○万華鏡と手づくりおもちゃ
子どもの頃学校の工作で万華鏡を作った経験があります。当時はそんなもの売っている店もなく、キットなどなかったものですから、ガラスを売っている金物店へ行って、おじさんにガラスの端切れを寸法を計って切ってもらいました。定規を置いて先端にダイヤモンドのついたガラス切りで切る姿にまるで魔法のようなものを感じたものです。このガラスを3枚合わせて三角形の筒を作り、底と上蓋を貼り合わせ中に色紙の切ったのを入れると不思議や不思議、様々な幾何学模様が筒を回す度に出てきて何ともいいようのない世界が広がるのです。友だちのと変る変る見せ合うのですが、一つとして同じものはなくうっとりして見とれたものでした。
今は土産物屋へ行けば千代紙を張った民芸調の万華鏡がお手ごろ価格で売られているものの、そんな時代遅れな遊び道具より、子どもたちの目は原色に近い色調のお土産に行って見向きもされないようです。
先日私の書斎の書棚の奥にある古ぼけた万華鏡を目敏い孫が見つけました。私もすっかり忘れてしまっていた万華鏡なのですが、これは友人の快気祝に貰ったものだと思い出し、孫と一緒に穴から中を覗いてみました。
この万華鏡は木製の中にレンズが組み込まれている特殊なもので、市販されている民芸調のものとは少し違って見えるのです。万華鏡の穴から手の指を見たり人間の顔を見たりすると、これまた手の指や顔が幾つも幾何学的に写って飽きないように出来ているのです。
(まるでドングリのような万華鏡)
(蓋を取ると中にはレンズが入っています)
孫は「おじいちゃんの顔が沢山ある」とか、穴からテレビを見てキャーキャー言って遊んでいました。その内万華鏡にも飽きて菓子箱で何やら工作を始めました。私も負けじと箱をハサミで切り取り遊び道具を作ってやりました。私の作った空飛ぶ円盤はメンコのような丸い画用紙の隅に切り目を入れ、そこへ輪ゴムを引っ掛けると面白いように飛ぶのです。円盤には孫が絵を書き、私が孫の名前をもじり「朋樹号」と書いてやりました。何個も作って外へ出て孫と飛ばせ競争をしましたが、孫は既製品のおもちゃに慣れているせいかこのおもちゃがとても新鮮に感じたのでしょう、汗をいっぱいかいてくたくたになるまで遊んでいました。
私たちはいつの間にか子どもに物を与える場合、裕福になったせいもあるでしょうが、作られた物を与えるようになってしまいました。私たちが子どもの頃のような貧しいが故に万華鏡さえ自分の力で作った頃の事を思い出し、子どもたちと一緒になって何かを作りあげる方がよっぽど子どもたちは喜ぶことを思い出すべきだと思いました。恐竜の模型や飛行機の模型よりおじいちゃんと一緒になって作った空飛ぶ円盤の方が生き生きと輝いて遊ぶ孫の顔を見たのです。
さて今度は孫とどんな遊びをしようか楽しみがまた増えてきました。
「書棚から 目敏く見つけた 万華鏡 孫はキャーキャー 言いつつ眺め」
「じいちゃんの 空飛ぶ円盤 気に入って 汗をかきつつ 孫は追いかけ」
「何もない だから何でも 工夫して 作った昔 懐かし遊び」
「買ったもの 与えて喜ぶ 顔よりも 一緒に作る 孫は生き生き」