shin-1さんの日記

○結婚式披露宴の祝辞

 私には結婚式に出る場合、おおよそ三つのタイプに分けられます。一つは親族の結婚式です。親類縁者の多い私は自分の息子や兄弟にいたる結婚式に親族として出席しました。その場合は親族代表などのあいさつがあるのですが、まあ短く話し酒をついで会場を盛り上げる役に徹します。2つ目は知人友人につながる結婚式です。その場合は上司や友人としてあいさつを頼まれますが、酒を飲んでいない早い時間なので自分の思いを言葉に託ししんみりと厳格にお話します。三つ目は司会として結婚式に臨みました。披露宴の司会は田舎の公民館結婚式の普及を目指した公民館に勤めていたこともあって、何と537組もの司会をやりました。

 今日はその分類からすると2番目の友人の息子さんの結婚式に招かれ全日空のホテルへ昼前に行く予定です。先日新郎のお父さんから祝辞を頼まれました。断る理由もないのであっさり引き受けたら先日、お父さんと若い二人があいさつに見えられました。内気で口下手で無口な私としましては、普通はそんなに深く考えず、書きもせず出たとこ勝負で祝辞を喋るのですがさてどんな話しの組み立てにしようか考えてみました。新郎の父親のリクエストは、私の息子の結婚式に父親のあいさつ代わりにハーモニカを吹いたのが気に入って、是非ともハーモニカをというのです。でもいくらリクエストと言われても余興ならいざ知らず主賓のあいさつにハーモニカとは?と思いましたが、仕方がないのでやりたいと思ってます。

 全日空の披露宴会場をイメージしてみました。

 「春や昔十五万石の城下かな」松山出身の正岡子規も詠んでいる松山城は、満開の桜に埋まる大安吉日の本日ここに、ご両家の結婚披露宴が目出度くも厳かに催されるに当り、お許しをいただき一言お祝いのお祝辞を申し上げます。私は新郎のお父様と実懇にさせていただいております若松と申します。新郎新婦ならびにご両家の皆様本日はお日柄もよく誠におめでとうございます。

 聞き及べばお二人の出会いは松山南高校デザイン科での学びに遡るそうですが、日本列島には一億人を超えて住んでいるその中からお互いがお互いを知り合ったことはまさに軌跡としか言いようがありません。そんな一億の星と生まれたお二人が深い縁で結ばれたことは、先日のオリンピックで金メダルを取った荒川静香さん以来の快挙であります。荒川さんはイナバウウアーで観客を魅了しましたが、実はイナバウアーのご本家は荒川さんではなく、新郎の稲葉家が長年営んでいる自動車塗装の技術の一つであり、新郎の技術を今日からイナバウアーと呼ばせていただきます。

 新郎は今日新車として新婦を購入しました。普通これほどの新車だと軽く一千万円はくだらないだろうと思うのに新郎は結納金という砥部町の相場で買えたのですからこれは相当得をした買い物と言わざるを得ません。ディーラーから買ったぴかぴかの新婦という新車は車と同じで長い年月には色あせ時には人生の凹みも出来るでしょうが、新郎の技術で磨きや塗装を怠らずしっかりと手入れをして何時までも人生の長い道程を二人で助け合い走って欲しいと思います。

 人生のはなむけに私は使い古しのハーモニカを用意しました。私は小学校中学校を通じて音楽の通知表は2でした。でも練習すると何とか吹けるようになりました。これは先生が私の潜在能力を見抜けなかったからです。今ではどうにか吹けるようになって160曲も吹け、先日は下灘駅で関口宏さんの息子さんと列島12千キロ鉄道の旅で全国放送されるほどに下手糞ながら楽しんでおります。今日はご両家のお母さんに「母さんのうた」と、嫁ぐ娘を気遣う芦屋雁ノ助の「娘よ」を吹きます「。母さんの歌」に込められた子どもが思う子育てへの感謝の気持ちも、嫁ぐ娘に対する親の気持ちも汲み取りながらしっかりといいご家庭を築いて下さい。

 「♪母さんの歌♪」「♪娘よ♪」

 新郎新婦の幸せとご両家の益々のご発展を頃からお祈りいたします。本日は誠におめでとうございます。

いかがかな、こんな祝辞は・・・・・・・・・。

  「いいことを 言おうとすると 恥をかく ありのままなる 普段の話を」

  「結婚は 楽しいことが 半分で 後の半分 苦しいことも」

  「祝福の 拍手忘れず 頑張ろう そうすりゃ楽し 二人の未来」

  「祝辞いう 私はそんな 歳になり 分ったような 分らぬ話を」

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