shin-1さんの日記

○今日は都へ結婚披露宴出席ののため旅立ちます。

 「今日は友人の息子さんの結婚式に出席するためこれから東京へ旅立ちます。東京は日帰りで夜遅く帰ってきます。ご機嫌よう」。そう告げて東京へ行きました。東京での結婚式などそうそう滅多にないものですから、神妙な面持ちで列席しました。会場となったホテルのロビーには埼玉県北本市からボランティア仲間の峯尾さんたちも顔をのぞかせ、愛媛県から参加していた児島さんとも合流し、いよいよ12時30分から開宴です。

 促されて会場に行くと、神妙な面持ちの大野ご夫妻が金屏風の前で新郎新婦とともに出迎えてくれました。来春定年を迎える大野さんも歳を重ねるごとに親父さんの風貌と同じになって緊張の面持ちでした。

(神妙な面持ちの大野ご夫妻)

私たちの席は新郎のお父さんの友人でまとめられていて、話も弾みましたが酒の飲める人が殆どいなくて何処となく盛り上がりに欠け、隣の晃君の友人の席とは対照的な雰囲気でした。やがて高砂の席に新郎新婦が着くとスピーチです。主賓の挨拶と乾杯が終わった頃司会者が私に歩み寄ってきていきなり「若松様、このあと祝辞を予定していますのでよろしく」と、出し抜けにいうのです。驚いた私は「いや、聞いていません」といいつつ、大野さんの所へ出かけ、「おい祝辞なんて聞いてないぞ」と小声で話しました。「案内状にスピーチをというメモを入れとったでしょうが」「そんなメモは見てないので・・・」と言いつつ時間切れです。

 「それでは新郎のお父さんの友人を代表して若松さんにお祝辞をお願いします」。ああ嘆かわしやと思いつつ、恥をかく覚悟でマイクの前に立ちました。わずか5分足らずのスピーチですからそれなりにアドリブでやってしまいました。友人の児島さんや横に座った峯尾さんから、「さすがですね」と美辞麗句を言われましたが、まさに旅の恥はかき捨てでした。

 

 結婚披露宴は友人や知人との旧交を温める場所でもあります。同席した仲間と食事を楽しみながら過ぎ越し人生について多いに話しました。私たちの席に座っている人たちはもう殆どがリタイアしたり寸前の人たちばかりなので、話の関心はいあままでの人生と、今どんなことをして過ごしているかが殆どで、残念ながら未来についての話は少なかったようです。

(愛媛から出席した児島さん。無人島では看護ボランティアとしてすっかりお世話になった人です)

 やがて結婚披露宴のプログラムも滞りなく進行し、花束贈呈で目出度くお開きとなりました。若いカップルの心境やご両親の心境は2度もその場面を経験したことのある私には容易に想像でき、思わず目頭が熱くなりました。お幸せにと祈るばかりです。結婚披露宴の司会を537組もやった私には、若い司会者の進行ぶりは少々物足りない気持ちもありましたが、それ以上に心のこもった披露宴の余韻が心をほのぼのと温かくしてくれました。

8花束贈呈は感動でした)

  「何時の間に 親父の背を抜き このような 立派な人に なったのだろう」

  「鼻垂れし 子どもの頃を 覚えてる 腕白盛り 脳裏かすめる」

  「あと二人 俺の息子も 縁欲しい 何処でどうして いるのだろうか」  

  「異境地で 暮らす息子は 帰らずに 親はひっそり 生きる寂しさ」

 

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shin-1さんの日記

○行ったり来たり

 島根県益田市道川公民館にお邪魔したのは11月16日でした。その折「2週間後にはそちらへ視察研修に行きますからよろしくお願いします」と、三好館長さんと別れてから2週間しか経っていないのに、今度は益田市真砂公民館の音頭で43人もの人が一台のバスに乗って双海町へやって来ました。191交流協議会輝という団体名での視察研修なのです。私は国道191号沿線の人たちが地域おこしをしているこの会の顧問を頼まれていて、既にその協議会に招かれて講演もしているのです。

 島根県益田市といえば島根県の西に位置する地域で、こちらへ来るにはかなりの遠隔地で、早い人は朝6時にバスに乗って出発したというから驚きです。そんなに朝早く出発しても、瀬戸大橋を経由してこちらに到着したのは午後2時でした。今回の旅の目的はシーサイド公園で漁協女性部のおばちゃんたちと交流することと、人間牧場で私の話を聞くことです。

 あらかじめ漁協女性部、通称じゃこ天おばちゃんたちに視察研修受け入れのお話をして快く受諾の返事を受けていたので、おばちゃんたちは心得ていて、名物ラヴじゃこ天やお茶を準備して待っていてくれました。松本部長さんはあいにく結婚式出席のため留守でしたが、イベントホールの会場も全て整え待っていてくれました。

 この日のことを男時というのでしょうか、バスは2時10分前に到着し、地域政策研究センターの松本研究員にお世話になったシーサイド公園から人間牧場までマイクロバスのピストン輸送も絵にかいたようにピタリとおさまりました。

 シーサイド公園での説明は富岡喜久子さんが担当し、軽快なおしゃべりに益田市から来た面々は感心して聞きました。私が少しフォローして、その後戸外の施設を案内しました。この日は小雨のしぐれるあいにくの天気でしたが、これも男時のお陰で雨に遭うこともなく順調に視察プログラムは進みました。

 さて人間牧場には大型バスの乗り入れができないため、参加者を2班に分け先発、後発をリムジン風に分けての対応となりました。昨日寸暇を惜しんで人間牧場へ行き掃除をしていたので安心してお迎えしましたが、残念ながら自慢のロケ風呂での足湯のサービスは間に合わず、見学だけとなってしまいました。

 それでも山間地に暮らす人たちにとっては、瀬戸内海の眺望はいい刺激になったようで、私の短いお話にも感心して耳を傾けていただきました。私は先発のバスに乗って一便を迎え入れた後歩いてバスの中y差している場所まで見送り、後発の人を再び迎え、一緒に帰るという非常に忙しくも慌ただしいスケジュールとなりましたが、それでも、2時間のプログラムを消化し、日没寸前の5時にシーサイド公園へ帰ってきました。残念ながら夕日は見えなかったため、サービスとして暮れなずむ中をわが家の私設公民館煙会所と海の資料館海舟館を見学してもらいました。

 皆さんが帰ったあと私は田舎のオープンカーにのってバスを追いかけ、宿舎である松山の共済会館えひめへ出かけ、午後7時からの交流会に参加しました。少々夜遅くなった食事会でしたが皆さん満足して思い出話に花が咲きました。私は今朝早く東京へ発たなければならないため早々にお暇しましたが、いい交流が出来た一日でした。


 

 

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