○今日から長野県木曽福島へ長旅に出ます。ごきげんよう。
shin-1さんの日記
○こうも社会が変わるとは
私が町づくりに関わるようになって22年が過ぎました。その間の社会の流れは速く、また技術革新や情報化も進んで、あの頃流行ったものでもう殆ど用をなさなくなったものがいっぱいあるようです。そのひとつがポケベルとテレホンカードです。私はポケベル全盛時代、町の名前を変える町名変更を教育委員会社会教育課にいながら企画調整室係長、総務課係長という3つの職場兼務の辞令をいただき、それなりに忙しく働いていました。そんな私に町長は当時流行っていたポケベルを持つよう命じたのです。ポケベルはどちらかというと忙しい営業の人が呼び出されて電話をかけて連絡を取り合う道具でしたので、私のような行政マンが持つことは殆どなく、当時はポケベルを持つ男として注目されたりしましたが、そのポケベルももう知っている人が少ないような時代になりました。ポケベルと合わせて普及していたのがテレホンカードです。NTTはテレホンカード対応の電話ボックスも次々と設置して普及したのです。シーサイド公園を整備した折も公衆電話ボックスを駐車場の隅に設置しましたが、使用頻度激減でそのボックスもすでに取り壊されているのです。
その当時はオリジナルなテレホンカード製作が隆盛を極め、私たちの町でもNTTと代理店契約をすれば安く作れるとあって、観光協会が主体となって夕日や夕焼けコンサートをあしらったテレホンカードを毎年作り、販売しそれなりの利益を得ていました。特にシーサイド公園のオープン時には6種類ものテレカをシリーズで製作販売し飛ぶように売れてかなりの収入を得ていたのです。
ところが携帯電話が普及し始めるとテレホンカードの売れ行きは急激に下降線をたどり、7~8年後には在庫の処分を検討していました。私の手元にはその当時作って買ったテレホンカードが何枚か残っていて、名刺入れに入れて持ち歩いていますが、残念ながら今年はまだ一度もテレホンカードを使って通話していないのです。
末っ子の息子も中学生のころテレカホルダーを買ってテレホンカードを集めていました。私が全国へ旅をすると必ず土産に各地の名所をあしらったテレホンカードをお土産に買い求めた関係で百枚を超えるくらい集めていたように思うのです。はてさて息子が収集したテレホンカードのホルダーは今どこに行ったのでしょう。妻にそのことを聞くと、大切に保管しているそうです。今にプレミアがついて高く売れるかも知れません。
こうして社会は絶え間なく進歩し時代は流れて行くのです。む私などはひょっとしたら進歩より退化し、時代先取りより時代遅れな人間になっているのかと思うと、先の暗さを感じずにはいられないのです。だからといって自分を卑下して生きていくのは嫌だから、身の丈に合った生き方を、身の丈に合った仲間と生きて行こうと思ったりもするのです。
いつの時代も不易な部分はあって、私たちはむしろその不易なものを追求しながら生きてゆくことに意味を見出せば案外これからも楽しい生き方ができるのかも知れません。よーし、頑張って生きてゆこう。
「俺などは テレホンカードと 同じよう 時代遅れの 無用の長物」
「ポケベルも テレホンカードも 思い出の 彼方に消えた 夢のまた夢」
「遅れてる それでも俺は 生き方を 変える気もなし このまま生きる」
「久し振り テレホンカード 使ったが 何処か懐かし 電話声まで」
shin-1さんの日記
○年輪塾NETを立ち上げる準備
私への情報は自分自身の口(喋る)と耳(聞く)、それに目(見る・読む)が主でした。自分の行動範囲が全国区と自称するように人より広いのと自分が勤めていたのが地元の役場だったため、居ながらにして遠い情報と近い情報が傍受できていたのです。ところが最近自分の行動範囲の全国区は変わらないから全国や全県の情報は入ってくるものの、役所を辞めたため近場の情報が殆ど入らなくなってしまったのです。
昔から近場の情報は散髪屋や風呂屋といった人の集まる所集まるものですが、散髪屋へも月一回しか行かず、風呂屋へも忙しくて行かないものですから中々苦戦しているのです。そこで考え付いたのはじゃこ天を作っているシーサイド公園のおばちゃんたちに、暇があれば会いに行くことにしたのです。
昨日も所用を作りじゃこ天の店に立ち寄りました。普通は平日の午後ですからおばちゃんたちはお茶を飲んで楽しそうにおしゃべりをしているのですが、昨日は誰一人そんな人はいなくて、みんな忙しそうに働いていました。特に裏の加工場ではまるでちょっとした食品加工場のようでした。聞けば南海放送もぎたてテレビがらみの大きなイベントに弁当が作られるそうで、その中心にラヴじゃこ天を入れる計画が進んでいて何と32000個の受注があったそうです。これまで試行錯誤した秘伝のじゃこ天を開発していて、既に量産に入っていました。
せわしげに働く人の顔は生き生きとしています。でも楽しそうにお喋りをしながら働く姿は真剣で、じゃこ天の働く場所を作った私としてはとても嬉しいことなのです。
「若松さん、町内の閏住で大きなじこがあって○○さんが死んだん知っている?」「町内の本村の××さんがモノレールに挟まれて死んだの知っている?」とまさに最近起こった身近な情報がどんどん聞かされるのです。情報といえるかどうかは疑問ですが、人間が生きる上で大切な地元の話題やうわさ話に耳を傾けながら、この一週間島根や宇和島に旅をしていて、ロクに新聞を読んでいないことに気がつきました。「新聞に書いてたでしょうが」とおばちゃんに一本取られてしまいました。
そういえば私の留守中に隣の大野さん宅の倉庫と空家になっていた西田さんのお家は重機が入って跡形もなく壊され、すっかり更地になっていました。また地元の大工さんが造成して売り出した住宅地にまるで夢ではないかと思うほど早くあっという間に家が建っているのです。何気ない見慣れた風景の本尊山の松の木が最近全滅するような勢いで、まるで紅葉したように赤く枯れているのも気がつきました。
最近友人と話しながら、地域づくりの情報を共有する年輪塾NETを立ち上げようという話になりました。これまでその友人の運営するNETに参加して様々な情報をいただいていましたが、少し方向を変えて人間牧場でやっている年輪塾に情報NETを組み合わせて、楽しくも実のある地域づくりをやろうという相談がまとまりました。まるで「アナログ放送間もなく終了」という試験放送と同じように、試験的に情報NET参加を呼び掛けたところ、次々と参加希望のメールが入ってきているのです。
この情報NETを利用して様々な新しい分野にチャレンジして行こうと思っていますが、さてどうなるか、また楽しいアイディアが生まれそうです。私と情報NETに詳しい友人をかけ合わせれば、1×1=2ではなく、1×1=5にも6にもなると1.5次産業から6次産業に変化させると同じ発想にワクワクするのです。間もなくスタートです。乞うご期待・・・・・。
「情報は 待ちの姿勢で 入らぬもの いい人NET 自分を変える」
「うそ本当? 身近な話 知らなんだ 俺の弱点 脚下照顧」
「パソコンが 知らない情報 連れてくる 知らぬ間に マルチ人間」
「一番は 知った情報 頭から 手足動かし 心感じる」