shin-1さんの日記

○大根の調理

 私は外では男女同権だのと格好いいことを言っていますが、こと家に入ると家事一切を何もしないし何もできない男なのです。ですからこれまで家でご飯を炊いたこともないし、一度だけ妻が入院した時子どもに牛丼を作って食べさせたことがあるだけで、後にも先にも調理などしないのです。私のことを妻は二重人格だと思っているようですが、私には私の仕事があると、これまでは何とかそれで済んでいました。

 私が子どもの頃の教育はまさに「男子厨房に入るべからず」の教育でしたし、わが家は漁家なので特に封建的で船の神様は男が仕切るものと決められていました。ですから正月の元旦だけはもう中学生の頃から雑煮だけは長男である私が親父の指導を受けてやっていました。家庭での料理といえばただそれだけで、何もせずに男風を吹かせているのですから、二重人格といわれても仕方がないのです。

 昨日と今日は孫たちがやって来て賑やかに楽しく過ごしましたが、妻にとっては子どもたちの2家族が三食を食べるのですから、まるで目の回るような忙しさだったに違いありません。子どもたちもそのことが分かっているのか近頃は連休の最終日は昼ご飯を食べると早々に色々な食材を土産に帰ってゆくのです。今日も午後3時ころに帰って行きました。妻は土曜日が一日仕事のためこれで今週も家でのんびり休むこともできず、来週につないで行くのでしょうが、年齢的にもう60の坂を越えているのでかなり疲れた様子なのです。

 子どもたちが帰ったので妻は「温泉へでも行きたい」と私を誘いましたが、私はあいにく原稿の締め切りに追われているため、妻は一人で出かけました。出かける折私に「大根を畑から取ってきて輪切りにして湯がいておいてくれない」というのです。私はそんなことしたこともないので、「そんなことできない」と突っぱねて書斎で原稿を書いていました。

 やがて原稿の一つが書きあがったので、気分転換に外に出ました。ふと妻の言葉を思い出して、畑に行き大根を引き抜いて水洗いしました。そしてテレビなどのおでんを作る番組で見た大根の輪切りを見よう見まねでやってみました。まず大根を適当な厚さの輪切りに切り、桂剥きのようにして皮を取りました。そして上下の面を取って太鼓のようにしました。鍋に大根が浸るくらい水を張り、ガスコンロにかけて火をつけました。それから約30分コトコト茹でました。本当はこれまでは下ごしらえでここからが調理なのでしょうが、妻からの依頼はここまでなので、妻が帰ってから味付けして食べるようにする予定です。今日は外も朝から一日中雨なので親父の夕食も6時ころには持って行かねばならないため、午後5時過ぎにはわが家へ帰ってくるでしょう。よく出来たと褒められると嬉しいのですが、また次回もお願いといわれそうなのでとりあえずこれ以上のことはしませんが、親父と同じようにもうそろそろ我を張って何もしないことを誇りのようにするのはやめて、少しでも妻の仕事をカバーできるようになりたいものだと思った次第です。


  「大根を ただ洗うだけ 湯がくだけ それでも進歩 一歩進んだ」

  「もし何か あったら俺は 生きられぬ 何にも出来ぬ 駄目な亭主だ」  

  「休みなく 働く妻に 感謝して ここまでならば 誰でもできる」

  「大根が コトコト音を たて踊る 今夜はこれが 胃袋中へ」

 

  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○孫朋樹6歳の誕生日

 今では私の相棒といわれる孫朋樹が昨日6歳の誕生日を迎えました。早いもので来年は小学校へ入学するのです。孫朋樹は私たちにとって初孫だっただけに、その成長は私たちにとっても生きがいになってきました。その後尚樹、希心と男の孫ばかりが誕生して3人となりましたが、私の定年後の良き相棒となって、特に人間牧場をフィールドにしてよく遊び、よく育ってくれました。自分の子どもの子育ては仕事の多忙さゆえに殆ど妻に任せっきりでしたが、孫は目に入れても痛くないほど可愛くて、木心も合って随分行動を共にしてきました。それでも最近は私の仕事が忙しかったために約2ヶ月近くも出会いがなく、この週末も私が出かけていて、昨晩やっと出会ったのです。

 誕生日が来て6歳になったから余計思うのかも知れませんが、孫朋樹も随分成長して大きくなりました。わが家のダイニングにある大きな柱には、わが子や親父、母、妻の成長が一目で分かるようマジックインクで印をしているのですが、孫朋樹の成長はこのところ著しいようです。自分もそのことを自覚しているようで、最近では弟尚樹の面倒をよく見て、今日も弟に御飯を食べさせる手助けをしてくれていました。

 私がブアメーバブログにブログを書き始めて3年余りが過ぎましたが、私のブログには朋樹のことが常連的に度々登場するので、ブロガーたちにはもうなじみの顔で、時々朋樹の近況を聞かれることがあるのです。またいつも私の金魚のフンのようについて歩いているため、シーサイド公園やまちづくりグループではすっかり顔なじみの人ができているのです。

 昨日は私が帰るのを待って夕方朋樹の誕生会を開きました。あいにく娘婿は勤め先である大学の入学試験のプレゼンテーションがあるとかで、誕生会には間に合いませんでしたが。長男の家族も駆けつけ賑やかな誕生パーティーとなりました。妻の用意したバーズデーケーキに6本のローソクが灯され、みんなでハッピバーズデーの歌を歌いました。そしてローソクの灯が朋樹の息で一気に勢いよく消されましたが、得意満面な成長した朋樹の姿にみんな目を細めました。やがてケーキか切られ、切り分けたケーキを食べながらみんなで楽しいお話をしました。そのうち娘婿も帰ってきて楽しいひと時を過ごしました。

 ふと私はこんな可愛く素直な孫たちのような子どもが、大きくなったら何で親の言うことも聞かない人間になるのだろうと、不思議に思いました。確かに子どもは年齢を重ねる度に反抗期を繰り返しながら成長していくのですが、そのプロセスの中で周りの人の育て方が誤ると、とんでもない方向へ向かう危険性をはらんでいるのです。

多分孫朋樹もそんな反抗期の階段を駆け上がっていくのでしょうが、せめて私の子どものように人間的に温かい普通の人間になってほしいと願っています。

 昨晩は久しぶりに孫朋樹と一緒に風呂に入りました。そして頭や体を洗ったりしてやりましたが、孫は何を思ったのか、「おじいちゃんも洗ってあげる」と私の背中をタオルでゴシゴシ洗ってくれました。人生最高の幸せだと思いました。来年からは長女の次男尚樹と長男の長男希心が少しばかり大きくなってまたおじいちゃんの役目が必要になるでしょうが、朋樹同様私にできることをしながら孫育てに一役果たしたいものです。

 わが家も何だかんだと言いながら、90歳になる親父も私たち夫婦もどうにか元気だし、息子二人はまだ未婚で気がかりですが、長女夫婦、長男夫婦の家族もそれぞれ幸せそうにに暮らしていて、ひょっとしたら今が一番幸せなのかも知れません。幸せとは幸せと感じる心なのです。

  「孫六歳 ケーキに差したる ローソクを 一気に消して 頼もしきかな」

  「金もなく 地位も名誉も ないけれど アットホームで どこか幸せ」

  「おじいちゃん 背中を洗って あげようか 孫のいきなり お目々ウルウル」

  「俺などは 六歳頃は 字も書けぬ 今時子ども 何でもござれ」

[ この記事をシェアする ]