shin-1さんの日記

○石の上にも3年

 地元の大学に非常勤講師として教えに行くようになって3年が経ちました。私が教育長になったばかりの頃、まちづくりの理論と実践を学生たちに教えて欲しいと大学から依頼があったのですが、私の上と下の人たちは反対をしました。その大きな理由は「本業に集中するように」とのことでした。私は「本業とは何か」を真剣に考えましたが、最後は「あなたの意思だから」ということで仕事に穴を開けない確約で講師をお引き受けしたのです。私にとって毎週水曜日の仕事が終わってからの夕方6時から8時までの講義はかなりきついものでしたが、それでも教育長をしながら2年間、教育長を辞めた後も1年間、通算3年間も講師を勤めました。教育長であるのにあえて講師をしなければならない理由はありませんでしたが、これは私の進化論としての挑戦でした。お陰さまで教育長だけをした人よりはるかに多くの教育理論を学び、教育行政に生かすことが出来たと今でも確信をしています。人は何もしなければ水面に波風は立ちません。また失敗もないでしょう。でもやるのです。

 私はえひめ地域地域政策研究センターの機関紙舞たうんの紙面をお借りして「まちづくりと若者」という文章を都合8回書きましたが、そこここで若者の地域離れが問題になっているだけに関心が高く、色々な意見が寄せられました。

 昨日私のゼミ生からメールが入り人間牧場で仲間とともにまちづくりの勉強がしたいと言ってきました。彼は私のゼミ生でない仲間を誘いたいというのです。嬉しい限りです。今の時代若者が集まらなくて四苦八苦している所は沢山あります。人が集まらないのか人を集めれないのか分りませんが、多分行政なら若者が集まらないと集まらない原因を若者の医師こと行動のせいにします。でも本当は若者は集まりたい気持ちを持っていることをこの3年間で学びました。

 私が教えた学生はこの3年間で僅かに70人足らずです。そんな少数にいくらまちづくり議論を大上段に振りかざしてみたところで、まちづくりの現場は何も変わりませんが、一点突破の風穴は開けたと思ってます。こうした地道な取り組みがかつての青年団のような大きな力となって、社会を動かす日が来ることを祈っています。

 今日は4年目の始まりである先生方との会議が行われました。私にとっても4年目とあって、今年の授業は少し知恵を出そうと秘策を練っています。どうなるかは分りませんが、大学の授業が私の思っていたよりアバウトなとらえ方が出来るようなので一応のメドをつけたいと思っています。

 その意味で人間牧場の構想はビッグチャンスのような気がしています。すでにブログ配信の写真を見て来週にも下見に来るというのです。

  「大学も 出ない私が 教壇に 立って教える 不思議な社会」

  「学生に 教えてもらう ことばかり これでは逆だ 授業料どっち」

  「芽が出たぞ 今度は花だ 実を付けろ そんな期待の 三年でした」

  「大学で ばったり出会い 学生と 立ち話する いいもんだねえ」 

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shin-1さんの日記

○わが家の愛玩動物

 最近はどの家庭でも愛玩動物の一つや二つは飼っているようです。隣のおじさんの家では犬と金魚、その隣では犬と猫に小鳥と様々です。その背景には豊かさと満ち足りない心の充足とでもいうべき何かを感じます。しかも犬や猫は外で飼うという概念が崩れ、犬・猫・鳥はおろかは虫類まで人間と同じ世界で暮らしているのですから異常としか言いようがありません。

 わが家でも子どもが小さい頃子どもの要求に押されて犬を飼い小鳥を飼っていました。しかし子どもたちのその熱も大きくなるにしたがって冷め、また動物の死という悲しい別れに直面して、それ以来飼うのを止めています。時々犬や猫と同居している家へお邪魔することがありますが、多分暮らしている人には当たり前と思っているのでしょうが、何かわが家とは違う動物の匂いのようなものを感じたりすることがあります。

 先日一人暮らしのおばあちゃんに会いましたが、そのおばあちゃんの目が真赤に腫れているのです。よくよく聞いてみると同居していた猫が戸口を開けた途端外に飛び出し、車に引かれ死んでしまったというのです。身寄りのないおばあちゃんにとってこの猫は生きがいであり、唯一の話し相手だっただけに、その悲しみは察するに余りあるものでした。死んだ猫をどのようにして手厚く葬るか考え、市役所に電話をかけたのだそうです。犬猫担当とおばあちゃんが言う人は、多分野犬などの係りの人だと思われますが、人間と同じく猫の死骸をダビにふしお墓を造ってやりたい旨の相談だったようですが、担当者は「猫の死骸は人間と同じには出来ません。ゴミ袋に入れてゴミに出してください」で終わりだったそうです。そのことを聞いておばあちゃんの悲しみは倍化し、目を真赤に腫らしたという次第です。

 人間の世界で身寄りのない人にとって愛玩動物は人間以上の共生の意味を持っています。それをゴミと一緒にされたのでは悲しむのが本当です。だからといっておばあちゃんの願いを聞き届けてダビにふしたりのお手伝いは出来ないでしょうが、せめて心を癒す言葉くらいは持ち合わせた行政マンであったらと、おばあちゃんの話を聞いて思いました。

 わが家にも長男が結婚する前から飼っている土佐金という金魚が数匹飼われています。次男にその世話をするよう伝えて家を出ましたから、ブツブツいいながら次男は金魚の世話をしています。でも飼っているとなつくので今は余りブツブツいう声は聞かれなくなりました。

 人間もそうですが、動物や植物には必ず死なるものがやって来ます。可愛ければ可愛いほど死など考えにくいものなのです。しかし死を覚悟して飼うぐらいの覚悟がなければこのおばあちゃんのように気狂いに似たことになりかねません。ペットの飼い方にはくれぐれもご用心。

  「猫死んで 嘆き悲しむ おばあちゃん 死骸ゴミだと 言われ再び」

  「昔かな 将軍綱吉 お犬様 笑ったけれど それに似たよな」

  「犬猫の 病院人より 大流行 保険利くかと 窓口尋ね」

  「犬の糞 片付けせずに 通り過ぎ ウンが付くのか ウンの尽きだか」

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shin-1さんの日記

○山が萌える春

 上灘川を挟んだわが家の対岸の山は、安山岩の岩肌があちこちに見える急峻な地形の山です。中世の城郭本尊城の跡で、今でも山頂には一級といわれる石類群が残っており、松山城とほぼ同じの高さゆえに海に突き出たような山頂からの眺望はすこぶるよく、城を築いた武将たちの先見性が偲ばれます。まちづくりの草創期私たちはこの山頂に中世の城郭を再現してはと提案し、足しげく山頂に上って矢竹を刈り綿密な調査を行ったものでしたが、その夢もはかなく消えて今はひっそりとした佇まいを見せています。

 この山はわが家から見ると余り綺麗ではありませんが、長浜寄り、つまり唐崎やふたみシーサイド公園から見ると独特の風格で一山をなし、町のシンボルとしての呼び名も高い名山です。この山へ登るには天一稲荷神社からの赤道しかなく車では行けないことから松やクヌギといった自然雑林に覆われ、人工の樹木はまったく植えられていません。ですから季節の変化が著しいのです。

 最近の山は戦後の植林が進んでどの山も年中緑で余り変化のない山が多く、それを人間は美林だと勘違いをしていました。しかし最近になってCO2などの環境問題が取りざたされるようになったり、昨年や一昨年のような相次ぐ台風で杉や桧の脆さが露呈して改めて自然林の自然治癒能力が見直されてくると、手を付けられなかった本尊山のような価値が改めて見直されるようのなったのです。

 今まで金にならない価値のない山とされていた山が人間に優しい山となるなんて、まさに一周遅れのトップランナーのような気がします。この山を見続けている私としては大変喜ばしいことで、年に一度は草深いこの山に感謝の念を持ちながら登って自然の恵みをに感謝しています。しかし残念かな地元の人はこんな時代遅れな山へは登ろうとしません。ふと数年前自著「昇る夕日でまちづくり」という本に書いたブラジルリオデジャネイロのことを思い出しました。

 双海町の春分の日頃の夕日は、地球の裏側ブラジルリオデジャネイロの朝日なのですが、そのリオの入り口にはシンボル的な山があってその山頂にはイエスキリストの大きな像が建っています。夕日と朝日こそ違え何か良く似た光景を思い浮かべ、本尊山の山頂にも何かあったら面白いと考えるのは、夢を食べて生きてる私の真骨頂なのですが、この夢は実現出来そうにもありませんのでこのくらいで止めておきます。

 夏の緑、秋のハゼ紅葉やクヌギ紅葉の美しさ、冬の落葉寂しい木枯らしの季節、そしてこの頃になると山桜が咲いて山は一気に芽吹きの頃を向かえ、「山萌える」という表現がピッタリの季節となりました。昨夜来の雨と南の風の恵みでしょうが、こんな季節感を味わえる原風景はわが家の借景だけでは勿体無い気持ちです。今朝も散歩しながら山に向かって大きく深呼吸しました。

  「山萌える 色とりどりの 芽吹き受け 大きく胸を 広げて呼吸」

  「価値のない 山だとみんな 言うけれど 見方変えれば 俺の財産」

  「つわものが 山に築いた 城の跡 草苔深く 今は眠りて」

  「この町の 夕日はリオの 朝日にて いつか訪ねて この目で見たい」

 

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