〇ハレとクモリを使い分けた一日
昨日10月23日は秋祭りでした。秋祭りは地方祭と呼ばれハレの日です。五穀豊穣を神々に感謝し、敬虔な祈りを氏神様に捧げるのですが、わが家にとっては祭りがハレならば、早朝5時過ぎに妹からかかってきた一本の電話はクモリでした。
4~5日前から妹の嫁ぎ先のお父さんが危篤状態となっていました。96歳という高齢なこともあって、色々悩んだ末に「自宅の畳の上で死にたい」と常々言っていたお父さん本人の意思を尊重して、自宅で療養を続けていました。幸い下灘診療所のお医者さんが昼夜を問わず何度も自宅へ回診してくれたお陰で、病院に入院したのと変わらない医療が受けられていましたが、ついに力尽きて午前2時30分に天国へ旅立ちました。
知らせを受けて私は4キロほど離れた妹宅へとりあえず一人で弔問あいさつに出かけました。覚悟はしていたものの妹夫婦の落胆は相当なもので、眠れない夜を過ごしたこともあって芽を赤く腫らしていました。帰宅後そのことを親父に伝えると親父もかなりショックを受けたようで、「いよいよわしの番だ」と寂しくいいました。親父は足腰が少々弱っているものの、まあ93歳の年齢にしては比較的元気で、今も自転車に乗っていますが、「最後のお別れを言いたいので朝飯でも済んだら連れて行ってくれ」と言い出しました。私は親父が比較的乗り易い軽四トラックに乗せて出かけました。杖を突いて歩く親父の姿を見ながら少し小さくなったような感じがしましたが、親父は気丈にも妹のお父さんにしっかりとお別れをすることができました。
昨日はお祭りなので娘たち家族が遊びに来ていて、内孫外孫含めて4人の男の子が何かと賑やかでした。時折やって来る子ども神輿に手を合わせたり、近くのお旅所で行なわれる獅子舞を見に行ったり、不見識とは思いながら、心の整理もつかぬままハレとクモリを上手に使い分けて行ったり来たりしてしまいました。
残念ながら昨日は年輪塾小番頭松本さんと約束していた、下灘駅での劇団味噌汁定食の演劇を見ることは出来ませんでしたが、事情を携帯電話して許してもらいました。
夕方6時から通夜式に妻と二人で出席し、今日の告別式の相談などに乗りながら9時過ぎに自宅へ帰って来ました。娘たち家族は帰った後でした。息子と嫁は孫を寝かせた後祭りの片づけをしていました。
今日は本来なら納棺に立ち会わねばなりませんが、西予市の地域づくりグランプリの審査委員会が予定されていて、人数が少なく外せないため出かける予定です。葬儀は昼からなので、高速道路を使えば何とか間に合うだろうと算段しています。今日も忙しい一日になりそうです。
「ハレ・クモリ 行ったり来たり 不見識 心揺らぐも 仕方がないか」
「俺の番 いよいよ来たと 言う親父 どこか小さく どこか寂しく」
「行けなくて ごめん携帯 友に言う 今頃夕日 バック演劇」
「孫たちと 束の間祭り 体感す 悪ガキ三人 おどけてみせる」