shin-1さんの日記

○2014年問題

 最初「2014年問題」と聞いて私は残念ながらピンときませんでした。したがってその基調講演講師やパネルディスカッションパネリストとしての出演依頼を躊躇しました。しかしパネルディスカッションのテーマである「地域を元気づける国際観光の役割について」を聞いて少しお手伝いができるかも知れないと、ほくとう総研の清水女史からの打診を受諾しました。

 よく「0000年問題」といば、人口の将来推計問題などが取り上げられて議論されますが、私が分からないはずです。この「2014年」という年的に中途半端な数字は上越新幹線の利用促進の問題なのです。

 北陸新幹線の金沢延伸により、高崎以北の上越新幹線の本数削減と枝線化、そいて圏域の経済活動の低下が懸念される問題は新潟県の沿線市町村ほか関係団体が一致団結して取り組むため上越新幹線活性化同盟会が設立されていて、その問題を話し合うため県内で連続フォーラムを6回やる、その4回目が今回のフォーラムなのです。

(司会進行をしたほくとう総研の清水さん)

 上越新幹線は歴史をたどれば1971年に起工され、1982年に大宮~新潟間が開業しています。そして2005年には東京~越後湯沢間が時速240キロの高速運転開始となっているようです。

 新幹線も通っていないし、通る目途さえ立っていない四国からすれば、何と贅沢な悩みだろうと思うのですが、ご当地にはご当地の悩みがあるようです。

 私はそんなに高慢な話はできませんが、かつて廃線と噂さされていた予讃線海岸周りを夕日という一見何の関係もない地域資源で存続させた経験を持っています。またこれまた何の関係もないように見えるホタルで築76年の古い木造校舎を残し、環境省のエコ改修に持っていった話も同じような事例として紹介しながら、経済だけで物事は解決せず、むしろ沿線住民の地域づくりが地位kの魅力を作り出し、結果的に新幹線の必要性に結びつくと訴えました。

 四国には新幹線こそないものの、海を渡る橋のルートは3本もあるのです。その橋も全く同じような悩みを訴えているのです。橋の通行料金を安くしろという二口目にはいいます。

 離島振興法を作った民族学者宮本常一は提灯行列をして喜ぶ離島の人たちを見て「離島振興法があるから離島が良くなるのではない。離島振興法を必要とするとき島はよくなるのだ」と説いたそうですが、離島振興法を橋や新幹線に置き換えるとその崇高な理論は理解できるのです。

(議論を戦わせたパネラーの皆さん)

 他力本願の地域はいつまでたっても良くならないのです。新幹線の向こうに何があるか、それは利用する人たちにとって大切なことなのです。今新潟はNHK大河ドラマ「天地人」の決定に沸いていて、各地でその幟がはためく姿を見ました。また佐渡金山の世界遺産も目指しているようです。多くの大河ドラマや世界遺産が「こんなはずではなかった」と落胆の歴史を繰り返していることを思えば、もう少し地に足の着いた活動を望むのは、他の町の冷めた人間の意見だと叱られることを承知の上であえて冷や水をぶっかけて帰りました。「もっと明るく生き生きと輝こうよ」と締めくくられた長岡造形大学理事長豊口先生の言葉が印象的に残っています。

  「ほくほく線 乗ってみたいな 金沢へ どうなる静脈 少し気がかり」

  「新潟は 夕陽のきれいな 県ゆえに 酒とお米で 十分満喫」

  「良寛の 愛した夕日 もう一度 見たいもんだな この次はぜひ」

  「白熱の 議論期待し 乗り込むかが 時間なくなり 残念至極」


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shin-1さんの日記

○ちょっとした時間に東京カメラ散策

 台風の影響で一日早く東京入りしたため、少し時間があったので浜松町界隈と、東京駅から歩いて近い皇居前を散策しました。私は東京へ行くと空いた時間を割いてできるだけ歩くようにしています。ゆえにこの日も昼食時間をはさんで、携帯に内蔵している歩数計では一万六千歩も歩いていているのです。

 浜松町駅からは街の中にありながら海の玄関口竹芝桟橋y恩賜公園も近くにあり、ます。私はその方向とは逆の増上寺の方面、つまり東京タワー方面へ向かって歩きました。この付近では昔えらい目に遭ったことがあります。北海道へ研修会で出かける折、この付近で台風の大雨に遭い下水から噴き出した水害で水浸しの中、下半身水に埋まってしまったのです。そんな苦い思い出を思い出しながら、芝増上寺の山門をくぐりました。そこはまた別世界で、広い境内は人も少なく、荷物をベンチに置いて周辺を散策しました。

(山門入口付近に大きな西洋松があり、根元にアメリカ大統領グラント将軍が日本に来た時に植えた松という故事来歴が記されていました)

 手水で手と口を清めていると、歌碑が見えました。


 「池の水 ひとのこころに 似たりけり にごりすむこと さだめなければ」と書いていました。これは法然上人の名句です。人の心の変わりやすさを詠んでいますが、いい句にめぐりあいました。

 荷物を持って本堂に入りました。かいがいしく働くお坊様に了解を得て本堂の写真を撮らせていただきました。外の喧騒が全く嘘のように本堂内は静まり返り、私も本尊に手を合わせて無心に旅の安全を祈りました。



 本堂を見返ると真赤な日本のシンボル東京タワーが増上寺の屋根の向こうに新旧対比のように見えました。私はそこから元来た道を折り返し、JR浜松町駅から東京駅へ向かいました。途中乗った若草色のラインの入った山手線の電車の車窓から新橋駅の駅前に置かれているSL列車が見え、カメラに収め、「♭汽笛一斉新橋を~♯」と口ずさんでみました。

 東京駅は何度か利用しますが、駅構内ではあの赤レンガの趣あるレトロは感じることもないので、久しぶりに外に出ました。改修工事の最中で工事用のフェンスの隙間から頭の部分だけを写真に撮りました。やはり古いもものはいいもので歴史の重さを感じました。

 今回の旅は長逗留のため少々荷物が重いため移動範囲は限られるとあって、東京駅からまっすぐ歩いて皇居前の噴水公園に出ました。水のオブジェもいいもので、すっかり汗ばんだ体を一辺に癒してくれました。

 若いカップルから記念写真らしくシャッターを押してくれとせがまれたり、水遊びする子供たちと談笑して皇居前の橋を渡りました。

 幾つかの橋や門や石垣、堀などをゆっくりと散策し、時折通る警察官ににわざと謂れを聞いたりしながら二重門前まで進みました。



 私はこの日まで二重門とは眼鏡のように映る上の写真だとばかり思っていました。ところが警備に当たっていた警察官の説明によると二重門とはさらに奥まった場所にかかっている橋だそうで、昔は上下に橋があったそうです。今は下の写真のように一重橋になっているそうです。


皇居の広場はそれは広く見渡す限り芝生と松の緑に覆われていました。まさに遠望のビルに囲まれた異空間でした。最近は日本人のような顔をしている者の外国語を話す人が多く見学に訪れているようで、警備の警察官も韓国語で説明しているようでし頼もしく思いました。

 ほんの束の間のたった一人だけの散策でしたが、心をリフレッシュすることができました。汗をかきながら別の道を東京駅まで戻り、上越新幹線の乗り場となったプラットホームで、今回の旅の同行者であるほくとう総研の清水女史と息もぴったり出会い、時ならぬ「とき」の人となりました。

  「東京は なんでこんなに 綺麗なの 日本の誇り 垣間見ました」

  「東京の 駅で会おうと 約束し 嬉しいことに ぴったり出会う」

  「束の間も その気になれば 有意義に 旅のだいご味 思う存分」

  「法然の 詠みし短歌に 感じいる 今も変わらぬ 心ありよう」  

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