shin-1さんの日記

○ダルマの夕日が見えました

 昨日は愛媛大学構内にある放送大学会議室で、11月22日・23日に行われる地域教育実践交流集会の第4回目実行委員会が持たれました。讃岐先生のたっての頼みとあって世話人の末席を汚すことになったため出かけました。讃岐先生が急病で欠席のため急きょ開会あいさつをといわれてあどえましたが、午後2時から2時間程度の集会を無事終えました。実行委員会に出席するまでに道後のにぎたつ会館に出かけ、鈴木さんと間近に迫った青年の船班長会の打ち合わせを行い、会議が終わると娘の家へ立ち寄って孫と少しだけ遊び、夕方家路へ急ぎました。

 私は夕日に狂った人間ですから、夕方になって太陽が西に沈み始めるとそわそわ胸騒ぎがするのです。昨日も例によって何となく気になり始めました。伊予市の市街に入った頃にはもう西の空が真っ赤に焼けていました。秋の交通安全週間でもあって余りスピードを出すこともできず、加えて前をノロノロ運転のもみじマークが走っているのです。結局三秋峠の坂を下った頃には夕日は沈んだようで諦めていました。

 ところが高野川の下り坂を下りると一気に視界が開け、海の向こうに今まさに沈まんとする夕日が見えました。とるものもとりあえず旧海楽園前の路側帯に車を止めて持参のデジカメラを取り出し戸外に出ました。何人かの人が車を止めて携帯電話のカメラで写真を撮ったり、見学していました。

 海と空を染め分けて沈む夕日はまさに「よっ、日本一」と呼ぶにふさわしい絵になる光景でした。この日は空気が澄んでいて、日頃は遠くて見えない山口県の島々や大分県国東半島の沖に浮かぶ姫島までくっきりと見えました。しかも水平線辺りに雲もなくダルマの夕日が見えたほか、最後の一瞬まで夕日を見ることができました。

 昔から私たちの地方では、「秋の夕焼け鎌を研げ」と言われるように、秋の夕焼けは明日の天気を約束してくれるのです。今朝はその予報も超大型台風の影響か幾分はずれ気味で、曇っていますが雨は心配なさそうです。

秋の夕日は夕焼け雲といわれる雲の美しさも絵になります。 これからイワシ雲や飛行機雲を夕日が染める風景が時々見えることでしょう。

 しかし上の写真と下の写真はまったく同じ場所で同じ時間に同じカメラで、しかも同じ人間が撮影したのに、ズームだけでこうもイメージが変わって写るのですから不思議な話です。私のカメラはかなり画素数の高いものらしいのですが、いわゆる普通のデジカメです。カメラマニアが持っているような一眼レフのカメラではないし、望遠機能も精度は高くないのです。ズームアップすると夕日がボケたりもします。でもカメラやメカに詳しくない私にはこれ位が丁度よいのかも知れないと思い使っているのです。

 秋は夕日のシーズンです。昔のように夕日を見ながら詩を作ったりしてみたいと思いました。

  「秋になり 自慢の夕日 昨日また ダルマになって 西の彼方に」

  「ああ今日も 幸せでした 夕日見え 心に何か エネルギー受く」

  「国東の 沖に浮かんだ 姫島を 夕日優しく 照らして沈む」

  「鎌を研げ 先祖は多分 夕日見て 明日の日和を 占ないおりし」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○薬を間違えて飲んでいた親父

 毎朝の日課にしている散歩から帰って食事をしている親父の隠居を訪ねました。腕が器用な親父は大工さんに少し手伝ってもらつたものの、殆ど自分の力で居間の掘り炬燵を造り、ちゃぶ台も適当なものを再利用して使っているのです。今更ながら親父の生き方には頭が下がる思いがするのです。

 そんな親父のここ2~3日は傍で見ても明らかに様子がおかしく感じられました。眠たいのに寝れないというのです。交通事故で痛めた足の付け根の痛みも一向に引かず「わしもいよいよだ」とこぼすようになっていたのです。ところが今朝隠居に行ってみるとすこぶる上機嫌で顔色もよく食事をしていました。聞けば先日私が「足が痛いので診療所へ連れて行ってくれ」というので、診療所へ連れて行った折、痛み止めの注射を打ち、痛み止めの薬をもらって帰りましたが、その薬と一緒に枕元の薬箱に入れて、看護婦さんの言われるまま朝夕飲んでいたようです。ところが飲むと眠たくなる日が2~3日続くので、昨晩薬箱の中を開けて見ると、呑んだはずの痛み止めはそのままで、寝れない時に飲む安定剤が2錠づつ殆どなくなっているこに気づいたそうで、昨晩はその痛み止めを飲んだところ痛みも引いて、久しぶりにぐっすり寝たそうなのです。

 安定剤は眠り薬です。痛み止めならぬ眠り薬を朝夕飲んでいたのですから眠たいはずです。今朝は親父に「薬は気をつけて飲まないと薬が毒になる」としっかりと大きな声で話をしてやりました。そして痛み止めをちゃぶ台の上に置いてマジックインクで赤く塗り、「痛み止め」と書いてやりました。薬箱から安定剤を取り出して見ると、親父が言うように確かに薬の姿形は同じようなので、間違うはずだと思いました。

 正露丸くらいしか薬を飲まない私に比べ、親父は病院へ行く度に薬をもらい、安定剤だの血圧の薬だの色々飲んでいますが、よく間違わずに飲むなと感心して見ていましたが、これからは薬の飲み方も少し注意してやらないといけないようです。

 今の病院は正直言って薬を出し過ぎます。しかも一応聞くには聞くのですが、それは儀礼的でどこの病院でどんな薬を処方されているか、年寄りに聞いても耳が遠く、しかも何の薬をどのくらい飲んでいるかなど即答できないのです。そのために家族がいるのですから病院や医師を責めることはできませんが、薬は使用方法を間違えれば毒になることを教えてくれました。

 隠居で暮らしているとはいえ同じ敷地に住んでいる安心感が親父にも私たちにもあって、聞こえの良い在宅介護をしていますが、認知症も殆ど感じられず、むしろ自立型高齢者の親父の面倒は余り気にもせず暮してきましたが、いよいよ介護の必要性を痛感しました。

 やがて行く道だと思えば、親父の加齢による衰えはわが身のこととして考えなければなりません。90歳の今日まで長生きし、介護も必要としなかった親父なので、これから10年はしっかりと向き合って暮らしたいと思うのです。

  「間違って 違う薬を 飲んでいた 笑い話で 良かったものの」

  「薬箱 大事小事に 保存して 賞味期限が 過ぎたものまで」

  「絶対に 医者の言うこと 守ってる 信じて飲むと 効いた気分に」

  「あの医者が いるから今の 健康が 信じて通う 七キロの道」



[ この記事をシェアする ]