人間牧場

〇学校五日制の行方

 私たちが子どものころは土曜日は昼まで授業、夏休みも30日程度。勿論給食などはなく、トイレも汲み取り式で、勉強などは二の次でのんびりゆっくりと時が流れていました。最近の学校は木造校舎が鉄筋コンクリートに変わり、冷暖房まで完備し、(つい最近は木造校舎に回帰しているところもあるよう)、校門には防犯のため門扉がつけられる物々しさで、木が交わって学ぶと書いて学校と呼んだ、校庭に二宮金次郎銅像の建つ学校らしい学校は姿を消しているようです。

 最近までは行き過ぎた学歴社会、学力偏重から生まれる様々な青少年の問題行動を是正するため、「ゆとり教育」が行なわれ、長年続いた土曜授業がなくなって学校五日制がすっかり定着していますが、ここにきて教育改革が議論され始め、土曜日の授業再開や六・三・三制の見直し、三学期制の見直し、飛び級制度、幼・小・中・高一貫教育、高校の義務教育化などなど、枚挙に暇のない議論が地方や親の意見をないがしろにして、中央集権で行なわれているようです。学校五日制の時も、ゆとりから学力への方向転換の時もそうでしたが、東京や文部科学省がくしゃみをすると、田舎や現場は風邪を引くの例えどおり、大きな混乱を余儀なくされました。特に文部大臣が変わる度に政治家のいい加減な思いつき発言に翻弄されてきたことも紛れもない事実なのです。

 仮にいま考えれれている学力向上のための土曜日授業の導入は、やっと学校五日制が定着して、家庭や社会がそのリズムに乗ったばかりだし、勿論子どもたちのために社会教育が受け皿になって休日の活動が活発に行なわれるようになったばかりなのに、また元に戻すという安直な考えはどう考えてみても可笑しいような気がするのです。異常に進んだ少子化で学校は否応なしに統廃合され、昨日まで保育園や幼稚園に通っていた一年生の児童が、13キロも離れた小学校へ毎日バス通学する姿は、まさに異常としか思えないのです。明治以来小学校は子どもが歩いて行ける距離にありました。通学の途中で出合う地域の人や道端の自然との無駄とも思えるようなふれあいで、子どもは多くのことを学んでいたのです。

 世の中には変えてはならないことと、変えなければならないことがあります。今の世の中は変えてはならないのに変わったこと、変えなければならないのに変わっていないことが、余りにも多過ぎるような気がするのです。不易と流行はある面相反するものに見えますが、共存も考えなければなりません。教科書無償供与や授業の無料化などはあっても、子どもの教育にお金がかかり、学校が遠いため子どもの送り迎え等をしなければならない、親の苦労も中々大変なようです。
 一応子育てが終ったわが家では、私が小・中・高の学校評議員をしたり、同居の孫が小学校に通うようになり、教育議論が再燃しています。さあどうしましょうか。

  「学校が 五日になつた あの時は 賛否両論 そういえばあった」

  「五日制 やっと落ち着き 定着す どこかで誰か 元に戻せと」

  「大臣が 変わると私 こう思う 取り巻き人が それを鵜呑みに」

  「世の中にゃ 変えてはならぬ ことがある 変えるのならば 説明責任」

[ この記事をシェアする ]