〇初七日の念仏
時の流れは早いもので、妹が嫁いでいる家のお父さんが亡くなってから早くも初七日、一週間が過ぎてしまいました。葬儀の後に初七日の仏事が行なわれ、組内の人が葬祭会館で念仏をあげてくれましたが、初七日から四十九日までは毎週妹の家に集まって午後7時から念仏が行なわれるのです。私も昨日は夕方から松山で所用があって出かけており、出席が叶わないと思っていましたが、用事が思惑以上に早く終ったので急いで引き返し、出席しました。座敷に設えた祭壇には遺骨、遺影、位牌、塔婆などの他に、お料具膳も供えられ、葬儀の時に贈られた盛籠なども飾られて、線香の煙が故人の遺徳を偲ばせてくれました。
故人となった妹の父親は穏やかな人柄だったため、また親類縁者も多くて沢山の人が集まっていました。線香を手向けてお茶をいただきながら雑談をしていましたが、やがて予定した顔ぶれも全て集まったようなので、5分前に念仏は始まりました。
私は無信心で未だに般若心経も覚えていませんが、念仏を唱えるために位牌の前に座った妹婿は、経本を取り出していきなり難しいお経をまるで和尚さんのように、朗々と唱えるのには驚いてしまいました。私はそのお経がまったく分からずただ口をパクパクして節に合わせて念仏を唱えるだけでした。やがて念仏が終るとお菓子や果物が出され、ビールも振舞われましたが、車で来ている人が多いので、近所に住む人たちだけが少し飲んでいたようです。
つい最近は皆さん忙しい人が多いのか、あるいは古いしきたり等知らないし知ろうとしないのか、こうした仏事は次第に姿を消そうとしています。私の祖母や母が亡くなった時は初七日までは毎日、四十九日までは毎週念仏を欠かさずやりました。多分次の機会があってもそのしきたりだけは、後を継いだ長男の務めとしてやらなければならないと思っているのです。
鉦を叩きながら念仏を唱える田舎の四十九日までの風習は、妹婿のようにお経や念仏を唱える先導者がいないと成り立ちません。はてさてこれから私もせめて最低でも、般若心経くらいは覚えなければと、妹婿の姿に感心しながら思いました。
わが家の仏壇も息子たちと同居することが決まった時、息子たちのキッチンにある仏壇も、息子はキッチンのリニュアールにあわせて一緒にリニュアールしてくれました。キッチンを引き継ぐことは仏壇も引き継ぐことだと思ったようです。わが家では今回の同居を捉えて仏壇の継承移譲が、何のわだかまりもなくすんなり行なわれました。息子嫁は子育ての合間を縫って仏壇に茶果を供え、懇ろに手を合わせて祈りを始めているようです。孫たちにとって仏壇は少し怖い存在として、子育てに役立ってもらおうとも思っています。
先日娘の子どもがやって来て内孫と大騒ぎをして遊んでいました。棒切れで座敷の障子に穴を開けてしまいました。障子を破ることをわが家ではご法度としているので、泣き叫ぶ孫二人を私設公民館煙会所の中へ入れました。煙会所の床の間には西土佐村の友人から贈られた鹿の頭部と角が飾ってあります。孫たちはこれがとても怖いらしく、「もうしません。堪えて下さい」と謝りました。仏壇の前に連れて行って「もうしませんから堪えて下さい」と謝らせました。これは会津若松白虎隊の教えにもある、「ならぬことはなりませぬ」という少年教育の真髄なのです。
育爺のささやかなこの教育のお陰で、「おじいちゃんは怒ると怖い」というイメージを持っているようです。仏壇教育が廃れようとしている現代ですが、せめて4世代同居のわが家なので、その効用を活かしたいと思っています。
「初七日の 念仏唱え 懇ろに 御霊安らか 成仏するよう」
「近頃は 何でもかんでも 略式で 省く風習 少し誡め」
「育爺の 味方仏壇 力借り 威厳待たせて 善悪教え」
「俺はまだ 般若心経 それさえも 暗記もせずに のほほん生きる」
kazuさん
わが家でも、挨拶は大事だとみんなで挨拶をしたり、神仏に手を合わせるようにしています。
感謝の気持ちが伝わるような家族でいたいと思います。
育爺、育婆の役割は好いてもらうためだけではないのです。
お互いいい仕事をしましょう。
人間牧場主 若松進一
おはようございます!昨日と今日は留守番です。
孫のしつけは、大変ですね~
孫が火曜日と水曜日には学校から直接帰って来ますが
仏壇には、ただいまぁ~の挨拶をすることにしています。
手を合わせる事の少くなったこのご時世・・せめて我が家だけでもと
お嫁さんと話し合って、みんなで、おはようございますとか
挨拶をすることにしています。息子もあわただしい出勤の前に
神棚に行ってきます!と手を合わせているとか(笑)