○桜の花の散り染めし道
人間の目線は水平線より上を見る習性があるようで、特に桜などは昨日まで枯れ木だったような木々に花をつけるものですから、ついつい花に目を奪われるのは当然かも知れません。しかし特に桜の花びらがヒラヒラと舞い落ちる様はとても風流で大好きなのですが、残念ながらそれをカメラに収めることはなかなか出来ないものです。しかし昨日名残の桜に見とれていると、偶然にも桜の木の足元に綺麗な花びらがそれは見事に歩道一面降り積もっていて、散っている姿ではないにしても思わず写真に収めることが出来たのです。まるでピンクの花のじゅうたんのようでそれは見事でした。歩く人も自転車で通り過ぎる人もそんな花などお構いなしに踏み潰していましたが、私が写真を撮っていると、不思議そうに横目で見やりながら、バツが悪そうに隅の方を通っていました。
私は少し目線が他の人と変わっているのでしょうか。上の花も綺麗なのですが、無造作に自然が作った造形の美にどことなく惹かれるのです。もしこれを人間が人為的に造るとなると大変な労作です。多分明日にでも雨が降ると流れ、風が吹くと飛ばされ、人に踏まれて消えて行くであろう花びらの道を、一人束の間楽しみました。今年の冬は寒かったせいでしょうか、あるいは花の咲く季節に南風や雨の日が少なかったからでしょうか、例年になく桜の花の寿命が長く、早4月も半ばだというのに桜はまだ充分楽しめるのです。
桜の花の写真を撮った後、やがて人間牧場へ通じる山道の差し掛かりましたが、ここでも綺麗な椿の散り染めし道を見つけました。桜と同じように今年の椿も例年になく開花が遅れ、今頃になって散り始めています。椿は花が首ごとポロリと落ちるので、縁起が悪いと忌み嫌いますが、それは無粋な言い方で、散り方の潔さや落ちた姿はとても綺麗です。ここでも農作業のために先を急ぐ軽四トラックが無造作に踏み潰して通り去って行きました。
木漏れ陽が椿の花びらについた朝露をそっと照らすのもまた趣です。「ああーいとおしい」と思わず思いました。
田舎に暮らしていると、のんびり時が流れ、のんびりとした人にであうものですから、日頃は余り気付きませんが、時々ハッとすることがあります。それは長旅や都会へ行って帰った折に顕著です。空気水がとてつもなく美味いと思ったりするのです。しsて「俺は生きてる」と実感するのです。
昨日大洲市田処の亀本さんに人間牧場で会いました。彼らに会っていると私の体内時計の狂いを直してくれるような感じがするのです。
彼と別れ自宅へ帰って、昼食に帰る妻を外で待っていました。ふと見上げた本尊山の萌えるような姿に思わずハッとしました。昨日と変わらない、そしていつもと変わらない風景なのに、どこか違うのです。「お父さん、何見てるの」と妻に声を掛けられハッと我に帰りました。私「山を見よる」、妻「何を見よるの」、私「綺麗じゃろうが」、妻「そういえば綺麗じゃねえ」、二人「・・・・・・・・・・・」
ああ、いとおしいふるさとです。
「落ちた花 見ても綺麗と わが心 加齢のせいか 少し感傷」
「山の色 にわかに春の 衣変え 空の青さに 一際映える」
「ふと我に 帰りて田舎 住む意味を しみじみ思う これが幸せ」
「ホーホケキョ 遠く近くで ウグイスが 私も真似て 口笛応う」
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あなたの 何でもない 自然を 讃えられる心が 双海を 輝かせたのでしょうね
自然は ほうっておいても輝きますが 人工物は 時とともに 虚ろいで いきますここの ケアが 必要なんでしょうね
もっとも 夕日は 変わりませんが