shin-1さんの日記

○人間牧場へ相次いでお客様

 夕焼けコンサートの日は、夕焼けコンサートに来る目的の人が、折角だから人間牧場へ来たいと来訪者が相次ぎ、午前二組、午後3組と人間牧場へ上がったり下りたりの対応でぐったりしました。それでもどの人も大事なお客様なので、しっかりと対応させてもらいました。

 最初に来られたのは双海町出身で太陽石油から石油備蓄に移られた佐々木克敏さんの案内で、太陽石油四国事業所長の見元さんと、四国経済産業局資源エネルギー環境部長の石渡さんの三人です。佐々木さんが何かの折に私や双海町の話しをし、その後私の「昇る夕日でまちづくり」という自著本を読み、夕焼けコンサートと人間牧場をセットにしたのです。

 私の生き方を自著本でしっかり予備学習しているだけあって、かなり期待を持って来られました。話し合いも微細にわたり見学も念入りでした。

(左が見元所長さん、右は石渡部長さん、真ん中は運転手さんです)
(左が佐々木さん、右は見元所長さんです。

 所長さんも部長さんも単身赴任らしく、初秋とはいいながら真夏のような暑さの中、木陰に入って軽く喉を潤しながら積もる話をしました。

 昨日の午前中、昨年度まで宇和島地方局長だった四之宮さんが訪ねて来られました。今は松山観光港に勤務されていますが、海に面したシーサイド公園の経営に携わった私の経歴から学ぼうとやって来たのです。シーサイド公園で待ち合わせをして、人間牧場へ行きました。私が通常通る狭い近道を通ったため驚いた様子でしたが、年代もそれ程変わらないので、積もる話しをしました。この日もガスがかかって沖合いに浮かぶ芸予や周防の島々は望めませんでしたが、初秋の天気は爽やかで最高でした。

(四之宮さん)

 私は役場の職員でありながら第三セクターを立ち上げ、苦労も多かったのですが赤字になることもなく次の人にバトンをタッチした貴重な体験をしていますが、貸借対照表や損益計算書など複式簿記から見えてくる様々な視点を随分学びました。そのことは役場職員や公務員という仕事からは殆ど見えてこないもう一つの世界でした。お陰で随分違った目が肥えて、異業種の経営者に会ってもそれなりにものが言え、それなりに理解が出来るのです。まちづくりは遊び心という視点は大事ですが遊びではありません。損得勘定が働かなければ経済には結びつかないのです。行政は住民の求めがあろうがなかろうが、またそれが経営上どうであろうが見通しも立てずシミュレーションもしないままハードへの投資をします。赤字になれば平気で公的資金を投入し単年度で赤字の上塗りをして連結しないのです。説明責任も結果責任も果たさぬまま大きな負担を結局行き着くところ住民に負わせて平気な顔をしているのです。

 人間牧場を下りながら、わが家と翠地区のグリーンツーリズムを案内しながら求めに応じ雑談の中でそんな話をしました。この日は今治市玉川町公民館の生涯学習講座の一行がバス一台でピザ釜の見学にやって来ていました。渡部妙子さんや森保子さん、山本加代子さんなど懐かしい顔々に、短い時間ではありましたがお会いしました。嬉しい限りです。

 何気なく過ぎて行く日々の中で色々な人と出会い旧交を温め、新しい縁をいただける幸せを、忙しい思いをしましたが実感している最近です。

  「人に会い 人に何かを 学びつつ 自分の気付かぬ 何か発見」

  「現職も リタイア組みも 入り乱れ わが生き様を 覗きに来おり」

  「秋来ぬと 目には見えねど そこここに 気配漂い 少し焦りて」

  「ああ俺も 間もなくひとつ 歳加え 前期高齢 グッと近付く」  


 

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shin-1さんの日記

○夕焼けプラットホームコンサート

 何だかんだといいながら、夕日にまつわることについては現場の第一線を離れていても相談があって、それなりに関わっていましたが、意識的に距離を保ち後方支援に回って自立・自律を促してきました。ここにきてやっと皆さんの気持ちもそれなりに高まり、そこそこでそれなりの歩みを始めていて頼もしく思っています。

 先週の土曜日、恒例の夕焼けコンサートがありました。このコンサートは早いものでもう23回目を迎えたのです。さて私は23年前、どんな思いでこのコンサートを立ち上げたのでしょう。あの当時私はまだ40歳でした。若かったせいもあって、下灘駅のプラットホームを舞台にするという奇抜なアイディアを思いつきました。しかし100のうち99人までが反対して「止めた方がいい」といいました。「落ちる・沈む・没する」というマイナスイメージを連想させる夕日など地域資源にはならないと誰もが思いました。でも夕日をテーマに無人駅のプラットホームでコンサートをしたのです。大方の予想を裏切って好天に恵まれた当日は、約千人の人で駅の構内は埋まりました。

夕日によるまちづくりの第一歩でした。以来時ならぬ台風の襲来で一度だけ中止になったことがありました。でもその他は天気に一喜一憂し雨風に翻弄されながらも着実に実績を積み重ねた 夕焼けコンサートは小林真三さんの手助けなどもあって、今日まで続いているのです。

 今では予讃線海岸周りの風物となってすっかり定着し、最初は反対していたJRも夕焼けトロッコ列車を走らせるなどの全面協力で、参加した人に感動を与えているのです。少し当日の模様をカメラで追ってみました。

この日は開会の午後5時前にあいにく夕立が少し激しく降りました。椅子に陣取っていた人たちは一斉に自転車置き場やプラットホームに雨宿りです。運営委員の人は布椅子を濡らさないようにまとめてブルーシートをかけました。やがて15分ほどで雨も上がり、西の空が赤くなり始めいよいよコンサートはスタートしました。

 雨が会場を整理したようで、いつになくきちんと席が埋まり、後のフェンスにはかなりの人が立ち見です。カメラも沢山設置され、参加者は吹き抜ける雨後の心地よい風を受けながら音楽に聞き入っていました。わが妻も孫や友人と連れ立って、楽しいおしゃべりをしながらの鑑賞です。


 孫は近くの売店でジュースやソフトクリームを買ってもらい、目や耳よりも口を動かしているようでした。私が現役の時妻は殆ど姿を見せず、家で留守番をして、コンサートの打ち上げの二次会に沢山の人を連れて帰るための、料理や飲み物を準備するのに追われていたと述懐し、「本当は私も今のようにお父さんと一緒にコンサートを見たかった」そうです。

 この日は私のお客さん、つまり私が講演などで知り合った方々や知人友人を含めると約100人もの人が集まってくれたのです。中には先日職員研修に招かれた東広島からわざわざ来てくれたり、双海町出身の石油備蓄会社の佐々木さんや太陽石油の所長さん、それに資源エネルギー環境部長さんなどが顔を揃えてくれました。何といっても嬉しかったのは先般講演に招かれた高松市三谷地区の皆さんがバス一台でやって来てくれたことです。縁とは不思議なもので感謝せずにはいられないのです。

 

 メインプロゲストのガズルが歌う頃には夕闇が迫り舞台に設えたススキも風に揺れて最高潮で、そこへスーと夕焼けトロッコ列車が入ってきました。会場から大きな拍手が起こりました。ガズルのメンバーの中には愛媛県松野町出身のアーティストもいて、これまた地元の方々が応援に駆けつけ最高に盛り上がり、アンコールの拍手に応えて「♭ギュッとして・・・・♯」を感情を込めて歌ってくれました。

 最後は恒例の下田逸郎作詞作曲である「双海恋歌」を全員で合唱して来年の再会を誓い合いました。運営委員持ち寄りの特産品やガズルのサイン色紙が当る抽選会も大盛況で、列車でやって来た人を見送る頃には頭上に綺麗なお月様が顔をのぞかせ、アーティストの歌に変わって虫の音の大合唱が始まっていました。

  「今年また 元気で聞けた コンサート 来年もまた 会おうねと」

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