○新聞スクラップ
私の書斎の書棚の上には無造作に段ボール箱に入れられた新聞スクラップが沢山あります。昔はその都度フォルダーに入れて整理をしていたのですが、その整理も追いつかずこの醜態です。私がまちづくりに関わるまでは「双海町」という文字を新聞やテレビで見ることは殆どありませんでした。多分年に二、三度出ればいい方だったように思います。まちづくりが活発になったのは昭和も終りに近づいた昭和61年頃からですから約20年間、時には小さく、時には大きく「双海町」という文字が新聞紙上を賑やかにしました。自分でいうのも何ですが、その記事の殆どの出所は私の所だったのです。
ところが伊予市と合併した2年前から「双海町」という名前はだんだんと消えて今は狸が石を投げる程度しかお目にかかれないし、その伊予市でさえ他の19市町村に比べればはるかに少ないマスコミ掲載量なのです。最近は合併した伊予市でも少なからずほころびが目立ち、マイナス的記事が新聞紙上を賑わせているのも気になるところです。
新聞記事は人の動きや社会の動きから生まれるもので、何にもしなければ新聞記事にはなりにくいものです。かつての双海町のようなどこにでもありふれた特長のない町は、新聞もテレビも相手にしませんでした。多分ニュース性がないからでした。私はまちづくりにとってこれは致命傷だと考え、むしろ意識的にマスコミを使ってまちづくりを仕掛けようと考えました。次々に打ち出す政策や活動の様子をアイデアでカバーしました。よく言われる「犬が人間に噛み付いたらニュースにならないが、人間が犬に噛み付いたらニュースになる」の如く、一工夫も二工夫も知恵を出しました。マスコミが注目するニュースをどんどん出したのです。結果的には県内では注目を集める町になりました。
今ではすっかり有名になっている夕日だって、マスコミの力がなかったらこんなに成長はしなかっただろうと思うのです。宣伝費のないわが町が巧みな情報戦略で公共情報媒体を使ってやったまちづくりの数々はこれからもまちづくりのヒントとして見習って欲しいと思うのですが、残念ながらその素養を持った役所の職員にはお目にかかれないのが実態です。マスコミに媚を売るようなことはしなくてもいいのですが、せめて地域の人が頑張る姿を小まめに新聞に載せてその気にさせることぐらいはやって欲しいものです。
先日マスコミ関係者と最近のまちづくりや役所の実態についてお話をしました。役所は昔から臭いものには蓋をする習慣があります。マスコミはその臭いものを蓋を取って確認したがるのです。蓋を取って匂いが出れば市民の知る権利や正義として記事にします。役所はその蓋に鍵を掛けて匂いの出ないよう統制をする、マスコミはその鍵を更に開けようとして攻防が始まり、結局は後手に回った役所は事の重大さに気がつきお詫びや説明責任を果たさなければならない醜態となるのです。マスコミを敵にするか見方にするかは、こちらのやり方だと思います。
先日佐賀県へ講演に出かけました。その模様が佐賀の新聞2社で記事となり、関係者から送られてきました。見落とすような小さな記事ですが、この情報発信こそ大切な仕事なのだということを、役所の人間はもっと認識すべきではないかと思うのです。私が毎日書くブログも、新聞に出た記事も読まない人には何の情報にもなりません。毎月発行し広報委員さんを通じて送られてくる広報も読まない人には紙ごみです。どうしたら読んでくれるか考えなければその次には進めないものです。読者を登場させるという関心の引き方もたまには必要だと思うのです。
「近頃は 新聞テレビ 出なくなる 双海という名 陰に隠れて」
「スクラップ 箱に入れられ 書棚上 一度整理を 思いつつウーン」
「三面に 出る記事役所 嫌がって 蓋をしたがる あいも変わらず」
「佐賀の地で 話した話 新聞に 友の送りし ファックスを読む」