○柿の実が熟れる頃
私が子どものころ、「柿の木坂の家」という歌が流行っていました。青木光一という歌手が歌っていたように記憶しています。手元にある歌詞本をめくると、昭和32年発表と書いています。石本美由紀作詞、船村徹作曲のようです。私はこの曲が大好きで下手糞ながら今も思い出しながらハーモニカで吹いています。
1 (歌詞掲載不可のため割愛)
2 (歌詞掲載不可のため割愛)
3 (歌詞掲載不可のため割愛)
この歌を聴く度にどこか懐かしい少年や青年の頃の思い出が蘇ってくるのです。今はこうした自然を友とした農村の風景もすっかりなくなり、住む人絶えた家が点在し、柿の実さえも取る人とてなく、寂しい感じがするのです。ましてや春の市もなくなり、秋祭りもすっかり様変わりしているようです。
子どもの頃のこうした懐かしくも楽しい思い出は、時代の流れの中で消え失せて行くのでしょうが、ある意味私たちの年代はこうした素朴な心のぬくもりを感じる思い出を持っているだけでも幸せかも知れません。残念ながら今の子どもたちにはそんな心のふるさとすら味わえないないのです。
わが家の裏に柿の木が五本ばかりあります。殊勝な柿の木で、毎年実をつけて家族の食べるだけの量を確保してくれています。今年はこの柿の木も大豊作で食べきれないほどの実がなりました。先日和歌山県庁の橋口さんから立派な柿が届きました。わが家の何の手入れもしない無農薬な柿など比べ物にならないほどの甘さで、親類縁者におすそ分けをして喜ばれましたが、親父はもっぱらわが家の醜いあひるの子のような柿を食べているようです。私も柿は大好物で、西条市丹原町の佐伯さんから毎年届く渋抜きの西条柿に加え今年も橋口さんから届いた柿を堪能するほど食べています。
柿は実だけでなく葉っぱも柔らかいうちはてんぷらにして食べたりしますが、やはり柿は「柿の木坂の家」の歌と同じように原風景にマッチする庭木としての存在も欠かせません。これからも裏庭の柿の木に柿の実が熟れる度に「柿の木坂の家」という歌を思い出しながら感傷にふけりたいと思っています。
そういえばわが家は「柿の木坂の家」かも知れません。
「柿の木に 今年も沢山 実がなって 昔の歌を 思い出しつつ」
「下手糞な ハーモニカ吹き 思い出に ひたりしみじみ あの娘どうして」
「幼な頃 トンボやメジロ 追いながら 遊んだ野山 今は荒れ果て」
「食べきれぬ ほどの柿の実 収穫す 親類縁者に 配り歩いて」