〇愛媛大学マネジメントスキル修得講座(その2)
普通はレジメを用意して講演や講義をしない私ですが、大学の講義はそういう訳にも行かず、お茶を濁す形で数年前に作ったレジメを印刷してもらい、昨日は人間牧場での集中講義に望みました。さりとてこのところ忙しく、そのレジメすら一読することもなく当日を迎え、また昨日朝は子ども体験塾の開会式や底引き網体験に出港する子どもたちを見送るためにバタバタして、来客のため水平線の家の掃除もせねばならず、結局はぶっつけ本番の講義となってしまいました。そんなこんなで多少不安を抱えながらの講義でしたが、終ってみれば時間が足らず、あらためてアドリブに強い自分の姿に一人苦笑するのです。
昨日の講義は、テーマが地域活性化論でした。結論から言うと地域の活性化は人の活性化であり、行き着くところ自分のスキルをアップする自分づくりだと思うのです。冒頭で活性化のためには幾つかのゆとりが必要だと述べました。私が考えるゆとりには大まか①時間的ゆとり、②空間的ゆとり、③経済的ゆとり、④教育文化的ゆとり、安心安全のゆとりがあって、それらを総合した精神的、人間的ゆとりがあれば、活き活きと元気に日々を暮らすことができるのです。スケジュールに追い回され時間的なゆとりがないと苛立って、何事も中途半端になり、時には様々なトラブルを誘発するものです。私は時間的余裕をつくるため早起きを心がけています。毎朝午前4時に起きてその日の準備にとりかかる習慣は、何かにつけてせっかちな私の心を落ち着かせ、それが習慣化してゆとりある人生の源となっているようです。また一線を退いてできた自由時間の増大も欠かすことのできないゆとりのひとつです。
空間的ゆとりは田舎ののんびりした空間、広い自宅の空間、眺望開けた人間牧場空間、町全体の醸す空間等様々ですが、時折それらを離れて価値を再認識しながら生きています。皆さんが第一に挙げたがる経済的ゆとりは私の場合三番目以下の値打ちだと思っています。リタイアし年金暮らしですが、食べることには困らず最低限な人並みな暮らしができれば、これ以上望む必要もないのです。教育文化的ゆとりはその人の教育文化レベルに比例するため、私の教育文化的レベルはそんなに高くないため、まあそこそこのゆとりで満足しています。ただ安心と安全のゆとりとなると話は別で、予期せぬ自然災害や家族の健康不安など、特に年老いた親父の在宅介護などは多少の不安を抱えているというのが正直なところです。総合的な人間的ゆとりはある方だと思いつつ、さて自分はさて置き地域のゆとりはあるのだろうか?と思いつつ、地域活性化論の講義を受講生20人を前に延々6時間やりました。
「何と何 あれば幸せ 感じるか あれこれゆとり なければならぬ」
「お金さえ あれば幸せ 言う人が 結構いると 時々思う」
「金なくば どこかぎすぎす するゆえに ささやかだけど 将来備え」
「安心と 安全確保 したいけど 老いの親父の ことが気がかり」