○老いを迎える不安
数日前、親父と長年親交のあった友人善徳さんが亡くなりました。誰かが死ぬと普通は小さな田舎町のことゆえ、口から口へと噂話が伝わるのですが今回ばかりは伝わらず、結局善徳さんの死を知ったのは葬式が終わってからでした。妻が職場で聞いてきたようで、「どうも善徳さんが亡くなったらしい」というのです。善徳さんの家の近くに住んでいる人に確認したところ、葬式は既に済んでいるとのことでした。急いで香典を用意し遅まきながらのごあいさつとなってしまいました。
善徳さんと親父は同じ漁師仲間で、親父の船と善徳さんの船でペアーを組んで2艘漕ぎという漁法で魚を取っていました。戦後の活気に満ち溢れた時代でしたから、漁獲はあったものの販路が限られていてそんなに飛び切り儲かったという話は聞きませんでしたが、それでも瀬戸内海から宇和海まで幅広い漁場へ出漁し、特に南宇和郡深浦などを基地として活躍したようです。
親父は大正7年の生まれですから今年89歳になります。ある部分の強さを持っていますが日々老化が進み、最近は脛の具合も悪くなって少し弱気な発言が目立つようになりました。それでも昔人らしく律儀に生きて身の回りのことは殆ど自分でこなせる自律老人なのです。
「善徳さんが亡くなったので葬式に行こうと思ったが、善徳さんが亡くなったのを知った時は葬式も終わっていて、香典を持って挨拶に行ったよ」と親父に話しかけると、急に落胆し善徳さんにまつわる様々な思い出を語り始めました。お互い子沢山の長男に生まれたこと、二艘漕ぎで切磋琢磨しながら沢山漁をしたこと、深浦で多くの人に世話になったこと、善徳さんの兄弟のこと、先日下灘の診療所で顔をあわせ声を掛け合ったことなど、涙を流しながら話してくれました。そして最後にポツリ、「いよいよわしの番になった」と死ぬ順番の来たことを寂しく話すのです。「大病(ガン)を患った時はわしが一番先に死ぬとみんなが噂しよったが、噂した親しい人はみんな先にあの世に行ってしまった。AさんもSさんもBさんも死んで、おらより年上はCさんだけだ」と嘆いていました。
人間の死亡率は100パーセントですからはいつかは死にますが、歳をとると死への不安が毎日募るようです。年末には7年前に亡くなったお袋が「夢に出てきて色々話をした」とか、「墓参りするのに少し遠い場所になったのでお墓を近くに移転してはどうか」などと、認知症ともとれる発言をしたりするようになり、日々の暮しの中で少しずつ明らかに歳を感じるようになりました。
でも元気です。年末には還暦の同窓会のために帰省した弟夫婦と隠居で水入らずの正月を過ごしたり、年末に愛用の冷蔵庫が傷んで使用不能となり、電気屋さんに出かけて大型の冷蔵庫を買ったりして、数年後の暮らしの備えをしているのです。言動のチグハグさは相変わらずですが、老いへの不安や死への不安を取り除き、生きる悦びを与えてやれるのは私たち家族だけなのだと思いつつ、今朝も隠居へ親父の様子を見に行きました。今日も元気なようです。27年後の私の姿が隠居の親父にダブって見えました。
「友人が 死ぬ度親父 俺の番 来たと弱気な 発言飛び出し」
「親父見て 二十七年 後の俺 見ているようで 少し寂しく」
「冷蔵庫 でっかい方が いいという 何年生きるか 親父算段」
「毎日が 楽しい日々と 父が言う 孫につくろう 虚笑寂し」
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うちの親父も大正7年生まれです。
進ちゃん今年も元気で、全国元気にしてあげてください。うちの地域だけでも、裕美さんたちと元気にしていきたいと思っていますので、よろしく指導くださいね。