○落語入門
私の友人に関西汽船に勤める浜田さんがいます。無類の読書家で、様々な本を読んでいるようですが特に民俗学者宮本常一に深い関心を持って研究しています。宮本常一についてはブログで何度も取り上げていますが、人間牧場から見える周防大島が生まれたゆかりの地なので、そうした接点から知り合ったように思うのです。人間牧場が出来て間もない頃、人間牧場へ入門させて欲しいと自分で申請書を作って持参した人ですから、かなりの人であることは間違いありません。その頃はまだ人間牧場の建設中で入門させるともさせないとも回答せずそのままになっていますが、最近人間牧場の門を叩く人が何人かいて、そろそろ塾生を定めて掲札しようかと思うようになっており、その際は浜田さんを塾生第1号にしなければなるまいと心に決めています。
その浜田さんは私の留守中に時々私に読ませたい本を差し入れしてくれるのです。多分私の浅はかな知識をもっと高めよとの諭しだろうと読ませていただいていますが、先日留守中にサライという週刊誌を届けてくれていました。この号の特集は「続・落語入門」で、名だたる落語家の話などが特集されていました。これも推測ですが、最近私が始めた落語ならぬ落伍が余りにも未熟なため、少し勉強するようにとの有り難いお導きと考え読ませてもらっています。しかし残念かな私の落伍は落語と似て非なるものなので、これを真似て修行する気持ちは毛頭ないのです。しかし落語も落伍も人を楽しませようとする話芸であることに変わりはないので、大切にして勉強したいと思っています。
仏教の経典の一つに「無量寿経」というのがあります。浄土宗や浄土真宗では根本経典の一つに数えられる重要なものだそうです。落語の一節にご存知「寿限無」というのがありますが、落語の話しの中に出てくる「寿限無」という言葉は仏教の経典「無量寿経」には見当たらずその典拠について正確には分らないないそうです。多分落語の中に出てくるように「無量寿経」の「無量寿」をいいやすく寿限無に置き換えたする説が有力だといわれているようです。
「寿限無、寿限無、五劫(ごこう)の、すりきれ、海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)、水行来(すいぎょうらい)、雲来末うんらいまつ)、風来末(ふうらいまつ)、食う寝る処に、住む処、やぶら小路(こうじ)の、薮柑子(やぶこうじ)、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーノポンポコナーの、長久命(ちょうきゅうめい)の、長助(ちょうすけ)さん」
落伍を始めて半年が過ぎました。高座の話芸はまだまだ未熟半熟ですが高座本の売れ行きも仲間のご支援のお陰もあって、まあ順調といえば順調で、自転車操業といいつつ、初期投資の回収は確実になり、そろそろ五輪の書の「地の書」に続いて次号「水の書」の編集にも取り掛からなければならなくなりました。目標は5年で5冊ですから、予想以上の進捗状況です。気の遠くなるような150話の完成を目指して話芸と文筆を両立させなければならないと思うと、多少望みを高く持ち過ぎた感も否めませんが、着実に一歩一歩前へ進んで行きたいと思っています。
三遊亭金馬師匠の「落語は生き物、芸に完成はありません。だから生涯をかけて、追求し続けるんです」という言葉に、少し救われた感じがしました。
「玄関に 週刊誌置く 人ありて 修行をしろと 言ってるように」
「寿限無さえ 知らない男 落伍する 無量寿経の 教えなおさら」
「高座本 半分売れて ゼロになる 元に戻って ゼロから出直し」
「どれ程の 人を演じる 落伍かな 自分だけでも 演じも出来ず」