○限界集落リレー講演会&映画会
昨日は久万高原町で限界集落の研修会がありました。この研修会は県下3ヶ所で、しかも同じプログラムで行うもので、昨日の久万高原町が最初でした。今日は伊方町三崎、明日は愛南町でえひめ地域づくり研究会議のメンバーが実行委員会を組織してそれぞれ開くのです。結果的には人集めや会場選びなど開催地の人たちに迷惑をかける結果となってしまいました。それでも「限界集落」というテーマが愛媛県内の過疎地では、好む好まざるにかかわらず今日的テーマであるだけに、久万高原町の会場となった上浮穴産業文化会館には80人近くの人が集まりました。
映画上映ができる会場ということででメインホールを使ったため、空席が多く少し寂しく感じられましたが、テーマが限界集落だけに余計情感をそそりました。
映画は九州の寒川という集落が消えた村の物語で、離村前と離村、離村後の様子が豊かな自然の移ろいを織り交ぜながら上映されました。寒川の場合もご多分に漏れず、少子化による学校の廃校が引き金となって離村のスピードが上がったようでした。村に残りたいけど残れない悔しさがスクリーンから滲み出て、廃校跡で開かれた村の同窓会や専門家の話にも、行政の現場にいただけにリアルでした。大ヒットした映画「三丁目の夕日」と同じように、戦後からバブル期を同じように生きてきた私にとっては、身につまされるシーンが多く、少し涙ぐむ場面もありました。と同時に限界集落といわれる地域からやがて第二、第三寒川のような地域が出るのかと思うと、やり場のにむなしさも感じました。
続いて熊本大学の徳野貞雄先生の講演を聞きました。先生とはもう何度も顔を合わせており、わが町のシンポジウムや人間牧場で開かれた逆手塾にも来ていただいているので、その話芸の巧みさには驚きませんでしたが、熱が入ると時間を忘れて話す悪い癖(笑い)(失礼)は今も健在のようで、講演が大幅に伸びてディスカッションの時間が殆ど取れずに終わって終いました。
先生の話では、行政の無責任な平成の大合併の罪は大きく重く集落にのしかかり、しかも行政は電卓でデータ的に限界集落を決めてかかっているようだと厳しく指摘糾弾しました。実際に限界集落と呼ばれる地域に入って現地調査をしてみると、限界集落の中には消滅するであろう集落と、近隣に出て暮らしている子どもたちとの交流もあって生き残る集落もあるので一概に電卓だけで決めつけることはできないと、調査の必要性も話されました。消える運命にある所には福祉を、生き残るところには地域づくりを支援することが大事だとも説かれました。
この研修会には伊予市から日ごろ限界集落の勉強会にも加わっている人たちを含めた8名が参加しました。一緒の車で出かけ帰りましたが、行き帰りの車内での話は年代の違う人たちなので、さながら時間切れでできなかったパネルディスカッションのようでもあり参考になりました。
限界集落をネガティブな問題ととらえるかポジティブにとらえるかは人それぞれです。地域住民の幸せを守る行政にはネガティブにとらえ、その解決に努力してもらわなければなりませんが、限界集落に生きる人たちにはポジティブに生きて欲しいと願っています。さて中間に位置する私たちはどういうスタンスで取り組めばいいのか、さしずめ限界集落の味方として、その解決のために行政にもの申す気概を持たなければなりません。そのためにはもっと限界集落の実態を詳しく研究する必要があるのかも知れません。
「そういえば 何度か高知 行ったけど 久万を通らず 迂回の道を」
「ひっそりと 静まり返る 久万の町 コスモス揺れて 秋の虫鳴く」
「冷えるから 妻の助言の 背広着て 二三度低い 山里の風」
「映画見つ 俺らも今に こうなるな ヒソヒソ話す 声も寂しく」