○違う世界に生きる従兄弟
私の父親は12人兄弟、母親は6人兄弟です。したがって私の従兄弟は両手の指どころか足の指を加えても数え切れないほど従兄弟がいます。父親方の叔父叔母は4人が亡くなっていますが8人はまだ健在です。母親方は残念ながら6人とも冥土へ旅立ちました。しかし私が既に62歳、父親が90歳ですから、押して計るべく叔父も叔母もそれぞれ高齢化しつつあるようで、会う度に体力と気力の減退を感じるのです。
昨日5歳年上の母方従兄弟に会いました。彼は小さな製材業を営んでいましたが、65歳を機に廃業し今は息子や娘も結婚独立したため悠々自適の生活をしているようです。特に何年か前に母親を亡くしてからはささやかながらセカンドハウスを買い求め、暇さえあれば自宅とセカンドハウスを往復してスローライフを満喫しているのです。日ごろは音信も途絶えていてお目出度お悔やみや法事くらいしか出会わない彼ら夫婦の暮らしぶりを聞くと、私とはまったく別の世界に生きているようなので驚きました。
若い頃からどちらかというと人との付き合いが苦手な彼にとって一番の相手は奥さんであり、二番も三番も余りなさそうなのです。私のように不特定多数の人に囲まれて暮らしている人間とは月とスッポンくらい違うのです。ですから会って話しても新聞とテレビからの話題には事欠かない広い視野を持っているように見えますが、対人、対地の話題となると近所付き合いの向こう三軒両隣くらいでまったく疎いのです。朝起きてから寝るまで夫婦の人間関係と近所に住む長男家族との接触しかないようにも思え少し哀れに感じました。前回会った時、「金も暇も体力も車あるのだからもっと動け」と年下なのに偉そうな言葉を浴びせましたら、その言葉が堪えたのか今は旅行はするし研修会などにも参加し見違えるようにはなりましたが、それでもまるでジュウシマツやおしどりのようにつがいの人生を過ごしているようです。
従兄弟夫婦はパソコンもやらず携帯電話も持っていません。こんな情報化社会でシンプルといえばシンプルなのでお金もかからないのでしょうが、パソコン大嫌いな私でさえパソコンをいじる時代に、「せめて携帯電話を持ちパソコンくらいしたらどう」と誘うも、その誘いには「加齢を言い訳に乗ってこないようです。
もし私から人間とパソコンを取ったら果たして何が残るのだろうと、従兄弟の暮しと私の暮しを比較して見るのです。私の生きがいは人に会うこと、私の暮しはパソコンで情報のやり取りをしブログを書いて日々の暮しを組み立てることです。人とパソコンを道具と考えるならば私は従兄弟にはない生きがいを持っていることになります。
でもよくよく考えると私の身の回りに暮らしている私年代の人たちだって、従兄弟と同じような暮らしをしているのですから、私が違う世界にいるだけなのかも知れません。今に生きる人、過去を引きずって生きる人、未来志向で生きる人など生き方は人それぞれですが、私はもう少しの間未来志向で生きてゆきたいと生きる世界が違う従兄弟の暮らしぶりをみて思いました。
「従兄弟でも 違う世界を 生きる人 どちらがいいか 比較も出来ず」
「パソコンに 毎日向かう わが時間 従兄弟は何を しているのやら」
「妻といる 時間少ない ふと思う 従兄弟見習い も少し会話を」
「パソコンも 携帯持たず 一生を 生きる暮しが 本当なのかも」