shin-1さんの日記

○留守の人間牧場

 「若松さん、今回の全国大会のついでに人間牧場へ行きたいのですが」という電話やメール連絡をいくつもいただきました。その都度「研修会が終わる3日目は残念ながら塩崎さんの招きで第6分科会のある伊方町へ行っていますので」と断り続けていました。しかし双海町を文化会場に選んだ方々にそんな理由で不義理をすることもできず悩みましたが、妙案としてえひめ地域政策研究センターの松本さんに鍵を渡して私の代役を務めてもらうよう頼んだところ潔く引き受けてくれたためホッとしました。

 昨晩分科会夜なべ談義の最中に家へ鍵を取りに帰ろうとしました。ところがこの一週間車で遠出をしたものですから、明くる日の朝伊方町へ行くガソリンが心配になって、伊予市まで走り夜遅い時間ながら給油を終えホッとしました。家に帰って人間牧場の鍵を持ち出し、松本さんの宿泊しているふれあいの館まで持参し手渡しました。

 

 松本さんは年輪塾の塾生であり、落伍の小番頭でもあるので安心して任せました。私が第6分科会の仕事を終えて帰ろうとする頃松本さんから携帯電話が入りました。マナーモードにしていたため何度も呼び出したようでしたが、財団法人地域活性化センターの石田理事長さんや山梨県立大学の市原先生、三重の杉谷さんや杉本さん、それに西条の井上さんが初めてというので、案内したようです。携帯電話の電波の状態が悪く聞き取れなかったのですが、皆さん感激されて帰ったようで嬉しい限りです。

 松本さんには石田理事長さんを飛行場まで、また市原先生を上島町の兼頭さん宅まで送り届けて交流する任務までしてもらったようで、彼はもう4日間も家に帰っていないようなので疲れがピークかも知れないと電話をかけましたが、以外と元気で交流しているようで安心しました。


 このところの忙しさは尋常ではなく、人間牧場へは今回恋人岬で夕日落伍寄席をやるために、人型パネルやめくり、拍子木、裂き織ちゃんちゃんこなどの7つ道具を取りに出かけて以来一度も覗いていないのです。掃除も行き届いていないので、多分皆さんは不快に思ったのではないかと心配しているのです。

 幸い皆さんが人間牧場を見学している頃はまだ雨も降っていなかったし温かかったようでしたが、松本さんと連絡がついた頃にポツポツ雨が落ちてきて間一髪でした。全国大会のため先送りしていた仕事が随分溜まり、この忙しさはまだ当分続くようで、人間牧場へはまだ当分先のようですが、少しのんびりと本でも読みながら昼寝を楽しみに行きたいと思っています。


   「主人留守 小番頭なる 友人に 鍵を預けて 案内頼む」

   「小雨ポロ 間一髪の すれ違い さすが人間 牧場嬉し」

   「喜んで 帰ったですと 電話入る 主人いなくも ちゃんと感じて」

   「そのうちに 牧場昼寝 楽しみに いつのことやら 当分忙し」

 

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shin-1さんの日記

○佐田岬半島での第6分科会に参加して

 今日は朝早く午前6時に双海町を出発し、第6分科会が行われる伊方町を目指しました。このところの穏やかな天気を象徴するように空はどこまでも晴れ渡り、宇和海側の伊方町を走るころ綺麗な朝日が、日本一細長い佐多岬全体を優しく包み込むように昇ってきました。昨日見た双海町の夕日といい、今朝の朝日といい、今回の全国大会は天気に恵まれたことが何よりも嬉しいことなのです。多分今日は全県下15会場で開かれている分科会は、二日目の今日はミカン狩りや街歩きなど野外活動が多く組まれているので主催する方々はホッとしたことでしょう。

 会場となる瀬戸アグリトピアに着くと責任者の塩崎さんがおばちゃんたちと朝食の準備をしていました。私はしばらくの間早起きしてきた人たちと談笑しながら過ごしましたが、そのうち全員が揃っての朝食に参加しました。イセエビの味噌汁とは何とも贅沢な一品でした。お陰で朝から食が進み満腹でした。

 

 私の出番は午前9時からでした。この日のために大分県豊後・大山ひびきの郷総支配人の緒方さんが招かれ,

最初は私と二人で対談の予定でしたが、その後高知県馬路村の産業建設課長木下さんも加わり鼎談の形をとりました。緒方さんとはもう30年来の付き合いですが、最近体調が思わしくないようで、この日も松葉づえで会場入りしていました。今日のトークバトルは塩崎さんから私の方で進めてほしいと頼まれていたので、2時間をかけて地域資源を生かしたまちづくりや合六(こうろく)のまちづくりについて話し合いました。全国から集まった参加者は必ずしも地域の特産品開発などに関わっている人ばかりではありませんでしたが、フロアーからは仲間を増やしたりやろうとすることを理解させるにはどうすればよいかアドバイスを求めたりされましたが、コーディネーターの役割も一緒に務めた私のインタービューには嬉しい反応が沢山ありました。



 昼食は地元の海鮮鍋でしたがこれも手づくりの味が最高でした。正午には荷物をまとめ風車が背景に写る屋外に出て集合写真を撮り別れを惜しみつつ送迎バスを見送りました。緒方さんたちは一便早く船着場へ送られ、つい3日前に出会った佐賀関の渡辺さん、旧明浜町の原田さん、旧西土佐村の和田さんや中平さんなど、塩崎軍団の旗の下に集まった面々に別れを告げ、会場を後にしました。こくどう197号線沿いにはのじ菊が今を盛りとほのかな香りを漂わせて咲いていました。

 かくして一年かけて準備をしてきた短くも長い3日間の全国大会は終わりました。この一年様々な出来事がありましたが、有能な事務局に助けられてそれなりの成果を収めることができました。私も飾りのような実行委員長でしたが、この3日間に関してはそれなりによく働いたと自分でも納得しています。どんな成果があったのかは分科会の報告を聞かないとまだ判断はできませんが、肩の荷が下りたようなさわやかさであることは事実です。

 今後報告書作成、1月の総会フォーラムでの発表会と、3月の実行委員会解散までは残務整理が残っているので、気を引き締めて最後の始末をしたいと思っています。関係者の努力と全国から集まった皆さんに感謝いたします。

  「三日間 西や東や 南北 車乗り継ぎ 役目を終える」

  「今回も いい人たちに 囲まれて 楽し思い出 幾つもできて」

  「はるばると あなたに会いたい 一心で 嬉しい言葉 くれるじゃないか」

  「終わったな 何はともあれ 終わったな 終わった終わり 肩のに降りて」 

 

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