人間牧場

〇私が生まれた頃
 今年は令和6年です。平成36年、昭和99年です。今年の10月3日で目出度く傘寿80歳を迎えますが、今朝の愛媛新聞に「太平洋戦争」という4面ものユーキャン広告が載っていて興味深く読みました。DVD「太平洋戦争」の広告ですから、見流しすればいいのでしょうが、昭和生まれの私としては記憶にはないものの、語り継がねばならない近代の歴史ゆえ、DVDは買う金がありませんが、ウクライナやイスラエルなどで起こっている戦争に心を痛めているだけに平和についても考えさされました。

 

 昭和6年9月18日に満州事変が始まり、昭和20年8月15日玉音放送で戦争は就結しましたが、この14年間の中でも昭和16年12月8日に真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争の5年間は、多くの犠牲者が出て日本の最も暗い苦悩の年月でした。そんな中私は敗戦色濃い昭和19年10月3日に生まれ、一つ違いの妻は敗戦後間もない昭和20年9月12日に産まれているのです。昔流行った歌の文句ではありませんが「戦争を知らずに僕らは生まれ、戦争を知らずに僕らは育った」のです。

 色々な意見もありますが色々な国の支援を受けながら、この78年間一度も戦争をすることもなく平和を享受でき、こうして食べるものにも不自由せず豊かになった国で生きているのです。戦禍に散った人のことを思えばもっともっと社会のために尽くさなければなりません。偶然にも宇和島水産高校の実習船愛媛丸で連合艦隊司令長官山本五十六の亡くなったガダルカナル付近を航行したり、珊瑚海海戦のあった珊瑚海でマグロはえ縄を行い寄港したニューへブリデスサント島で日本軍の上陸用舟艇の残骸を見た記憶が蘇りました。

 

 

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