shin-1さんの日記

○コナンの里へのメッセージ①

 10月12日・13日の2日間、鳥取県北栄町の招きで行った折、その感想をメッセージのつもりでブログに書いて公開していました。この文章を読んだメル友からは感想や意見が寄せられましたし、年末の忘年会ではその記事が話題になりました。故にこのブログの記事はてっきり北栄町の関係者も読んでいただいているものと思って、コピーを依頼することもなく2月20日・21日の両日2回目の招きで北栄町へ出かけました。先日内子座で開かれたえひめ地域づくり研究会議の20周年にも四門さんや川本さんが来ていたので、確認をすることもなく意思が通じているもと思っていました。

 ところが会議の事前打ち合わせが始まってみると、私のブログを読んでいる人が一人もいないことに気付き、慌ててインターネットで私のブログを検索してもらいプリントアウトしてその資料を基にお話をさせてもらいました。

 私がいくら立派な話をブログに書いた所で、見ない人読まない人にはまったく私の情報は届かないという、情報化社会の盲点を改めて思い知らされた一日となりました。それでも気を取り直して話しましたが、この記事を書いた日時は訪ねた5日後の10月17日と20日の日付になっており、○北栄町を訪ねる①②③と題して11ページに渡って訪問で気付いたことをルポしているのです。まだ4ヶ月しか経っていないというのに人間の記憶はあいまいなもので、このルポでもなければ私の頭から過去の訪問時の記憶は完全に失われているのです。今更ながら忙しい日々の中であればあるほどメモをすることの大切さを実感した次第です。

でも「犬も歩けばブログに当たる」といわれる、ブログがこんなに普及している時代なのに、私のブログにであわない「北栄町の情報受信や発信の仕方こそ問題だ」と酒の勢いで笑い話のような喧嘩を吹っかけておきました。

 2月20日は委員会での議論でしたが、明くる日は担当の川本さんと二人で午前中タウンウォッチングをやりました。2月の厳寒期とは思えない温かい陽気に誘われて役場前から出発し、前回は早朝ひとりで巡ったコナンのブロンズ像巡りではなく、町の魅力発見の旅をしました。一口で言っていい文化的価値や未利用資源がいっぱい発見されました。

 まず私は役場を出てコナン通りを進みコナン大橋のたもとで左に曲がり由良川沿いの道を進みました。ここら辺の川は川幅も広く、屋形船の舟遊びには最高の場所だと思いましたが、両岸の風景はいずれも殺風景で、願わくば5メートル間隔で柳の木とその下にアジサイを植栽し水辺の演出を心がけたいと思いました。両岸の植栽本数はかなりの量に上ることから宝くじのコミュニティ助成事業を使えば、モデル事業となって鳥取県のイメージを高めるばかりでなく季節を演出してくれること間違いなしだと直感しました。

 既に川下にはそのようなイメージを持った人の痕跡がかなり見えました。柳とアジサイが既に数本植えられていて、アジサイ橋やアジサイの歌の歌碑まで建っていてびっくり仰天しました。

(柳の木の植栽風景)

(アジサイの植栽風景)
(アジサイの歌の歌碑)

(アジサイ橋の欄干)

 ただ、これらのものが、誰の許可を得て誰がしたのかはっきりしないところが奇妙で、突き止めてみることは必要だし、場合によっては物語になる可能性もあるようです。
 この道沿いにはかつて北前船で栄えた面影が随分残っており、そのような物語の形跡がたくさん残っておりました。


(玉井医院の由緒ありそうな裏門)

(北前船の船着場跡の記念碑)

(大錨と新調された保存小屋)

 この小屋は最近新調されたようですが、まず錨を立てたままの展示は危険なので、直ぐに足元にボルトをはめ込み安全にすることが求められます。さらに錨はかなり腐食しているので、これ以上腐食しないようコールタールを塗ることを進めます。出来てしまったので文句は言えませんがもう少しデザインがよければと感じました。

  「足元に 眠るお宝 気付かぬか 文化作るは 年数かかる」

  「俺の町 こんなお宝 あるならば 十万人も 直ぐに呼べるわ」

  「錨置く 小屋を作るは 偉いけど 展示方法 怒ってますぞ」

  「アジサイが 柳が既に 植えられて 橋と歌碑まで 出来てるなんて」

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shin-1さんの日記

○合格祈願

 「お父さん、僕はやっぱりもう一度勉強して看護士になりたい」と次男が言い出したのは今から5年前でした。高校を卒業するとき、先生も私たち両親も大学進学を勧めたのに、自分の選んだ会社に入って8年間も仕事を続けた後の決断でした。親にしてみれば職業を代わることのリスクを知っているだけに、「何で今更」と思ったものです。でも息子の意志の固いことを確認してしぶしぶOKしたものです。5年なんてと思っていましたがあれから5年が矢のように過ぎ去りました。息子にとっても迎えて長く過ぎて短い5年だったのだろうと思うと、月日の経つのは早いものだと実感します。

 私の生活設計だと子ども4人は私が退職するまでに学業を終えてそれぞれ自立させ、あわよくば結婚も終えたいと思っていたのに、私が退職をした後も学業支援が残っているなんて想像もしませんでしたが、それでも5年の学業を終え、今週末には看護士の国家試験があるようで、連日連夜自分の部屋に閉じこもって受験勉強にいそしんでいるようです。

 昨晩鳥取県北栄町から帰ってきたところへ長男から電話がありました。「受験が近いので合格祈願のお守りを買ったけど、仕事が忙しいのでついでの際に取りに立ち寄って欲しい」旨の電話がかかってきました。今日はスケジュールの合間で午前中大学へ学生の成績表を届けに行くことや、親父を整形外科に連れてゆく都合があったので、ついでではありませんが息子のマンションに立ち寄りました。息子夫婦は息子嫁の実家が経営する喫茶店の近くにあり、息子嫁もそこで働いています。仕事柄午前11時の出勤なので息子のマンションを訪ねてみると、息子は既に仕事に出かけていて、息子嫁が一人迎えてくれました。

 「お父さんホットミルクを作りましょう」と用意してくれたミルクを居間に運んでくれました。居間の机の上には書きかけた英語の手紙と辞書が置いてありました。留学生活の経験がある息子嫁は英会話が出来るのですが、デジタル時代ながらアナログを重宝しているようで、そんな話に端を発して日ごろの暮しのこと、将来の生活設計のこと、8月に控えた初産のこと、息子のことなど近況を飾り気なく話してくれました。話を聞くにつけしっかりと暮しを見つめて行動している姿に思わず嬉しくなりました。

 息子嫁と私はすっかり気が合って、人間牧場の蚊帳を縫ってもらったり、何でも話す親子の間柄になっていますので、お互い気を許しあって何でも話が出来、むしろわが娘以上に人生について話し合ったりするのです。

 それにしても長男夫婦が、年齢的には遅いと思われる次男の受験を気遣い神社で合格祈願をしていてくれたなんて嬉しい話だと思いました。長女を除けば男の子3人の兄弟ですが、少年の頃は何かと喧嘩をしたり反感反目したりもしましたが、年齢を経ると兄弟の絆がより深くなるのか、お互いが出会って食事をしたり交流をしているようで、特に長女と長男は牽引車としての自覚も生まれ、いい方向に導いているようです。

 今週末には高松で国家試験の受験があるようですが、優しい息子夫婦が用意してくれたこの合格祈願が成就するよう願ってやみません。

  「神頼み 優しい夫婦の プレゼント 次男頑張れ みんな応援」

  「久しぶり 息子夫婦の マンションを 訪ね色々 人生語る」

  「子の家も 大蔵大臣 育ってる ほのぼの夢を 親子で語る」

  「早五年 過ぎてしまえば 矢の如き 月日経ったか 俺も歳だな」


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