〇67回目の誕生日
自分の名前や歳さえ忘れるようになっているのに、自分の誕生日など覚えているはずはないのに、昨日の夜娘家族と息子家族が松山に美味しい中華料理屋さんがあるので、みんなで食事をしながらお父さんの誕生日を祝いたいと申し出がありました。私は前日から鳥取に出張していて、少し疲れ気味なので余り気乗りはしませんでしたが、もう予約しているというのでしぶしぶ言葉に甘えることにしました。本来私の誕生パーティーですから、息子や娘がお金を出すのは当然でしょうが、そこはちゃっかり妻の財布から出るのですから、これはもう私の誕生日に名を借りた便乗夕食会の何ものでもないのです。そうはいいつつ妻曰く、「誕生日を祝ってくれる家族がいるのだから、幸せと思わなくっちゃ」と、甘い顔をしていました。
今朝西条に住む女性の友人から、「誕生日おめでとございます」とメールが届きました。丁度妻と二人で朝食を食べていた時だったので、妻が「お父さんは幸せね」と笑顔で言ってくれました。もうこの歳になると私の携帯に女性からメールが入っても、妻は私を信用しきっているのか妬く事もなく、少々物足りなささえ感じるのです。
早いもので私は今日で67歳です。気がつけば退職して6年半が過ぎたのです。私は60歳から始まった文字通り第二の人生を、それまでの半生以上に楽しく生きています。仕事ではない講演や大学での講義等、仕事のような遊び半分の仕事に現を抜かし、地域づくりと称するこれまた遊び半分のボランティア活動を目いっぱい楽しみ、自費で造った人間牧場を拠点に、いささかなりの地域貢献をしながら生きているのです。誰に命令されるでもなく、楽しい、新しい、美しいをモットーに、家族や仲間とともにイキイキと輝いて生きているのです。
やりがいのある仕事と充実した私生活を両立させることをワークライフバランスといいます。誰もが願わくば仕事と私生活を両立させたいと思っていますが、仕事に比重をかけると私生活が疎かになり、私生活に軸足を置きすぎると職場での仕事が上手く行かず、世の中は中々上手く行かないものです。
その点今の私は均衡のとれたワークライフバランスだと思うのです。勿論私のワークライフバランスを保つために、多くの人が支えてくれていることは百も承知で感謝しながら生きています。私が健康なのは妻のお陰、私が活動できるのは友人のお陰と思っています。一日や一ヶ月を何も考えずに暮らしても、それなりに過ぎて行くものです。でも私の一日一ヶ月は、ブログに書いた記事が示すとおり、ハラハラ・ドキドキ・ジーンの連続で、人から見れば他愛ないことで記録に値しませんが、私なりに満足して生きているのです。
高知県馬路村の友人からたった今、携帯にメッセージが入りました。「順調に加齢してますね」「私も順調に加齢」とあります。私も友人も同じように一年に一つずつ加齢するのです。数日前に出会った同級生が、「わしらは苦労して育ってひとつもいいことがなかった。つまらん」と嘆いていました。そして「お前が羨ましい」とも言ってくれました。同じ時間、同じ日数、同じ年齢を生きても、心一つでこうも生き方が変わるのかと、その人の後ろ向きな生き方を思いました。私たちは過去へタイムスリップすることはできません。過去を嘆いても何も見返りはないのです。「もっと前を向いて目標を持って生きて行こう」と諭しましたが、同級生は「お前のように生きることはできん」と、ばっさりでした。人はどうであれ、自分の中に生きているもう一人の自分を強くしながら対話して、これからも楽しく生きて行こうと思っています。「67歳万歳!!」「67歳最高!!」です。
「誕生日 おめでとうメール 女から 妻妬くこともなく 風に流して」
「もうそんな 歳になったか 六十七 まだまだ先は 長くて楽し」
「誕生日 祝って食事 支払いは 妻の財布を 当てにする子ら」
「何歳に? あなた順調 私も同じ メールを読んで ハッと気がつく」