○土木業者の嘆き節
新年度が始まると、どこか「やるぞ」という空気がみなぎるものなのですが、この頃から土木業者は「何か仕事はないか」と、細々とした仕事で食いつなぐ日々が続くようです。私の町には多い時は中小16もの土木業者がひしめいて、繁華に仕事をしていました。その殆どは公共工事で、町道、林道、農道、災害復旧、圃場整備、用地拡張などの工事を、談合と言われながらも表向きは一定のルールに則って受注していました。町内にもA・B・Cランク分けした業者がいて、お互いが連帯保証しながらこれも表向き仲良くやっていたようです。ところが小泉さんが首相をしたころから公共工事が減り始め、合併した途端に激減し特に小さい土木業者仕事が立ち入っていかなくなり、倒産や自己破産、ひどいのは自殺や夜逃げなど、様々な辛酸をなめて現在は6業者に激減しているのです。元々土木業者が多かったといえばそれまでですが、地すべり地帯の多いわが町では、何年かに一度、台風や大雨が災害をもたらし、皮肉にもその災害が公共工事を生んでいくという循環が出来上がっていたのです。そのころの土木業者は羽振りがよく、33ナンバーの高級車を乗り回し、日曜日にはゴルフに講じたり、社員旅行と称して海外まで出かけていました。また社会保険にも加入していたのでみんな安心して働いていたようです。
土木業は機械業といわれるように、何千万円もするような重機類を持たなければならず、競争に負けるとあってみんな競って高価な重機を持ちました。またパソコンが仕事をするようになって、そのリース料やオペレーターの雇用なども次第に重荷となって経営を苦しめました。追い討ちをかけるように談合事件、行政を巻き込んだ贈収賄事件など相次ぐ不祥事が明るみに出て、公共工事への社会の風当たりが強くなって、入札制度、工事費の見直、市町村の合併が最後の止めを刺したのです。
しかし、10人に一人が何らかの土木業に関わらざるを得ない田舎で、土木業の不振は土木業者のみに留まらず、住民の暮しへの影響がすこぶる大きく、田舎に住んで土木業で生計を立てながら日曜日には兼業で農漁業をやるといったパターンが崩れ、過疎助長、限界集落出現の大きな原因となっているようです。
昨日、馴染みの小土木業の若い社長がわが家にやって来て、「何か仕事はないか」というのです。近所で小さなよう壁工事を行っているため、立ち寄ったらしいのですが、この工事が終われば当分休みらしく、空を見上げて空しくため息を漏らす姿に寂しさすら感じましたが、残念ながら私にはどうすることもできず、その嘆き節を聞くのみでした。
(ウッドデッキの下の切り取り斜面、ここを石積みにします)
(車の回転場付近の斜面まで15メートルの工事です)
ふと、何とか少しでも助けて揚げれないかと思い、人間牧場の石積みを思い立ちました。「小さな工事だがお願いできないか」と頼むと、早速見に行こうということになって、社長の汚れた車に乗り込み世間話をしながら走りました。高さ×長さの理論で、アバウトな見積を現場で図に描き、15万円から20万程度というのです。誰でも安い方がいいので、じゃあ15万円でお願いしますと、あっさり口頭で契約してしまいました。リタイアの身ゆえ大蔵大臣の妻に相談すればよかったのかも知れませんが、まあ何とかなるだろうと思ったのです。
人間牧場のウッドデッキのすぐ下は切り取り工事だけで終わっていて、少し心配していた場所なので、この工事が終われば万全と思っています。工事は僅か15メートルほどなので3~4日で終わる予定だそうです。
屁のツッパリにもならない土木工事ですが、少しだけでも痛みを分かち合ったつもりの一日でした。
「春なのに 沈む心の 土木業 昔の夢など 既に遠くへ」
「お世辞にも 社長の車? 言えません お家の事情 厳し経営」
「工事して 直ぐに見積り 高いのか 訳も分らず 即決頼む」
「大蔵の 許可も受けずに 発注す これが最後と 何度いったか」