〇心を磨く100の智恵・その5「人の心は移ろいやすいと知る」
【人の心は移ろいやすく、人生の道のりは険しい】
人の情けは紙風船のように軽いと人はいいますが、それでも私は自分の人生において人の温かい情けを沢山受け、それを心の支えにして生きてきました。でも中には日和見や風見鶏のような人も沢山いて、日和や風向きが変わると見方から敵のような言動で追い討ちを掛けるのです。そんな人は再び日和や風向きがこちらに向いても二度と出会うことはないのです。
私の35年間の地方公務員生活で小さいながらも天上の役職をいただいたのは課長と教育長でした。課長といっても課長の私以外部下がまったくいない一人だけの珍しい課長を9年間の間に3年間過ごしました。その後市町村合併で双海町という自治体がなくなるまでの2年間教育長をしましたが、教育長を含め全ての公職を辞して素っ裸になった時、人の心は移ろいやすいと知ったのです。
それまで私にへつらうようにお辞儀をしていた学校の先生の中には、私と分かっていても挨拶や言葉を交わさず遠ざかるような態度の人も何人かいたようです。勿論私の教育に対する厳しい言動や、私の人格の未熟さがそうしたのでしょうから、相手を責める訳には行かないのです。そんな先生たちも退職後6年間ですっかりいなくなり、今はむしろ退職して長いというのに、昔のご縁で深い付き合いをしている先生も沢山いるのです。
私の町の町長さんをしていた人のお父さんは目が不自由でした。ある時部下と一緒に公用車で走っていて、そのお父さんが散歩している姿を見かけました。私は深々と頭を下げて会釈して通り過ごしました。すると部下の若い職員は私の行動に奇異を感じたのか、「あの人は目が不自由です。挨拶しても見えませんよ。あなたは町長さんのお父さんだから挨拶したのですか」と質問されました。私は「町長さんのお父さんだからではなく、一人の町民として頭を下げたのだ。たとえ目が見えなくても心眼は見えるものだ」と格好良く切り返しました。
確かに町長さんの父さんは目が不自由なので科学的には挨拶しても見えません。しかしある時町長さんのお宅へお邪魔してお父さんと面談した時、「いつも私に挨拶してくれてありがとう」と唐突に言われた時は、ハッとして驚いてしまいました。
人の心は移ろいやすいと感じるのは一般市民ではなく、むしろ席を並べた経験のある職場の同僚が多いようです。しのぎを削って言い争ったり競争したりした人は辞めた途端に疎遠になりがちです。
任ゲッは自分の人生において貧乏だったり、左遷されたり、時には病気になったり落ちぶれたりします。そんな時暖かい手を差し伸べてくれた人は忘れられないものです。こうした人の心の移ろいを嘆かず驚かず憤らず、楽あれば苦あり、苦あれば楽ありと泰然自若な平常心を持てるかどうか、自分の心の大きさが試されるのです。辛酸を嘗め尽くしていれば、世の中はそういうものだと思って生きてゆけるのです。
「人生の 谷底落ちた その時に 手を差し伸べし 人は忘れじ」
「手の平を 返したような 人もいる 泰然自若 生きてゆきたい」
「人心 移ろいやすいと 思いつつ ついつい信じ ついつい落胆」
「心得よ 毀誉褒貶は 人の常 せめて自分は ならぬようにと」