○毎年桜が散ってから思うのですが、「もっと桜を見ておけば良かった」「せめてあの桜を写真に収めておきたかった」「もっと桜の咲く季節に桜前線とともに全国を旅したかった」と・・・・・・。こうした「~かった。~かった」と反省するばかりで、一向に進歩しない自分の行動を恥じながら、それでも今年は忙しい合間を縫い自分の町の桜を追ってみました。
桜=道後や野福峠の桜などと県内に知れた桜の名所を思い浮かべ、人の行きそうな場所へ花見に行くものなのですが、桜ほど身近なあちらこちらの場所に人知れず咲く花はありません。道端に、あるいは学校の校庭にと、桜の国日本を象徴するようどこにでも桜は咲いているのです。通りすがりにふと「えっ、こんな所にこんな桜が咲いている」と、驚いて見上げたことは切りがないのです。そんな時に限ってカメラを持っていなかったり、次々と見える桜に目を奪われ忘れてしまうのです。そしていつしか「花の命は短くて・・・・」で雨と風に散らされてしまうのです。
一昨日直ぐ目と鼻の先である上灘の海岸線を単車で走ってみました。花冷えのする、そして曇ったあいにくの天気でしたが、この日「4月9日」が双海町の今年の桜満開宣言日だと思いました。まず旧役場裏の本覚寺周辺へ行って見ました。桜は風景を入れる絵になるようで、お寺の山門の銅版緑青が桜の薄ピンク色に映えていい感じでした。
駐車場広場からこの桜を反対向きにアングルを変えるとまた違った趣きです。最近は無造作にゴミストッカーが出来て風景が一変していますが、この桜は「商工会発足記念○○年植樹」と書いた石柱が建っている桜です。
海岸に出て松山方面へ少し走ると海岸線に桜の固まりが沢山目に映りました。小網の桜です。小網は双海町でも唯一坂に居並ぶ漁村集落で桜が家並みや海によくマッチしています。
青の同門を髣髴させる小網トンネル付近の桜も今が満開でした。残念かなここでも無造作に行政の建てた看板が桜の美しさを台無しにしているようです。桜の咲いた頃を思い浮かべて看板を立てるような環境配慮の役場職員が私を含めていなかったのですから、残念なるかなで、自責の念にかられました。
桜の鑑賞をしていると、突然無粋な電話の着信音がズボンのポケットから鳴り始めました。仲間からです。会議の都合があるので急いで日程表を見て欲しいというのです。仕方がないかと思い、単車をUターンさせてました。それでも見飽きぬ桜をちょっとだけ撮りながら引き返したのです。
(小網入口の桜)
(城の下の桜)
(共栄網加工場屋上から見える予讃線沿線に咲く灘町5丁目の桜)
残念なるかな僅か10分の桜散策となってしまいました。それでも少しだけ満足した気分になりました。本当はゆっくりと桜の木の下を歩き、上から下から眺めればまた違った趣きがあるのでしょうが、明日から二日間熊野古道への旅が始まるので今日が見納めになるかも知れないと、密かに天候の回復と、日程の空きを見ています。「午前中は来客、午後は人間牧場へ来客、夜は松山で集会か。あー」ため息が漏れそうです。
でも今年の桜は確実に3日だけ短い時間ながら見ることが出来ました。
「今年こそ 毎年思う 情けなさ 今年も既に 桜散り初め」
「花曇り 写真に写る 花々も どこか寂しい 露出足りなさ」
「見るだけで ただ何となく 満ち足りた 気持ちにさせる 桜咲く春」
「綺麗だね 会う人毎に 桜褒め 会話交わして そそくさ去りぬ」