○夕日のまちづくりの経験から
「若松さん、あなたがこれまで取り組んで来られた夕日のまちづくりの経験を春の学集会で話してくれませんか」と、コープ住まいるの田中社長さんからお話がありました。集まる人は建材屋さんから工務店、設計士、設備会社、住器メーカー、インテリア、電気屋、サッシガラス屋まで、種々雑多な業態なので、まちづくりなど話しても果たしてどうなのだろうと、心に多少不安を抱えながらも会場となる交際ホテルへ出かけて行きました。昨日は車のカーナビ修理のため、車をドック入りさせているので代車での移動です。
会場にはコープ住まいる協力会のメンバーが70人も集まって会議が行われていました。約20分ロビーで担当の伊藤さんとお茶を飲みながら雑談にふけり、いよいよ出番です。長年の経験とは不思議なもので、紹介されて演壇に立つと、これまでの不安などどこ吹く風、何のレジメの用意もしないのに、まるで早打ち鉄砲のように次々と話が進むのです。会場には司会者の井上さんを含め、生協の松本専務さんなどの顔なじみも顔を見せていました。
今日の話は「一周遅れのトップランナー」の話と昨日ブログに書いた「365分の1から365分の365=1へ」の話をしました。
世の中にはいち早く始めた会社もあれば、松山市のようにとてつもなく大きな地方都市もあります。そんな社会の中では自ずから序列のようなものが暗黙の中で決まっていて、最近始めた会社や観光などで売り出そうとする市町村は後発となって中々相手にされないのです。ましてや金のない、そして薄利が社会の常識となってきた現代では、下請け孫請けともなると赤字覚悟で上位のいう事をきかなければはじき出されてしまうのです。でも私の経験からいうとすき間はどこかに必ずあって、やる気になってやれば新しい個体が生まれるのです。私が若い頃「おはなはん」という人気朝ドラがありました。ご存知大洲が舞台です。大洲の人はそれが誇りで何処へ行っても「おあはなはんで有名な大洲から来ました」と自慢していました。その当時は隣の内子などまだ知名度は殆どありませんでした。ですから内子の人は「おはなはんで有名な大洲の隣の内子から来ました」と言っていました。ところが親友岡田さんの働きに負うところ大きい努力によって町並み保存は一躍有名になり、今では大江健三郎さんがノーベル文学賞をいただいた追い風もあり、今では三ツ星級の知名度になりました。今では大洲の人さえ「町並み保存で有名な内子の隣の大洲」と言わしめる逆転現象が起こっているのです。
今の世の中は初物好きな日本人の心理がそうするのか、何でも早いものを求めたがります。鈍行列車よりは新幹線、新幹線よりは飛行機、普通より早生、早生よりは極早生、アナログよりはデジタル、田舎よりは都会、桜だって遅咲きより早咲きと、まるで遠近や季節を感じさせない時代です。しかしその結果、ニュータウンといわれた地域が高齢化に悩み、都会の人が田舎暮らしに憧れています。
遅れていたはずの私たちの地域は今、スロ-ライフのトップランナーとなりつつあるのです。一周365日のトラックをみんな一生懸命走っています。人生も時代も永遠に続くのですから先行逃げ切りなんてゴールは何処にもないのです。早く走り始めた人たちはみんなそろそろ疲れ始めています。さあビッグチャンスです。元気を温存してきた私たちの出番です。あせらずいい足取りで抜き去りましょう。そのためには「何のために走るのか」という目的と物語をイメージしながら走ることです。
私たちには不可能と思えたオバマさえクリントンを抜きされるのですから、コープ住まいるだって可能性は十分あると思うのです。
「住まいるは スマイル似たり スマイルで 笑顔絶やさず オバマあやかれ」
「何話す? 出かける度に 問い直す 妻の質問 今日も同じだ」
「皆同じ 一年三百 六十五 トラック走る 無理せず走る」
「懇親の 宴席断って 車屋へ カーナビ治る 愛車取り行く」