shin-1さんの日記

○これが噂の五右衛門風呂です

 ブログに写真を挿入するのが夢でした。昨夜から息子夫婦が泊まりにきたものですから、これ幸いとブログにデジカメで撮った写真を入れることを教えてもらおうと思ったのですが、私と息子の生活のリズムが違っていて結局昨晩は教えてもらうことが出来ませんでした。今日も結婚式があり、私がわが家へ帰ったのは夕方5時ごろでした。息子は水平線の家の囲炉裏のフードを児童的に上げ下げするチョッパーの据付に苦心したのか、帰ってみたら疲れてコタツの中で昼寝です。今晩は7時30分から神社の総代会があるので、何としても教えてもらおうと起して教授を願いましたが、残念かなわが能力はそれについてゆくことが出来ず、ついに途中で残念ながら休止となりました。

 息子の残したメモを基に遊び半分でいじっていると、何とこの五右衛門風呂の写真が入ったのです。やったーと思いましたが、残念ながらこの写真は完成間近な頃の暖簾をつけてデモンストレーション中の写真であることが判明、でも雰囲気はつかめるはずです。

 どうです、この写真の向こう側の木窓を押し上げると海と空と水平線だけ180度の視界を独り占めしながら五右衛門風呂に入れるのです。

 写真を入れるとブログも説明がし易くリアルですね。どうです。藍染めの「ゆ」なんて暖簾は隠れ家の湯って感じだし風流でしょうが。私はまだこの風呂には入湯していませんが、一番風呂に入った息子の話だと最高だそうです。ブログを毎日見ている人からは早く写真をとせがまれていました。私のデジカメで撮った写真は容量が大き過ぎて、その容量を小さくしなければブログに入らないことが原因なのですから、容量を小さくする技術さえマスターすれば何とかご期待に答えられそうです。乞うご期待って所です。

  「やっとこさ デジカメ写真を ブログにて 紹介できた 何かの拍子に」

  「本当は 今の写真を 載せたいが 誤り気付くも 時すで遅し」

  「見て俺が 最初に送った 写真です 屋根は竹葺き 暖簾は藍染め」

  「消えるかも びくびくしながら 写真処理 ワンランクアップ もう直ぐマスター」

 

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shin-1さんの日記

○この身に付けているものなんぼ?

 私の友人に木村君という人がいます。50歳も半ばの人に君付けは失礼かもしれませんが、私はあえて木村君と呼んでいます。彼と知り合ったのはフロンティア塾でのことでした。私たち21世紀えひめニューフロンティアグループが10年で40回を目指した塾に、彼は殆ど毎回足繁く通ってきました。他の人のように人との人間関係や学びを重視せず、もっぱら卓話や討議後の夜なべ談義に重きを置いた奇妙な行動は、際立っていただけに誰からも愛され、いつの間にかすっかり塾の人気者になっていました。彼を決定的に有名にしたのは仕事が車の修理工場を経営していることもあって赤いつなぎの作業服を着ており、その姿で何処へでも行くことから、「赤トンボの木村さん」なんて愛称もつけられていました。何せ赤いつなぎの作業服で結婚式や葬式まで参列参加するのですからその徹底振りは半端ではありませんでした。塾が終了してもう5年になりましが、彼はフロンティア塾で知り合った仲間とせっせと交流を続け、高知県の四万十マラソンや内海の歩き遍路にも参加するなど義理堅い行動をしており、立派と言う他はありません。

 今日稲葉さんの結婚式で久しぶりに同席しました。懐かしい話に花を咲かせ一緒に酒宴に付き合いましたが、歌は歌う、酒は飲む、馬鹿騒ぎはするで、多いに結婚披露宴を盛り上げてくれました。最後は少し酩酊状態でしたが一緒の帰り道だったので同乗して家の近くまで送りました。途中酩酊と小便が重なり、信号待ちしている土手沿いの道で降り、平気で小便をするあたりさすが大物なのです。

 ところで今日の結婚式に木村さんはスーツ姿で現れました。「おい赤いつなぎはどうした」とみんなに冷やかされていましたが、受付近くで一服しながら私に「スーツは窮屈で困る」と前置きし、「進ちゃんこのネクタイなんぼか分る」と唐突に言うのです。「さあ」ととぼけましたが木村君は「これダイソーで百円じゃった」というのです。「うそー」と言うと、追い討ちをかけるように「このワイシャツは300円、カフスボタンも100円じゃあ」と豪傑笑いでした。カフスボタンは買って付けようとするとワイシャツに穴が開いてないことに気付き、釘で開けようとしたのですが、釘が錆びていて、結局は諦めた」と笑い飛ばしました。一年に何回も着ないものにお金をかけるのは馬鹿げていると、合理主義者ぶりをアピールする彼の生き方も何処かで見習いたいものです。要は自分サイズで生きることなのです。

 木村君からフロンティア塾の再会を懇願されました。フ「ロンティア塾に入るまでの自分は盃のような人間だった。フロンティア塾で多くの人を知り自分が丼までは行かなくても茶碗くらいになれた気がする」と述懐する彼の言葉は決してお世辞ではなく本心からの言葉だと思います。人間牧場が出来たら必ず塾を開くからと約束をして、酒の匂いぷんぷんの木村君を松前郵便局の近くで降ろしわが家へと向かいました。

  「俺の身に 付けてるネクタイ 一万円 木村百円 見た目は変わらず」

  「気にするな 背広良くても 値打ち別 人は見かけで 判断できぬぞ」

  「お祝辞に ハーモニカ吹く 奇抜さが 受けて大きな 拍手ぱちぱち」

  「隣席 座った人が 知っている 俺の名前と 俺の素性を」

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shin-1さんの日記

○結婚式披露宴の祝辞

 私には結婚式に出る場合、おおよそ三つのタイプに分けられます。一つは親族の結婚式です。親類縁者の多い私は自分の息子や兄弟にいたる結婚式に親族として出席しました。その場合は親族代表などのあいさつがあるのですが、まあ短く話し酒をついで会場を盛り上げる役に徹します。2つ目は知人友人につながる結婚式です。その場合は上司や友人としてあいさつを頼まれますが、酒を飲んでいない早い時間なので自分の思いを言葉に託ししんみりと厳格にお話します。三つ目は司会として結婚式に臨みました。披露宴の司会は田舎の公民館結婚式の普及を目指した公民館に勤めていたこともあって、何と537組もの司会をやりました。

 今日はその分類からすると2番目の友人の息子さんの結婚式に招かれ全日空のホテルへ昼前に行く予定です。先日新郎のお父さんから祝辞を頼まれました。断る理由もないのであっさり引き受けたら先日、お父さんと若い二人があいさつに見えられました。内気で口下手で無口な私としましては、普通はそんなに深く考えず、書きもせず出たとこ勝負で祝辞を喋るのですがさてどんな話しの組み立てにしようか考えてみました。新郎の父親のリクエストは、私の息子の結婚式に父親のあいさつ代わりにハーモニカを吹いたのが気に入って、是非ともハーモニカをというのです。でもいくらリクエストと言われても余興ならいざ知らず主賓のあいさつにハーモニカとは?と思いましたが、仕方がないのでやりたいと思ってます。

 全日空の披露宴会場をイメージしてみました。

 「春や昔十五万石の城下かな」松山出身の正岡子規も詠んでいる松山城は、満開の桜に埋まる大安吉日の本日ここに、ご両家の結婚披露宴が目出度くも厳かに催されるに当り、お許しをいただき一言お祝いのお祝辞を申し上げます。私は新郎のお父様と実懇にさせていただいております若松と申します。新郎新婦ならびにご両家の皆様本日はお日柄もよく誠におめでとうございます。

 聞き及べばお二人の出会いは松山南高校デザイン科での学びに遡るそうですが、日本列島には一億人を超えて住んでいるその中からお互いがお互いを知り合ったことはまさに軌跡としか言いようがありません。そんな一億の星と生まれたお二人が深い縁で結ばれたことは、先日のオリンピックで金メダルを取った荒川静香さん以来の快挙であります。荒川さんはイナバウウアーで観客を魅了しましたが、実はイナバウアーのご本家は荒川さんではなく、新郎の稲葉家が長年営んでいる自動車塗装の技術の一つであり、新郎の技術を今日からイナバウアーと呼ばせていただきます。

 新郎は今日新車として新婦を購入しました。普通これほどの新車だと軽く一千万円はくだらないだろうと思うのに新郎は結納金という砥部町の相場で買えたのですからこれは相当得をした買い物と言わざるを得ません。ディーラーから買ったぴかぴかの新婦という新車は車と同じで長い年月には色あせ時には人生の凹みも出来るでしょうが、新郎の技術で磨きや塗装を怠らずしっかりと手入れをして何時までも人生の長い道程を二人で助け合い走って欲しいと思います。

 人生のはなむけに私は使い古しのハーモニカを用意しました。私は小学校中学校を通じて音楽の通知表は2でした。でも練習すると何とか吹けるようになりました。これは先生が私の潜在能力を見抜けなかったからです。今ではどうにか吹けるようになって160曲も吹け、先日は下灘駅で関口宏さんの息子さんと列島12千キロ鉄道の旅で全国放送されるほどに下手糞ながら楽しんでおります。今日はご両家のお母さんに「母さんのうた」と、嫁ぐ娘を気遣う芦屋雁ノ助の「娘よ」を吹きます「。母さんの歌」に込められた子どもが思う子育てへの感謝の気持ちも、嫁ぐ娘に対する親の気持ちも汲み取りながらしっかりといいご家庭を築いて下さい。

 「♪母さんの歌♪」「♪娘よ♪」

 新郎新婦の幸せとご両家の益々のご発展を頃からお祈りいたします。本日は誠におめでとうございます。

いかがかな、こんな祝辞は・・・・・・・・・。

  「いいことを 言おうとすると 恥をかく ありのままなる 普段の話を」

  「結婚は 楽しいことが 半分で 後の半分 苦しいことも」

  「祝福の 拍手忘れず 頑張ろう そうすりゃ楽し 二人の未来」

  「祝辞いう 私はそんな 歳になり 分ったような 分らぬ話を」

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