shin-1さんの日記

○動かなくなった腕時計

 私には奇妙な癖があります。それは左腕に着けた腕時計をやたらと何処ででも外す癖なのです。これは一種の職業病かもしれないと思うようになったのはつい最近のことです。私は2年前まで35年間役場に務めましたが、その殆どの職場で会議の司会や結婚式の司会、討議のコーディネーター、講演や講義などタイムキーパーと呼べるほどな役割をこなしてきました。その都度腕時計のお世話になり、腕時計を外して腕時計を見ながら仕事をしてきました。ですから私の腕時計は会議用だったのです。

 ところが困ったことにその癖が机に座れば外し、車に乗れば外し、時には料理屋でいっぱい飲時にも外すというように、タイムキーパーをしないでもいい時まで無意識のうちに外してしまうようになっていたのです。習慣とは恐ろしいものだとしみじみ思いました。お陰さまでお酒を体の都合で止めている最近は忘れなくなりましたが、酒席で何度も無くしたものです。その都度明くる日は大騒動で、飲み屋に「腕時計を忘れていなかったですか」と問い合わせ、何度も手土産を持って引き取りに行ったものです。これも怪我の功名でしょうか、腕時計を忘れたお店の親切な対応に感激し、2~3の馴染みの店が出来たりもしました。

 私の使う腕時計はデザインは余り気にせず、1~12までの文字盤がシンプルにして見えやすいものを使っています。しかも時々なくなることを前提にそんなにお金をかけない安物の時計なのです。今使っている時計は長持ちして電池交換を5回ぐらいやった、私にしては秘蔵愛用の時計なのです。

 その愛用の腕時計が最近動かなくなりました。自動巻きなので一週間くらい使わないと動きを止めるのですが、この一年くらいは腕につけてふれば2~3日は動いていましたが、先日講演前に動かなくなっているのに気付きました。普通の会議用会場には時計があるのですが、大きなホテルや舞台には時計がありません。これも職業病なのでしょうか、会場に入るとまず時計の位置を確認します。その次に自分の時計と会場の時計の誤差を確認します。会場に集まった人は私の時計など見ることも出来ないので、会場の時計に合わせて喋るのです。ところがもう自分の事前講師紹介も終わって壇上に上がる時間になって自分の時計の動いていないのに気付き、会場を見渡しても時計のないことに気がつきました。腹時計などでやれるものではないので慌てて腕を何度も振りましたが、腕時計は動いてくれませんでした。

(左側が動かなくなった愛用腕時計・携帯電話・千円の腕時計)

 その時です。点の助けとでも言うのでしょうかズボンのポケットで携帯電話をマナモードにしていたバイブレーターが鈍い音を肌に伝えました。パニックから我に帰った私は携帯電話を取り出して演台に置きこともなく90分の講演を終えることが出来たのです。それ以来少しの期間携帯電話で腕時計の時計を使っていましたが、どうも気になってしっくり行きませんでした。

 先日山梨からの帰り道、新宿駅の地下売店で安売り腕時計を見つけました。私のお気に入りの腕時計が何と千円なのです。直ぐに求めてその場で調節してもらい腕にはめて帰りました。サイズも使いこなし具合もピッタリで、安物ながら今のところ気に入って使っていますが、私の腕時計外し癖は今も直ることはなく、そのうちどこかでなくすかもしれませんが、「千円だから」となくしても納得できそうです。でも大切なタイムキーパーの役割を何度も担ってくれているこの時計、そう易々となくすわけにはいけません。たとえ安くても大事に使いたいものです。

  「可愛そう ついに寿命の 腕時計 私の頭脳 支え続けて」

  「この時計 たった千円 驚いた それでもちゃんと 一秒遅れず」

  「時計など 使わぬ自由 欲しいのに 未だに時間 気になる世界」

  「捨てようか いや記念にと 迷いつつ 机の上に 置かれたままで」 

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shin-1さんの日記

○夫婦円満

 人のこととばかり思っていた自分のリタイアを経験し、リタイアしてから早くも2年近くになろうとしています。退職後の自由な時間に憧れながら一方では収入を断たれる不安や夫婦の絆の脆さを漏れ聞いていましたが、私たち夫婦に限っては今のところ講演依頼、大学非常勤講師、自治会長、ボランティアグループ代表、まちづくり団体代表などの仕事や役職が重なって自由な時間こそないものの収入も何とか飢えて死ぬようなこともなく生きてきました。肝心の夫婦円満については妻の気配りでしょうか、私の収入源を少しでもカバーしようと近所の歯医者で働くことは今までどおり辞めもせず家庭と両立しながらサポートしてくれ、今まで以上に円満な暮らしをしています。

 しかし、退職の時に自分で誓った出来るだけ家庭での仕事もカバーしようと思っていたことは、やはり今までの癖が抜けきれず、相変わらずの亭主関白ぶりで暮らしているのです。

 昨日の新聞の家庭欄「こころの森」に作家の難波利三さんが「夫婦円満」について書いていました。その記事に夫婦円満の秘訣は喧嘩をしないことだと書いていました。喧嘩をしないためには三つのことに注意すればいいのだそうですが、この三つが実は私の心を言い表しているような言葉なのです。

 ①時間を催促しない。

 ②買い物に口出ししない。

 ③不用意に言葉を発しない。

 私は待つのが嫌いです。ですから何処かへ出かけるときも、自分の身支度が整えば何もせず車庫へ行き、車に乗って待っているのです。慌しく振舞う妻を見て「早くしろ」とせかし、時には遅い妻にクラクションまで鳴らすのです。化粧が長い、支度が遅い、忘れ物はないか、早くしろと口うるさくせかすものですから、妻も私に合わせようと必死になって、「あれっ、ガス消したから?」なんてことになり、楽しいはずの外出がもう出発の時点で不愉快な気分になるのです。難波さんは「どれだけいらついても忍の一字で絶えろ」というのですが、はてさてそんな忍耐が出来るかどうか。

 最近私はハーモニカを吹いています。車の中で妻を待つことが多い私は、密室たる車の中でハーモニカを練習するのです。嬉しいことにその技術は向上しないもののどうに人前で吹けるところまで漕ぎ付けたのは待ち時間のお陰です。

 買い物には基本的について行くのは荷物を持たされ時間を待たされるので嫌いです。ですから買い物には妻も割り切って娘たちと行くようにしていますが、旅行などに行った時は仕方なく同行します。ところがどうでしょう。行った先々でお土産をやたらと買うのです。一年前退職記念でカナダの旅に出かけました。「おいお前、帰ったら土産物屋をするのか?」と悪態を叩くほどに買うのです。「いつも貰うばかりで悪いから」とか、「みんな私たちが外国旅行に行ったことを知っているから」とかいちいち口上を言いながら買うのです。ひどいのはまだカナダに行っていないのに旅行業者から送られてきたカタログでお土産を品定めして、帰る日に到着するよう手配するのですから呆れてものが言えません。これも見てみぬふりをして見ていろというのでしょうか。

 不用意な言葉もよく出ます。先日旅行に一緒に行きましたが、風呂の好きな妻は折角温泉に来たのだからと4回も入って磨きを掛けます。「温泉なんて2回も入れば十分」は禁句、バイキング朝食も食べきれないほど取ってきます。そんなに食べて大丈夫か。太るぞ」も禁句。ああーあ、何のための旅行だか。結局最後は「お父さんとはもう旅行はしない」と妻を怒らせてしまい、後味の悪い旅行になってしまうのです。

 定年を迎えたのを機に夫婦円満を第一に考えて行動しているつもりでも、中々上手く行きません。要はお互いがわがままにならず譲り合う気持ちが大切です。こんな話を妻にしたら「お父さん今頃気付いたの」「でもその気持ちは自分自身にしっかり納得させてね」であえなくチョンでした。情けなや、情けなや。

  「わがセリフ 早くしないと 早くしろ 何処の早よだか 分らず早よと」

  「ほっとけば 財布空まで 続けたる そんな予感の 妻の買い物」

  「言いたくは ないと言いつつ 言う私 結局喧嘩 妻に軍配」

  「これからは 夫婦円満 心がけ そんな殊勝な 気持ち芽生えて」

   


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shin-1さんの日記

○伊予路に春を呼ぶ椿さん

 暖冬暖冬と何かにつけて呼ばれ、地球温暖化や環境問題の必要性が強調された今年の冬でしたが、その冬もいよいよ暖冬のままで終わりそうな気配で、早くもテレビや新聞では杉花粉情報が取りざたされるようになりました。日本の国を西と東に分ければ西日本、裏と表に分ければ表に位置するわが町に住む人間にとってはやはり寒い冬は苦手で、特に年齢を重ねると冬の寒さは手足もかじかんで行動範囲も制約されてしまうのです。

 普通の年だと2月の始め頃にある「伊予路に春を呼ぶ」といわれる松山の椿神社の祭礼が、今年は旧暦のせいなのか極めて遅く、一昨日から今日まで3日間行われています。表参道、裏山道を合わせると1キロ以上の道沿いに露天がずらり軒を並べる椿さんは、子どもの頃から私たちの憧れの的でした。昔は何処を切ってもおたふくの顔が出てくるおたやん飴のお店が多かったのですが、糖分を気にする最近はその店も段々少なくなって肩身が狭そうにあるのです。中には日ごろ見たこともないようなお店や、特に山門近くには「蛇女」などの芝居小屋が出て、怪しげな語り口で客の心を誘うのです。私たち子どもはポケットの小銭を握り締め店定め、品定めをしながら、人ごみの中を何度も何度もお気に入りの場所を行ったり来たりしたものです。親に連れられ汽車とバスを乗り継いで出かけた遠い遠い日の思い出は今も忘れることはない少年の頃の思い出なのです。

 昨日は曇がちながら風もない穏やかな天候だったので、妻と孫と3人で娘の入院の見舞いを兼ねて午前中椿さんにお参りに出かけました。「椿さんは混んでる」というイメージがあったので少し遠めの駐車場に車を止めて、往復約2キロの道を孫の両手を妻と私が持って散歩がてら歩きました。参道にはお馴染みの露天商が並び、孫にとっては欲しいものばっかりで中々前には進みませんでした。歩行者天国となっているため安全なのですが、既に山門から本殿近くは身動きできないほどのノロノロ歩きで、孫のような小さな子どもは手を離すと埋没して見えないほどの混みあいです。それでも孫はしっかりとお賽銭を握り締め本殿の鈴を鳴らしながら車の中で練習した「お母さんが早く元気になりますように」「お母さんが早く退院できますように」と一新にお祈りしていました。勿論私たち夫婦も同じようなお祈りに加え、昨日が看護士の国家試験受験である次男の合格もお祈りをしました。

 お参りが終わって山門横のお札所で娘と息子嫁の安産、おじいちゃんの健康、わが家の家内安全などのお札を買い、山門近くでは縁起物のクマデを買ってさあいよいよ孫の買い物です。

 ところが何故か孫は「一つだけ」という買い物のお約束の中から「金魚すくい」を選んだのです。この寒空に夏の風物である金魚すくいはないぞと思いましたが、せがみに負けて孫が覚えていたその場所を手を引っ張られて探し当て、1回400円の金魚すくいにチャレンジしました。でも孫はどうしてよいか分らず、結局は私に金魚すくいを依頼してしまったのです。私は童心に帰りチャレンジしましたが、何と何と10匹もすくってしまいました。孫は大喜びで、「幾らすくっても赤い金魚3匹か出目金1匹という小さな文字を見落としていたためガッカリしてしまいました。でも孫はビニール袋に入れてもらった金魚を不思議そうに触りながら、大事に大事に家へ持って帰りました。


 途中デパートに立ち寄りましたが、余程気に入ったのか孫はその金魚の袋を放そうとしないのです。妻が買い物、私は孫のもりでしたが、ちょっと目を離したすきに孫の姿が見えなくなってしまいました。数分すると場内放送で「岡本朋樹君のおばあちゃん、お孫さんが探しておりますので最寄のカウンターへお越しください」とアナウンスされたのです。驚きました。孫が迷子ではなく私たちが迷子にされてしまったのです。カウンターに行くと孫は泣くどころかニコニコ顔で、カウンターのお姉さんが「この子はしっかりしていますね」「それに比べ・・・」とは言いませんでしたが言いたげな雰囲気で孫を褒めてくれる始末です。思わぬ大恥をかいてしまいました。とんだ所で大恥をかいてしまいました。


 孫は帰ってからも風呂敷でマントを作り、紙チラシで剣を作って盛んに動き回ります。「男どうし」が口癖になって風呂にいるのも寝るのもすっかりおじいちゃんです。あーあー、今日も一日孫の守りで疲れました。

  「4歳の 孫がばあちゃん 迷子です 放送聞いて 顔が真赤に」

  「春を呼ぶ 椿の祭り お参りに 孫と三人 仲良く手つなぎ」

  「おたやんの 飴の不思議を なめながら 今も昔も 変わらぬ縁日」

  「お守りや お札を受けて 一安心 霊験新た 神に頼みぬ」

 

  

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shin-1さんの日記

○あなたの夢って一体何?

 一昨日人間牧場へ地元の中学生が研修にやって来ました。研修といっても僅か一時間余りですが、それでも先生の熱心な指導で事前に質問事項を考えての参加ですからこちらも真剣にそのことへの回答を出さねばならず熱の入ったやり取りでした。この日訪ねてきた中学生はかつて私が教育長をしていた頃通学合宿夕焼け村に参加したことのある顔馴染みの子どもが沢山いて、子どもの成長の早さに今更ながら驚きました。

 人間牧場の説明や私の考えを少し話した後、それぞれの質問に対して応えてゆくのですが、大きなテーマが「夢」だけにかなり突っ込んだ話となりました。私の夢は人間牧場のある場所から始まりました。母に連れられて毎日のように登ったみかん山で私はどれ程の夢を見たことでしょう。海の向こうに何があるんだろうという素朴な疑問や、やがて大きくなったらあの海の向こうへ行って見たいと思う希望がやがて一冊の本に凝縮されてゆきました。「ジョン万次郎の生涯」という本でした。私はみかん畑にこの本を運び暇さえあれば読んでいました。漁師の子として生まれやがて自分も漁師になるという宿命を感じながら、自分の将来とジョン万次郎の生涯を重ね合わせながら夢を膨らませていったのです。

 やがてその夢は愛媛県立宇和島水産高校への進学と愛媛丸という実習船での航海となって夢に近づき、アメリカへ行きたい夢も総理府派遣声援の船の班長として実現できたのでした。

 その後の私の人生は病気によって180度の変更を余儀なくされましたが、その役場という職場でもみかん畑から見た瀬戸内海に沈む夕日への想いとなって再び現れ、夕日によるまちづくりとしてそれなりの成果を収めたのです。


 私が中学生に強調したかったのは、夢を持つこともさることながら、夢の実現のためにどんな努力をしたか、夢の実現のプロセスで経験した失敗や挫折をどのような努力で乗り切ったか、夢の実現にどんな人が関わったか、また夢の実現の悦びや成果がどうであったかです。確かにその成果を見ると誰でも簡単な方法で夢を実現したように見えますが、世の中はそんなに甘くはないということを語りました。

 人間は失敗したり壁にぶち当たった時は誰でも逃げ出したりしたくなるものです。ある人はそれを死という逃避方法すら選ぶ事だってあるのです。私たちは自分という一人の人間を完成させるには10代も遡ると1024人もの先祖的人間がいるという、つまりパズルの1024コマがなければ今の自分は存在しないという理論を話してやりました。中学生にとって当面の目標は受験です。その受験を一年後に控え、思い悩む事だっていっぱいあると思うのですが、自分ひとりで悩まず、両親や兄弟、先生や仲間のアドバイスを受けながらいい青春時代を過ごして欲しいと締めくくりました。

 人間牧場の水平線の家のフロアーに一個の大きな魚梁瀬杉の切り株があります。この切り株ははるばる高知県から運ばれてきたものですが、年輪は150年です。つまり一つの年輪を刻むのに一年かかるわけですから人間に例えると150歳なのです。人間はたかだか長生きしても100年です。この切り株は何処かの森に生まれ、他所の土地へ旅をするわけでもなくじっとその土地に立ち続け、太陽の当たる所は大きく、日陰の北向きは小さく文句も言わずそれなりに年輪を刻んできたのです。この深く年輪を刻んだ切り株を見る度に、自然の偉大さと人間の寿命のはかなさを思わずにいられません。中学生はまだ14歳くらいですからいかにちっぽけな短かさでしょう。

 中学生に向き合って話すと、大人に話すより難しいことに気付きます。理解できる言葉や例えでないと中学生の心の扉は開かないのです。もう少し話芸を極めていい話が出来るように努力したいものです。

  「多かりし 夢の彼方に たどり着く それでも俺にゃ まだまだ夢が」

  「切り株の 年輪数え 俺の歳 端数程度と しゃくだが思う」

  「過ちや 失敗経験 繰り返し 人生成り立つ そんなもんだよ」

  「この風景 今も昔も 変わらぬが 変わり過ぎたる 社会の流れ」


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shin-1さんの日記

○海事都市今治のまちづくり

 70市町村が20の市町になった平成の大合併が一応の終息を見たこの頃は、合併問題でなお揺れ動いている松野町を除いて、どの市町も合併騒動が終り新しいまちづくりに向けてノロノロ運転ながらやっと動き出し始めました。勿論「金がない」、「小さな中央集権」の二文字の言葉は相変わらずですが、目ざとい首長は知恵の競争よりも自分の次なる選挙を勝ち抜くための処方箋としてまちづくりを位置づけているようです。本来なら今年は統一地方選挙の年で、県知事や県議会議員の選挙が賑やかなはずですが、合併によって選挙の分布も様変わりし、既に終えた県知事選挙は加戸さんがさしたる対抗馬もなく三選を果たし、今は水面下で合併後初となる県議会議員選挙が中盤戦となっているようです。

 県議会議員から市長選に出て当選した越智今治市長さんは「海事都市今治」をスローガンに新しいまちづくり構想を発表し、しまなみ海道の玄関口としての位置づけをより強固なものにしようとしていますが、その今治で昨日まちづくりふフォーラムが地場産業センターでありました。今治市出身の世界的建築家故丹下健三さんが設計したという立派な円形の会議場は250人を超すひとが集まり、周囲には今治で既に行われている草の根のまちづくりがパネルで展示され、島嶼部や陸地部にあった旧越智郡の町村の様子がかなり詳しく紹介されていました。先日内子町で開かれたえひめ地域づくり研究会議の20周年記念シンポで招いた法政大学の田村明名誉教授の論によると、合併は自治体の合併で、地域コミュニティの合併ではないのですから合併によって埋没しそうになっている旧市町村の地域住民はそのことをしっかりとわきまえて旧市町村ごとのまちづくりを色として残しながらコミュニティ活動を進めるべきでしょうが、そのボタンの掛け違いが今の行政と住民の苦悩のようです。

 昨日は産業と観光、生活と福祉、身近なまちづくり(防災)などをテーマに私を含めた3人がパネラーとして壇上に立ち、今治市以外の動きを紹介しました。午後からは3つの分科会に別れそれぞれの分科会では3人のパネラーをコーディネーターとして、今治市内の3人の事例発表を基に白熱した討議が繰り広げられました。私は第一分科会のコーディネーターを担当しましたが、「自然や歴史がおりなす人・まちづくり」について、大成経凡さん「能島の里を発展させる会」、渡邊秀典さん「今治市青年農業者協議会」、野間征子さん「しまなみツーリズム推進協議会」の発表はそれぞれに地道な日ごろの活動が紹介され、ためになる話でした。発表の跡は0分間の休憩時間に発表者への質問事項を書いてもらい、その質問にショートコメントを組み込むといった手法をとったため長いと思われた2時間30分の持ち時間もあっという間に終わってしまいました。

 私はコーディネーターとして産業や観光にとって景観が大切になることを少し時間を取って議論しました。景観を守るには一定のルールがあることや、景観という無形ながら価値のあるものに気付きそれを磨き上げてゆかなければ産業や観光はなり立たないことを話しました。幸い海運業に従事しながら能島周辺で30年間活動している大成さんらの方向も、しっかりとそのことを意識しているようでしたし、野間さんや渡邊さんたちのツーリズムもいい方向に向かっているようでした。

 問題はこれからです。まちづくりは住民・団体・行政が縦糸・横糸で織り成す共同作業ですが、その誘導や後押しをする行政が景観という意識を持たないで行政を行う危険性が多分にあるのです。景観行政に目覚めていない自治体は無秩序なまちをつくります。そのことを自覚させるには自治体職員をこうした研修に積極的に参加させるべきなのでしょうが、残念ながらその数は余り多くありませんでした。でもかつて越智郡といわれた旧町村でまちづくりを志した方々は会場の隅に陣取りしっかりと耳を傾けていたようで安心して旧交を温めました。

 まちづくりはエンドレステープのようなものです。一つの山を越えたらまた次なる山が待ち受けています。歩を止めずしっかりとした足取りで参画と協働のまちづくりを進めた欲しいと願っています。

  「フォーラムで ちらほら見える 懐かしき 旧町村の 顔が笑顔で」

  「海事都市 行き交う船も 潮騒も 全て絵になる 景観ですよ」

  「ツーリズム 日本語で言え の質問に 慌てふためく 浅知恵悲し」

  「菊間から 出稼ぎ娘 今治で 頑張る姿 何と逞し」 

 

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shin-1さんの日記

○久万婦人会万歳

 かつてまちづくりの大先輩であった久万町助役の渡部さんが存命中は久万町での集会も多く、よく国道33号の難所三坂峠を越えて久万町へ勉強会に行ったものでした。当時は高速道路もない時代でしたから33号線は伊予から土佐へ抜ける車が列を連ねて行き交い賑わいを見せていました。その後も請う津へ出かけるのんびり旅の時はちょくちょく33号を通るのですが、高速道路に座を奪われてからは車の台数もめっきり減って、昨晩区長会が5時半に終わってくまを目指して伊予市を出発したのですが、何と久万の役場まで40分足らずで到着する速さなのには正直言って驚いてしまいました。

 昨晩は久万長商工会指導員渡辺浩二さんの口添えで久万町婦人会の総会に招かれたのです。区長会が予想以上に早く終わったため渡辺浩二さんに携帯で連絡し、商工会で落ち合って夕食でも食べようという話になって、寿司屋へ案内されました。山の中ゆえもっと別の物をと思いきや、渡辺さんは行きつけの主背に案内をしてくれました。出て来た大将とは食品協会の会合で顔見知りだったりしてすっかり打ち解けた食事となりましたが、その寿司が美味いのなんのって、棚から牡丹餅ならぬカウンターから寿司で、度肝を抜かれました。寿司ネタの美味しさや新鮮さに、海の町で舌の肥えた私でも正直驚いてしまいました。

 町の中心地にある久万公民館に10分前に到着し玄関を入ると、綺麗な花がいっぱい飾られて、これまた男の花道かと見まがうほどで驚いてしまいました。女性の感性といえばそれまでですが、顔なじみの役員さんが演出した会場設営の妙はどんな立派な会場より輝いて見えました。


?講演会は2階の和室に座卓と座布団を並べての設営でした。中に入ると世にいう婦人会の斜陽化など何処吹く風で会場いっぱいの人が集まり、何とも賑やかな雰囲気でした。来賓席には愛媛新聞の支局長さんまで居並ぶ豪華さでこちらがすっかりたじろいでしまいました。

 私の話は約1時間でしたが、阿吽の呼吸とでも言うのでしょうか、私の話が受け入れられたのか、はたまた田舎の女性集団だったためか何時になく反応がよく、笑いの中であっという間に終わってしまった感じでした。おまけに吹いたハーモニカの「ああ上野駅」と「みかんの花咲く丘」の2曲は大きな声を上げて輪唱までしてくれたのです。多分この歌を知っている人たちの年齢は賞味期限が切れてる年代でしょうが(笑い)、自分たちの過ぎ越し人生と流行歌をダブらせながら懐かしさがこみ上げてきたのではないかと思いました。

 「婦人会なんてメリットがない」なんていって参加しない人が増えてきました。また婦人会に入ると役をしなければならないから敬遠する人もいます。でも自分の町に生きて、自分の町で死んで行く幸せを思えば、やはり婦人会ぐらいには入って活動したり、婦人会活動で学ぶことの大切さを考えなければいけないのではとしみじみ思いました。昨晩集まった人々の顔の何と輝いていたことか、何と笑顔が素敵だったことか、集まった人は間違いなく死んだら天国へ行ける人たちだと思いました。

 この世を天国のような世界として生きてる幸せな人はあの世へ行っても必ず天国へ行けるのです。いい人生でありたい。お金も欲しいし幸せにもなりたいし、長生きもしたい、そんな願望を叶えてくれるのは婦人会だとしみじみ思いながら、ただ一人暗闇の中を三坂路を下り、ほのぼのとした心で家路を急ぎました。

  「こんなにも 盛況なりし 婦人会 久しぶりです 輝き見える」

  「集まった 人たち来世 天国だ だって幸せ 噛みしめ生きてる」

  「驚いた 山のすし屋の 味の良さ 腕と素材が 見事に調和」

  「道空いて スイスイ峠 道越えて 昔は遠い 今は近くて」


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shin-1さんの日記

○コナンの里へのメッセージ③

 鳥取県北栄町へ行くのには、色々なルートがあります。山陽の岡山を基点にすると普通は高速道路山陽道から米子道を経て

湯原ICで降り、国道313号で関金温泉を通るルートがありますが私は時間的な制約もあって往路はこのルートを走りました。帰りは少し余裕があったので違うコースを通ろうと三朝温泉国道179号を走り人形峠を越えました。


 長閑な春の日差しや好天にも恵まれ奥津温泉で一服して旅の気分を味わいました。観光を考える場合誰にどんなルートで来てもらうかは重要なことです。湯原や奥津といった峠道の拠点に町を宣伝するパンフを置いたり情報を流したりすることは重要なことなのです。湯原も奥津も残念ながら鳥取県ではなく岡山県のためそうしたお願いは出来にくいものなのでしょうが、実はこれが大事な仕事であることも頭に入れておくべきだと思うのです。北栄町の周辺には関金温泉、三朝温泉、東郷温泉、はわい温泉という全国的に見てもかなりハイレベルな温泉がひしめきあっていますし、倉吉の町並みもそれなりに高い評価を得ています。また鳥取砂丘もあるのですから、そうした観光資源を活かさない手はありません。是非一考を願いたいものです。

(何かに活かしたい昭和ロマン漂う元銀行の建物)

(景観上何とかしたい建物)

(何気なくあるが景観として立派な古民家)

(古いポスト景観に一役、だが電柱が邪魔)

(ホッとする街の中の緑の庭園)

 景観を知らずに観光を考えた場合、かえって景観を壊す場合があります。それは看板です。今北栄ではまち歩きに便利にしようと町内に説明のための看板を設置する事業が進められているようです。この日のまち歩きでも看板を設置する現場に出会いました。コア抜きで穴を掘り看板の足を取り付ける作業をしていましたが、どうも気になって仕方がないのです。今はCGなるものが進んでいる時代ですから、看板のない写真に看板を落とし込んでそれが適当かどうかシュミレーションして検討するくらいな発想は巡らさないと思わぬ失敗を招きます。

 ここまで進んでいることに口を挟むのはどうかと思いますが、少し専門家の意見を聞くべきなような気もしました。最近は公園にゴミ箱を置かないとか、公園に看板を立てないとか、電線を地中化するとか様々な警官に対する配慮がなされる時代になってきました。それは見た目に美しいからです。環境コーディネーターの宮本孝二郎さんは「ある調査によると、まちのイメージをつくる最大の要因は『見た目』が90%である」と言っていました。私もその意見には同感です。私の町が花作りに取り組んだり、海岸国道16キロのガードレールを白帯型から薄青パイプ型にしたのも見た目の美しさを追求するためです。人は気付かないようでも感じがいいと思うものなのです。


 例えば北栄町の奥にダム湖があります。人造湖ながらそのダムはえん堤が石張りでできているためとても辺りの自然にマッチしているのです。ああいいなあと360度の視界を見渡したとき、突然視界の中に発電用の風車が飛び込んできます。何年か前まではこの風景が珍しく、風車でまちおこしなんて時代がありました。クリーンなエネルギーですからこれこそ地球に優しい国策だと思うのです。しかし最近では無秩序とも思えるように立てられた風車群は景観を壊すとまで言われ始めてきました。景観を遮る風車については異論の分かれるところなので余り述べませんが、この議論こそがが景観理論なのです。

 景観という視点で町を見渡してみると残して置きたいものと無くして欲しいものが見えてきます。

 川原に雑然と積まれた石積みは貴重な景観です。「えっ、これが景観ですか?」と言われそうですが、この石積みには必然性があるのです。この石積みが殺風景なコンクリートで固めた皮をどんなにか癒しの空間として表現しているか分りません。石積みの上に生えているススキだって立派な景観として役に立っているのです。まちをもう一度景観という視点から見つめなおしていただければ幸いです。

  「あっそうか 意付くところに 意味がある 奥は深いね まちづくりとは」

  「同じこと 聞いても 気付かぬ 人もいる 無知ほど怖い 行政はない」

  「看板が 看板倒れの 町となる よくよく考え 看板立てよ」

  「峠とは 山の上下 字の如し 人は何処から 何を求めて」

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shin-1さんの日記

○コナンの里へのメッセージ②

 由良川沿いを下った私たちは少し戻って前川沿いを歩いてみました。運河にも似たこの川は実によく整備をされていて、JRの鉄橋までに6本の橋が架かっていて両岸の道を挟んでなだらかな斜面を有しています。特に公民館前はまるで船着場のような風景が広がっていました。この両岸にも柳とアジサイでも植えればまさに掘割巡りが出来そうな雰囲気です。川の風景は水ゆえに訪れた人々の心を癒してくれるでしょう。私はこれを「前川再生プロジェクト」と仮称で名前を付けてみました。

(由良川付近から見た前川)

(公民館前の両岸石積みの絵になる風景)

 付近には自動車屋さんの庭に無造作に置かれた古さを思わせるような彫刻物もありましたし、町長さんの頌徳碑などもあって、将来は沿線に彫刻でも置けばかなり有望なエリアのようです。

(いわくのありそうな頌徳碑)
(車の陰になって無造作に置いている石仏)

 私たちが前川に入ろうとするころ、商工会の方々が小船に乗って由良川の橋の下をくぐる実験をしていました。漏れ聞くところによると、屋形船の導入を真剣に検討しているらしく、どの程度の高さならくぐれるか検討しているとのことでした。彼らは委員会のメンバーなのではやる気持ちに感心しながら見送りました。前川のあちこちには鴨などの野鳥が見られ、川鵜も長閑に潜水を繰り返していました。昨晩の交流会で鵜飼の話に花が咲きました。特に「人間鵜飼」なんて私の面白い発想には大爆笑でした。鵜飼ではありきたりで何の話題にもなりませんが、人間が鵜になって年に一度でも鵜飼をすればこれこそ全国ニュースになるかもしれません。高校生の水泳部にでも頼めば簡単でしょう。よく「犬が人間に噛み付いた話は話題にならないが人間が犬に噛み付いた話は話題になる」という逆転の発想です。私の自著本に「昇る夕日でまちづくり」という本があります。「夕日は沈むものなのにどうして昇るの」とよく聞かれました。また「朝日なら分るが夕日って本当に地域資源になるの?」なんて話も随分聞きました。これこそ新しい発想なのです。

(橋の下をくぐる実験をしている商工会の方々)

(川幅の広い由良川、たくさん野鳥が羽を休めていました)

 しかし気になるのは地元の人が川や町についてはっきりした説明が出来ないようではその先には進めません。委員会のメンバーにはかなり歴史に詳しい人もいるようですが、その知識を共有するアクションが必要でしょう。

 昨日の委員会に景観コーディネーターの宮本孝二郎さんがゲストスピーカーとして見えておられました。彼の理論は委員会のメンバーには少し難しく聞こえたようでしたが、私は彼の話こそ聞いて欲しいし来年度は是非取り組んでもらいたい事業だと、錨の展示を見て思いました。彼の資料を触りだけ紹介しておきます。

 地域が景観を認識する5段階

 ①第一段階 無関心の段階

 ②第二段階 警官に気付く段階

 ③第三段階 景観は皆のものと認識する段階

 ④第四段階 景観は私のものと考える段階

 ⑤第五段階 警官の良さを外部に伝える段階

 

 景観検討委員会のスケジュール案

 ①第1回 景観とは何かを知る(序論)

 ②第2回 身近な景観について識者の座談会を聞く

 ③第3回 景観ワークショップ(まちなみウォッチングによる共同作業)

 ④第4回 景観ワークショップのまとめ

 ⑤第5回 景観の具体的な対策のまとめ


 本当はこうした作業をしなければ景観とはとか、景観に気付いてそれを生かすことはできないのです。この作業を手抜きすると錨のようになってしまうのです。

 宮本さんの話は実に理路整然としていました。少なくとも役場のまちづくりに携わる人だけでも景観行政に対する知識を習得しておかないと、スピードの激しい現代では、文化的価値のあるものが散逸してしまう危険性があるのです。現に私が携わった短い半年間にも、その目で見れば少しずつ町の様子が変化していることに気付くのです。それは町民にとってかけがえのないものであるので、結果的には町民が不幸になることなのです。

 日和川の奥まったところに歌碑が建っていました。名前を見ると由良川沿いに建っていたアジサイの歌碑と同じ人たちのものと思われますが、中々労作のようです。これもミステリーですね。町歩きはここが終点くらいでしょうか。

 街の中へ人を呼び込む手段としてコナンのブロンズ像がどうしても欲しいのはよく分る理論です。一方ではコナンに頼らないまちづくりを考えなければならないといいながら、一方ではコナンのブロンズ像があったらという考えも成り立ちます。

(まち中の空き地)


 この場所は比較的広いし商店街の中心に位置する場所でもあるし、更には豊田旧宅跡の和風庭園からも近く絶好のポイントだと思います。


(広場の前にある重厚な造りの薬屋さん)

(豊田家旧宅和風庭園)残念ながらロープが張ってありました)


 豊田家旧宅跡和風庭園の近くに出雲大社由良分院があり、立派なレンガ造りの灯篭がありました。ここも無住でしょうか灯篭の横に無残にもこけ落ちた藤棚を見ました。驚きました凄い根周りの藤の木が無造作にありました。この藤の巨木は何とか再生して欲しい珍品で界隈にはないほど価値がありそうです。既に藤は周りの樹木に登ってそれらの木々を枯らす勢いのようで、早い対応が求められています。

(レンガ造りの灯篭)

(見事な根周りの藤の木)


 街歩きをして見るとこの町はまるで時間が止まっているような錯覚さえする雰囲気が漂っています。これらとコナンの里を結び付けるには、「歩いて探検」という共通のテーマが浮かび上がってくるようです。知らない町を虫眼鏡で調べる虫の目の探検は、委員会が取り組んでいる鳥の目的なActvity Mapにあるようです。幸いこのマップは専門家でもかなりハイレベルな人が監修しているので、その成果が期待できそうです。

 役場のいり口に、「青山剛昌ふるさと館開館まであと26日」とありました。ふるさと館のオープンは3月26日です。否応なしにやってくるオープンに向けて急ピッチで進めれれている様々な作業で、ややもすると忘れられがちなもてなしの心や、町を美しくする心構えを今一度見直して欲しいものです。

  「まち歩き すればするほど 魅力ある このまち歴史 探検したい」

  「何気なく 見ている町民 こんなもの それがお宝 へーそうですか?」

  「前川の 両岸柳 芽吹かそう さすれば春は 風情を一句」

  「景観は 心眼開かにゃ 見えぬもの 宝活かせば 北が栄える」


 


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shin-1さんの日記

○コナンの里へのメッセージ①

 10月12日・13日の2日間、鳥取県北栄町の招きで行った折、その感想をメッセージのつもりでブログに書いて公開していました。この文章を読んだメル友からは感想や意見が寄せられましたし、年末の忘年会ではその記事が話題になりました。故にこのブログの記事はてっきり北栄町の関係者も読んでいただいているものと思って、コピーを依頼することもなく2月20日・21日の両日2回目の招きで北栄町へ出かけました。先日内子座で開かれたえひめ地域づくり研究会議の20周年にも四門さんや川本さんが来ていたので、確認をすることもなく意思が通じているもと思っていました。

 ところが会議の事前打ち合わせが始まってみると、私のブログを読んでいる人が一人もいないことに気付き、慌ててインターネットで私のブログを検索してもらいプリントアウトしてその資料を基にお話をさせてもらいました。

 私がいくら立派な話をブログに書いた所で、見ない人読まない人にはまったく私の情報は届かないという、情報化社会の盲点を改めて思い知らされた一日となりました。それでも気を取り直して話しましたが、この記事を書いた日時は訪ねた5日後の10月17日と20日の日付になっており、○北栄町を訪ねる①②③と題して11ページに渡って訪問で気付いたことをルポしているのです。まだ4ヶ月しか経っていないというのに人間の記憶はあいまいなもので、このルポでもなければ私の頭から過去の訪問時の記憶は完全に失われているのです。今更ながら忙しい日々の中であればあるほどメモをすることの大切さを実感した次第です。

でも「犬も歩けばブログに当たる」といわれる、ブログがこんなに普及している時代なのに、私のブログにであわない「北栄町の情報受信や発信の仕方こそ問題だ」と酒の勢いで笑い話のような喧嘩を吹っかけておきました。

 2月20日は委員会での議論でしたが、明くる日は担当の川本さんと二人で午前中タウンウォッチングをやりました。2月の厳寒期とは思えない温かい陽気に誘われて役場前から出発し、前回は早朝ひとりで巡ったコナンのブロンズ像巡りではなく、町の魅力発見の旅をしました。一口で言っていい文化的価値や未利用資源がいっぱい発見されました。

 まず私は役場を出てコナン通りを進みコナン大橋のたもとで左に曲がり由良川沿いの道を進みました。ここら辺の川は川幅も広く、屋形船の舟遊びには最高の場所だと思いましたが、両岸の風景はいずれも殺風景で、願わくば5メートル間隔で柳の木とその下にアジサイを植栽し水辺の演出を心がけたいと思いました。両岸の植栽本数はかなりの量に上ることから宝くじのコミュニティ助成事業を使えば、モデル事業となって鳥取県のイメージを高めるばかりでなく季節を演出してくれること間違いなしだと直感しました。

 既に川下にはそのようなイメージを持った人の痕跡がかなり見えました。柳とアジサイが既に数本植えられていて、アジサイ橋やアジサイの歌の歌碑まで建っていてびっくり仰天しました。

(柳の木の植栽風景)

(アジサイの植栽風景)
(アジサイの歌の歌碑)

(アジサイ橋の欄干)

 ただ、これらのものが、誰の許可を得て誰がしたのかはっきりしないところが奇妙で、突き止めてみることは必要だし、場合によっては物語になる可能性もあるようです。
 この道沿いにはかつて北前船で栄えた面影が随分残っており、そのような物語の形跡がたくさん残っておりました。


(玉井医院の由緒ありそうな裏門)

(北前船の船着場跡の記念碑)

(大錨と新調された保存小屋)

 この小屋は最近新調されたようですが、まず錨を立てたままの展示は危険なので、直ぐに足元にボルトをはめ込み安全にすることが求められます。さらに錨はかなり腐食しているので、これ以上腐食しないようコールタールを塗ることを進めます。出来てしまったので文句は言えませんがもう少しデザインがよければと感じました。

  「足元に 眠るお宝 気付かぬか 文化作るは 年数かかる」

  「俺の町 こんなお宝 あるならば 十万人も 直ぐに呼べるわ」

  「錨置く 小屋を作るは 偉いけど 展示方法 怒ってますぞ」

  「アジサイが 柳が既に 植えられて 橋と歌碑まで 出来てるなんて」

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shin-1さんの日記

○合格祈願

 「お父さん、僕はやっぱりもう一度勉強して看護士になりたい」と次男が言い出したのは今から5年前でした。高校を卒業するとき、先生も私たち両親も大学進学を勧めたのに、自分の選んだ会社に入って8年間も仕事を続けた後の決断でした。親にしてみれば職業を代わることのリスクを知っているだけに、「何で今更」と思ったものです。でも息子の意志の固いことを確認してしぶしぶOKしたものです。5年なんてと思っていましたがあれから5年が矢のように過ぎ去りました。息子にとっても迎えて長く過ぎて短い5年だったのだろうと思うと、月日の経つのは早いものだと実感します。

 私の生活設計だと子ども4人は私が退職するまでに学業を終えてそれぞれ自立させ、あわよくば結婚も終えたいと思っていたのに、私が退職をした後も学業支援が残っているなんて想像もしませんでしたが、それでも5年の学業を終え、今週末には看護士の国家試験があるようで、連日連夜自分の部屋に閉じこもって受験勉強にいそしんでいるようです。

 昨晩鳥取県北栄町から帰ってきたところへ長男から電話がありました。「受験が近いので合格祈願のお守りを買ったけど、仕事が忙しいのでついでの際に取りに立ち寄って欲しい」旨の電話がかかってきました。今日はスケジュールの合間で午前中大学へ学生の成績表を届けに行くことや、親父を整形外科に連れてゆく都合があったので、ついでではありませんが息子のマンションに立ち寄りました。息子夫婦は息子嫁の実家が経営する喫茶店の近くにあり、息子嫁もそこで働いています。仕事柄午前11時の出勤なので息子のマンションを訪ねてみると、息子は既に仕事に出かけていて、息子嫁が一人迎えてくれました。

 「お父さんホットミルクを作りましょう」と用意してくれたミルクを居間に運んでくれました。居間の机の上には書きかけた英語の手紙と辞書が置いてありました。留学生活の経験がある息子嫁は英会話が出来るのですが、デジタル時代ながらアナログを重宝しているようで、そんな話に端を発して日ごろの暮しのこと、将来の生活設計のこと、8月に控えた初産のこと、息子のことなど近況を飾り気なく話してくれました。話を聞くにつけしっかりと暮しを見つめて行動している姿に思わず嬉しくなりました。

 息子嫁と私はすっかり気が合って、人間牧場の蚊帳を縫ってもらったり、何でも話す親子の間柄になっていますので、お互い気を許しあって何でも話が出来、むしろわが娘以上に人生について話し合ったりするのです。

 それにしても長男夫婦が、年齢的には遅いと思われる次男の受験を気遣い神社で合格祈願をしていてくれたなんて嬉しい話だと思いました。長女を除けば男の子3人の兄弟ですが、少年の頃は何かと喧嘩をしたり反感反目したりもしましたが、年齢を経ると兄弟の絆がより深くなるのか、お互いが出会って食事をしたり交流をしているようで、特に長女と長男は牽引車としての自覚も生まれ、いい方向に導いているようです。

 今週末には高松で国家試験の受験があるようですが、優しい息子夫婦が用意してくれたこの合格祈願が成就するよう願ってやみません。

  「神頼み 優しい夫婦の プレゼント 次男頑張れ みんな応援」

  「久しぶり 息子夫婦の マンションを 訪ね色々 人生語る」

  「子の家も 大蔵大臣 育ってる ほのぼの夢を 親子で語る」

  「早五年 過ぎてしまえば 矢の如き 月日経ったか 俺も歳だな」


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