります。この日は帰省人も帰り私たちだけのお墓参りとなりました。お墓に供える餅と干し柿を小切りして小さなお盆に半紙を敷いて用意します。あとは線香と小みかんを持って出かけるのです。まずわが家のお墓に行きました。既に何人かがお参りをしてくれていて、線香が何本か立っていました。わが家の墓地は元々出身地の下灘いわし山という所にあるのですが、親父の希望でこちらに移して既に20年近くが経っています。お墓の敷地の周りは父の兄弟の墓地があり、まだ最近できたばかりなので新仏が入っていないためお参りはせず、近所にある姉の家のお墓にお参りしました。

若松進一ブログ

 ここらあたりの墓地はどこも海の見える小高い所にあって、正月三が日中吹き荒れた海も、今日は穏やかに凪いで、山口県や広島県の島々まで遠望できるほど澄み切っていました。死ねば無に帰るのでこの風景など知る由もありませんが、死ねばこの墓地から毎日大好きなこの風景が見えるのです。

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 わが家は私で4代目、本家故親類がとてつもなく多いのです。選挙に出る訳でもないので身内の多いのは煩わしい部分もありますが、この歳になるとそれも割り切って毎年恒例でお参りするお墓を坂道を上ったり下ったりしながら役目を果たしました。

 下灘の墓地事情も少しずつ変わって、これまで主流だったいわし山は車道がないためお参りに不便なことから、次第に敬遠されて、新しい墓地が次々できているようでした。しかも一生に一度のことなので皆さん金に糸目をつけずいずれも立派なお墓は目を見はるばかりです。

 新春恒例のお墓参りは色々な懐かしい人にも出会います。今日も何十年振りかの人にも出会いました。また歴板とでもいうべきその家の過去帳を読んでみれば、何年に何歳で死んだということが一目瞭然です。子どものころ故、あのおばあさんはと思っていた人が70歳くらいで亡くなっているのを読んで、「ああ俺ももうそんな歳か」などとため息が漏れるのです。


 人は確実に歳をとります。今日お墓で出会った人たちは、私が下灘という漁村で育ったころ見慣れた人たちでした。上名田に居を移し、仕事も変わったこともあって出会う機会が極端に少なくなりましたが、30年の時の流れは人を確実に老化させていました。勿論私の姿も老化して映ったに違いないのです。いかんともし難い老化の坂道をいかに緩やかにするか、考えさせられた一日でした。

 帰り際妻がポツリ、「みんな歳をとったねえ」でした。


  「死んだなら こんな景色を いつも見て 暮らせる嬉し いい墓地ゲット」

  「お互いに 歳をとったと 慰めて 去りゆく友の 何処か寂しく」

  「歴板の 刻みし戒名 死んだ歳 読みつつはるか 昔を思う」

  「四代も 前の先祖は 顔知らず 何故かその前 覚えています」

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shin-1さんの日記

○今年も見事外れてしまいました

 「お父さん、一億円当たったらどうしよう」「一億円当たったら何でも好きな望みをかなえてあげる」などと甘い言葉で私を誘い、毎年夏と冬に2回宝くじを買い求める妻ですが、今年も残念ながらその夢ははかなくも破れてしまったようです。これまで宝くじを買ったことののない現実主義派の私から考えると「あんな無駄なことはしない方がいい」というのですが、一向に止める気配がないのです。「まあいいじゃないの、ささやかな庶民の夢だから」と夢に破れてもまtリベンジを誓って買う姿を見ると、「あれは死ぬまで治らない」と思うのです。それでも妻はささやかで1回10枚以上は買いません。でも一枚300円だとするしても年2回ですから6000円の投資です。「もし私に年6000円の投資をしてくれたら倍にしてやる」といいつつも、長年連れ添って中身の知れた私には投資をせず、宝くじに投資をする妻の気持ちも分かるような気もするのです。


 宝くじはフグに当たるより難しいといわれるように、確率は米俵の中の米粒一粒しか当たらないのだそうです。だとしたら妻などに当たる訳がなく、「もうそろそろ辞めた方がいい」というのですが、妻は「もうそろそろ当たる順番が来そうな予感がする」と今度は霊感商法のようです。

 しかし妻が言うように世の中には一瞬で億万長者になる人だっているのですから、妻もひょっとしたらと思うのは当然かも知れません。あるテレビの番組で宝くじの特集をしていましたが、当たった人の暮らしはそれまでとは一変するそうです。結果的に宝くじに当たった人は幸せになっていない人が多いのも事実のようです。

 まあ私のように「お金は額に汗して稼ぐお金が一番」を貫いていれば、稼ぎにも身が入るというものです。

 一昨晩息子3人が久しぶりに帰省して揃いました。長男は設計事務所に勤めてある意味好景気や不況に左右される仕事ゆえ、ボーナスも毎年違います。そこへ行くと看護師として病院に勤める次男も警察官として公務員生活をしている三男もある意味安定してボーナスが支給されます。3人がボーナスについて何やら話していたようですが、長男の妻の言い分が面白いと思いました。「わが家は不安定、でも暮らしを設計さえすれば大丈夫、要は入る以上に使わないことね」だそうです。金融広報アドバイザーをしている私が口を挟む余地はありませんでした。経済は考えてみれば+と-ですから簡単です。貯めてから使うと+、使ってから補給をすると-の経済が働きます。今はキャッシュレス時代ですから手元にお金がなくてもカード一つで簡単に暮らしができます。でもそれが借金であることの認識はしっかりしておくことが大切です。

 先日敵前視察とでもいうのでしょうか、公害のパチンコ店に入って驚きました。外から見えないようになっている店内には女性専用の席が設けられ、若い女性が一心にパチンコ台に熱中しているのです。この人の子どもは?、この人のパチンコ資金は?などなど考えさせられることが多くありました。

 

  「今年また ものの見事に 当たらずに リベンジ誓う 妻の悔しさ」

  「そんなもの 当たるものかと 馬鹿にする 多分当たらぬ ひょっとするかも」

  「ボーナスの 額が多いか 少ないか 要は使わぬ 気持ちがあれば」

  「あの女性 資金捻出 どうしてる パチンコ通う 女性増えたね」 


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