shin-1さんの日記

○FAXの調子が悪い

 インターネットでメールが入るようになって、私にとってはすこぶる便利な世の中になってきました。何せ24時間いつでも発受信ができるし、全ての文字や画像が鮮明に読みとれるのですから、こんな嬉しいことはありません。しかしEメールにも欠点があって、相手がメールの送受信のできない人にとっては猫に小判なのです。メールを送って下さいと連絡をしても、FAX番号を聞いてFAXで文章を送って来る人の殆どは、メールが苦手や使えない人が多いのです。

 数日前相手先から「FAXで文章を送ったが届いているか」と問い合わせがありました。FAX兼用の電話に行ってみましたがFAXの文章は届いていないようでした。相手にそう伝えたものの心配になってよくよく調べてみると、FAX用のカーボン紙がなくなって受信した用件が5件も、FAXの中に閉じ込められていたのです。でも最近のFAXは利口なものでそのことをちゃんと記憶して、私に伝えることができるのです、

 わが家のFAX兼電話は接続調子やカーボンの調子が悪く、最近になって買い換えました。ゆえにカーボンもまだ補給しなくてもあるだろうと思っていたのですが、先日相手先から私が書いた40数枚もの原稿の校正ゲラが送られてくるなど、そういえばかなりカーボンを使ったと振り返りつつ、替え用のカーボンをNTTに注文しました。ところが土日を挟んでいたためカーボンが届いたのは昨日で、私が出払っていたため入れ替えが今日になってしまったのです。

 今度のFAXは前回故障した機種とは全く操作が異なっていて、FAXの送信は裏と表が全く反対なのには驚きました。先日も送ったはずの文章が白紙で送られてきたと文句を言われるほどで、メカに弱い自分がつくづく嫌になりました。今日だってそうです。外出先から帰ってNTTから送られてきたカーボンの入れ方が分からず、図解を見ても結局あんな単純な操作を20分もああでもない、こうでもないと触りまくって、やっと飲み込めたのです。


 FAXからプリントアウトして出てきた文章は大切な会議の要件で、早速相手先にFAXのカーボン切れでご迷惑をかけた旨の連絡をして事なきを得ましたが、最早古い情報手段だと思っていたFAXにもしっかりと対応しなければならないと肝に銘じた次第です。

 FAXが役場に設置された頃、なんて便利な道具だろうと思ったものでした。その後ワープロが登場した時も人間の英知に驚いたものでした。そしてまたインターネットに驚き、テレビのデジタル放送に驚きながら、現代を生きています。はてさて今度はどんな情報機器が出現するでしょうか。僅か10年の間に起こったさまざまな情報機器の変化に、ついて行くのがやっとといったこれまでを振り返り、もう賞味期限の切れかけた自分の姿を垣間見るのです。

 今年私はウインドウズXPという比較的新しい情報ソフトにおさらばし、ウインドウズビスタという新しい情報ソフトに乗り換えました。ウインドウズXPをマスターしないまま、これまで使っていたパソコンが壊れたため仕方なしの選択でしたが、進化しない私と進化したパソコンの距離は開くばかりです。リタイアした私にとって13万円の投資は余りにも大きな出費でした。でもこの2ヶ月余りで投資効果は確実にアップして、仕事の効率も大変良くなりました。このパソコンを大事にすると同時にFAXもしっかり使ってやりたいと思いました。


  「FAXの 調子今一 イライラが 募り何とか 修理しました」

  「俺などは 賞味期限も 切れていて 電子機器など 猫に小判か」

  「FAXは カーボンなくも 受信して ちゃんと知らせる 記憶が凄い」

  「ふと見れば 図解している マニュアルを 読みもしないで 分からぬはずだ」

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shin-1さんの日記

○新酒と新米が届く

 先日山の向こう大洲市田処に住む亀本さんが突然見えられ、今年の新米を届けてくれました。最近は早場米などが8月に出回るせっかちな時代になったので、今頃の米を新米といえるかどうかは疑問ですが、山里の棚田で作るお米は、八十八というお米という字そのままに手塩にかけて育て、しかも稲刈りを終えると稲木にかけて自然乾燥させる手間暇の末出来上がった、いわばお百姓さんが愛情を注いで作り上げた芸術品なのです。新潟魚沼産こしひかりなどが美味いお米の代名詞のように言われていますが、最近の汚染米騒動などを考えれば、お米の向こうに作り手の顔が見える安心安全なお米もこれまた一味違ったお米なのです。

 私たちは昔のようにお米を食べなくなりました。昨日一日だけでも朝はパンとリンキャベでご飯なし、昼は麺類でご飯なし、夜は酒宴ががあって飲み放題の店で締めのさつまをいただいたお陰でかろうじて茶碗に軽く一杯ですから、私のお米の消費量は僅か1合にも満たない少量なのです。

 昨日外出先から帰ったのは10時頃でした。酒宴が終わって知人との約束で寿司屋へ立ち寄りました。それまでに腹いっぱい食べていたので、失礼ながらその寿司屋ではあがりを一杯いただいて早々に店を出ました。遠来の知人ながら彼も出来上がっていました。帰り際「手土産のつもりで地元では銘柄の新種を送っておいたから」といわれました。

 家に帰ってみると妻が、「お父さんお酒が届いているよ」というのです。みれば先ほど寿司屋で再開した知人が言っていた手土産の新酒でした。知人は私がまだ酒を止めたことを知らないのでしょうが、いくらいい酒を送られても酒を止めた今の私にはまるで猫に小判といったところでしょう。私の妻もお酒は丸っきし駄目で息子たちも酒はそれほど飲まないので、私が酒を止めた今では正月用の酒がまだ残っているのです。親父は90歳になりますが若いころから酒好きで、今も晩酌を欠かさないのです。さすがに若いころのように量は飲みませんが、それでも毎晩1合弱の酒をたしなんでいるのです。

 おやじに知人の話をして新酒を手渡しましたが、親父は大層喜んでくれました。今晩あたりこの新酒を楽しむことでしょう。

 この酒も元はといえばお米から作られています。最近は酒米事情も変わって酒米を確保するのに大変のようです。先日解禁になった外国産のワインについてはマスコミも大々的に取り上げるのですが、ここは日本なのに何故か新酒の話題は少ないようです。私の町にも最近まで奥嶋酒造という蔵元が島錦という銘柄のお酒を作っていましたが、日本酒の消費量の落ち込みに対応することができず、残念ながら長い歴史に幕を閉じました。高い煙突も白壁の酒蔵も町の格式を示すように残っていますが、酒を作る息遣いが消えた建物が泣いているような寂しさを感じるのです。

 米も人、酒も人なのに全てが洋風化の波に押し流され、米も酒も人の気配がしなくなりつつあります。これも時代の流れでしょうか。私のささやかな日々の暮らしの中からも米と酒は消えようとしているのです。日本人の体に病気が増えた原因を、「米を食べると太る」という間違った宣伝をし続けた結果だという反論学者の説を聞くと、やはり日本人の暮らしや健康にはお米が一番だとも思うのです。そうだこれから少しお米に軸足を移して暮らしてみようと思った次第です。

  「酒飲まず お米も食べぬ 日本人 最早私は 何人でしょう?」

  「送られた 稲木のお米 玄米の ご飯に炊いて 妻と二人で」

  「送られた 酒でちゃっかり 親孝行 親父喜び 一日長生き」

  「蔵元の 酒が消えたる 界隈を 寂しく歩く 秋の夕暮れ」

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