○家庭菜園も衣替え
わが家にはかなり広い家庭菜園があって、年老いた親父には少々手に負えないほどの仕事量があります。最も厄介なのはこれから始まる夏場の除草と虫との闘い、それに水やりはかなり骨が折れるようです。これまで親父の健康法だと余り手伝いもせずもっぱら親父に任せていましたが、寄る年波には勝てずそろそろ代替わりしなければならないと、暇を見つけて一緒に過ごすようにしていますが、果たしてこれから私が親父の歳まで、つまりこれから三十年も出来るかと考えると、ゾッとしたりするのです。「まあ出来なくなったらその時よ」とばかりに始めてはみるものの、野菜つくりも中々奥が深くて、季節のカレンダーをまず頭に入れることから始めなければならないのです。天一稲荷神社の春祭りになると夏野菜の苗を植えるとか、文化の日頃にタマネギの苗を植えるとかいったことは簡単に覚えれるのですが、ネギの伏せ替えやジャガイモの根寄せなどの雑事は体に染み付いた親父でないと分らない部分が多く、これからじっくり修行をして教えてもらいたいと思っています。
そういいつつ、今日はネギの伏せ替えをしました。畑に植えているネギは春先の暖かい気候によって、青々と伸びてきました。中には種保存の原則でしょうか、ネギ坊主が伸びてきました。ネギにはネギ坊主が出るものと出ないものがあって、ネギ坊主が出るものは葉が硬くて薬味用にはなりません。この時期はその硬くなったものを湯がいて酢味噌で和えタコや貝などと一緒にヌタにすると美味しく食べれます。今日植えたものは薬味用のネギです。畑で引き抜いたものの古葉を丁寧に取って葉の部分を切り落とし、新しい畝に植えてゆくのです。今朝親父がその作業を手伝うようにいうので、長靴を履いて畑に出ました。作業の途中でズボンのポケットの携帯電話が鳴りっぱなしで、結局は作業を中断して急ぎのメールに対応するため部屋の中へ入ってしまいました。
私の場合はいつもこんな結末が多いのです。親父は残った作業を自分ひとりでこなさなければならず、結局迷惑をかけてしまいました。
今朝畑に出てみると、急逝した親父の弟、つまり私の叔父の葬儀のため2~3日家を留守にしていましたが、その間に親父は近くの雑木林に細い竹を切りに行って全ての夏野菜の垣を作り終えていました。それはもう玄人はだしでまるで芸術品のような垣を作っていました。
「親父、これはキュウリじゃない、カボチャじゃないの?」と指摘すると、「わしはてっきりキュウリとばかり思っていた」と間違いに気付きました。キュウリと思って垣が必要なため綺麗な垣を作っていました。早速植え替えたようですが、キュウリとカボチャの苗が分りにくいのは私も同じなようです。
一昨日、種物屋さんで種を買ってきました。これも私買う人、親父植える人、妻調理する人の役割分担が暗黙のうちに決まっていて、目下のところ私は買う人に専念をしています。でもそろそろ私の出番が来たようだと、代替わりの予感を感じる春の朝でした。
「大洲では 夏日になったと 新聞で わが家はナスビ 苗植え終わる」
「九十の 親父の指図 受けながら 六十手習い 菜園作業」
「ネギの苗 頭を切って 植え替える 明日雨予報 合わせるように」
「この季節 何を植えるか 記憶する 苗価高さに 驚く財布」