○庭の雑草
私には女性の友人が沢山います。といって何も女好きだからではなく、色々なボランティア活動で知り合って、その後グループに入って一緒に活動したり、文通をしている人など様々で、その数は十指に余るほどなのです。その中にKさんがいます。Kさんは一人身です。今年の3月で勤めていた役所を定年退職し、再雇用でこれから2年間同じ職場で働くそうです。退職を前にした3月、偶然にも出会い、退職後の自由な時間を謳歌している私を横目で見ての感想なのでしょうが、公務員ゆえに今までの不自由と感じ続けて約四十年仕事をしてきた自分を振り返りながら、自由な時間への憧れを話してくれました。数日前退職のハガキが届き、文面にもこれまでを「大過なく」、今を「ホッとした」、これからを「自由に羽ばたきたい」と総括していました。
一昨日、これまた偶然にも松山市内でKさんと出会いました。退職お礼のハガキが届いていたこともあって、立ち話も何だからと近くの喫茶店に立ち寄り、お茶を飲みながら色々な話をしました。退職して1ヶ月が来ようとしている今の心境を、自由な心、不自由な職場、体の不調、襲い来る将来への不安などについて話しをしてくれましたが、いずれも一人身の自由さやわがままなどが垣間見え、どこか寂しい一人の女性の側面を見ました。
Kさんは10年前マンションを購入しました。今まで住んでいた一戸建ての家は近所づきあいが煩わしく、加えて庭木や雑草の手入れが大変で、仕事をしながらそれらをこなしてゆく自信がなくなっての決断でした。いささかの蓄えと退職金を前借した資金計画を立て順調に償還していましたが、ここにきて退職金の殆どで繰上げ償還する決断をしたそうです。しかしマンションという資産は残りましたが、将来への蓄えは確実に減って、年金支給開始の65歳までどうしようかなどと、再雇用の切れる2年後からの経済的な不安を語っていました。「金の食べ物を食べる訳じゃあないのだから、あなたの暮しは大丈夫」と勇気づけましたが、いつの時代もどの人も金にまつわる悩みは多いようです。
彼女はマンション暮らしなのでこれまで煩わしいと思っていた庭木の剪定も庭の雑草を引き抜くこともなくなりました。ドアを閉めればそこは誰からも束縛を受けないプライベートな部屋なのです。マンションゆえセキュリティも完璧で、防犯上は何の心配もなく観賞用の緑もあるし、バリアフリーだから何の不足も無いそうです。しかし加齢にしたがって一人身の不安が出始めたようです。これまで欲しいと思っていた自由時間があり過ぎて、またこれまで楽しく付き合っていた友人とも少し距離を置くようになって、ふと夜中に目が覚め、「もし私が心臓麻痺などで死んだら何日も分らないかも」何て考えることがあるといっていました。追い討ちをかけるように肥え気味の体の足腰不調がこれまた不安だとも・・・・・。金にも困らず何不自由ない極楽トンボと思っていた人にも悩みはあるなあと、思ったりしました。
わが家では春の訪れとともに660坪の広い敷地の、庭のあちこちには雑草が生え始めこれから半年は私と妻とと親父三人の住人が雑草と格闘しなければなりません。加えて90歳の親父は庭木の剪定や家庭菜園の除草という重労働が待ち受けています。ある意味そんな煩わしさのないKさんのようなマンション暮らしへの憧れもありますが、春夏秋冬という季節の変わり目のメリハリがついて、何処となく生きているという実感が湧いてきます。
今朝も起床して直ぐに目についた庭の草を少しだけ引き抜きました。草との格闘もまた私にとっては生きている証なのでしょう。裏山ですっかり上手くなったウグイスの鳴き声が聞こえています。
「草取りも 隣の人と 会うことも ないような暮らし 果たしてよいか」
「マンションで 一人ひっそり 生きるより みんなとともに 笑って生きる」
「支えあう 人という文字 思い出し 今からだって 遅くあるまい」
「自由には 裏に不自由 あるものと 心得生きる 気構え大事」