〇叔父の葬儀
13日の金曜日とはよく言ったもので、私にとっても厄日となったようです。この日は午前中家の裏庭の草を刈っていました。エンジン音を響かせて草刈機の刃の部分に集中していると、周りの声など耳に入ってこないのですが、突然近くで大きな声がしました。エンジンを止めて道に下りると声の主は近くに住む叔母でした。伯母の話だとこの日の朝叔父が病院で亡くなったというのです。
2年前のこの伯母は夫である叔父を亡くし、昨年は姉である伯母を亡くしました。そして今度は姉である伯母の夫である叔父の死でした。相次ぐ訃報に長兄の親父も少し落胆したようですが、これも世の定めなのでしょうか。
土曜日は通夜、日曜日は葬儀と週末は慌しく過ごしました。幸いなことに妻も仕事を休まなくて済みましたが、葬儀事は心に重い空気が流れてテンションが下がり中々疲れるもので、昨日は初七日法要や精進落しなど全ての仏事が終って自宅へ帰ったのは午後8時過ぎで、直ぐに風呂に入り、直ぐに床について早めに休みました。私も妻も同居の孫から譲り受けた風邪が完治しておらず、葬儀会館の冷房に当たったせいか、風邪が再びぶり返し、熱はないながら鼻は詰まる、喉は痛いの症状が今朝になっても治る気配がないようです。冬の寒さには一度も風邪を引かなかったのに、この時期に風邪を引くなんて情けない限りです。
叔父森脇松太郎は若い頃地元の郵便局に勤めていました。退職後は民生委員の総務などをやったり、趣味の書道を続け伯母と孫に囲まれゆっくりと老後の生活を楽しんでいました。息子夫婦や五人の孫の養育の関係で松前町神崎に家を建て移り住みましたが、双海町灘町の自宅も人手に渡すことなくそのままで残っています。
週末の仏事には久しぶりに多くの親類が集まり、叔父の思い出話や親類の近況など、懐かしい話に花を咲かせましたが、親父の兄弟である叔父や叔母も高齢となって体の不調を訴える人たちが多くなったようです。「次はわしの番かも知れない」などと笑いながら話す姿に人生の侘しさも感じました。
88歳で亡くなった叔父の戒名は大光院松寿徳道居士でした。法要読経の後住職さんが戒名やこれから始まる仏事にまつわる話を説教してくれました。初七日や四十九日、百日、一周忌、三年、七年、十七年と遠のくものの仏事は限りなく続くのです。お盆や春秋の彼岸などを含めると何と多いことでしょう。最近はこの仏事も随分簡素化されてはきましたが、それでも家を守る人にとってはこれから一苦労のようです。
長男の嫁である妻も祖母や母を見送り、その都度仏事を取り仕切ってきましたが、何もしない私にできることは感謝の気持ちと、同居し始めた息子の嫁にしっかりと受け継いで欲しい願うことぐらいです。降って湧いた叔父の死は私たちに様々な教えを残してくれたようです。
追伸。
私が最近出版した「夕日徒然草・地の書・水の書・火の書」の題名はこの叔父に書いてもらったものです。間もなく「夕日徒然草・風の書」を、来年には「夕日徒然草・空の書」を出版する予定ですが、叔父が゛書いてくれたものを今後も使う予定です。49日の法要に間に合うかどうか分かりませんが、出来上がれば懇ろに仏前に供えさせてもらいたいと思っています。
「米寿まで 長生きできた 叔父が逝く 悲しいけれど 世の中定め」
「頼み込み 本の題名 筆で書く 三冊の本 手元に残る」
「久方に 親類一堂 集まりて 懐かしきこと 蘇らせる」
「人の世は はかなきものと 思いつつ 涙流して 最後の別れ」