shin-1さんの日記

○初詣にお寺

 普通初詣は神社が多いのですが、私の今年の初詣は今治市玉川町の仙遊寺となりました。昨日玉川町の成人式に招かれたのを機に、私の腰痛の具合を心配した妻が孫同伴で運転手をかって出てくれたので少し早めの7時に家を出て仙遊寺にお参りし、暫くの間住職さん夫妻やお寺で働く方々と談笑しました。このお寺の住職は小山田憲正さんといって、お寺の住職でありながら地域づくりに熱心な方です。彼は元々お寺出身ではありませんが厳しい修行を積んでこの寺に入り、火事で焼けたお寺を再建したり、地域の子どもに少林寺拳法を教えたり、源流という地域づくりグループの代表として活動したりと、まあ八面六臂の活躍をしている人です。お坊さんらしく穏やかな人ざわりは誰からも愛され、このお寺には四国八十八ヵ所という名刹としてだけでなく多くの人が集まってくるのです。もう20年前に彼と出会った時はあどけないような感じがしましたが、その後の活躍は目覚しく、事業家といった方がいいほど様々な事業を手掛けているのです。宿坊や道場、炭窯、温泉と止まるところを知らないほど夢を形にしています。

 私も小山田さんを通じて玉川町の多くの町民を知り、玉川町の初期の頃のまちづくりのお手伝いを随分させてもらいましたが、その一つ一つが形になって大きな成果を収めているのですから、天晴れとしか言いようがありません。

 もう一つ、彼の大きな仕事は四国八十八ヶ所を世界遺産にするという大きな夢があります。最初私が代表を務めるえひめ地域づくり研究会議でこの事業に取り組んだ時は多くの人が反対したり冷ややかな目で見ていました。久万高原町の渡辺浩二さんと一緒になり出口の見えない世界遺産化の会の会長としてこれまで地道に活動をしてきました。多分世界遺産なんてとだれもが思っていた昨年末、思わぬ方向に急展開し始めました。世界遺産候補地のリストアップをする期限が設定され、四国からは八十八ヵ所が候補地として4県の県庁が動き出したのです。これまで何度も県庁へのアタックを試みましたが、殆ど門前払いの格好で相手にさえしてもらえませんでした。錦の御旗というのはこのことでしょうか。驚くような進歩に、私たちも目を丸くしました。勿論世界遺産化には沢山の高くて難しいハードルが待ち構えていることでしょうが、それでも第一ラウンドのゴングが鳴っただけでもうれしいことです。これも小山田さんや渡辺さんのの飽くなき執念が実ったものと思っています。

 住職さんの奥さんも活動家で町の教育委員をしたり何かとさわやかな風をふかしてくれます。娘さんも後を継ぎ昨日は納経所で納経帳を書いておられました。

 妻は束の間の時間ながら奥さんから精進料理に欠かせないゴマ豆腐の作り方を教わったり、息子夫婦のために安産のお守りを買ったりしていましたが、私たちと一緒に仏様に手を合わせる孫の姿もいいものでした。健やかに育って欲しいものです。

 成人式の講演も無事終り、帰りのコース沿いにある奥道後のホテルでバイキング昼食を3人で食べ、食事券とセットになっているジャングル風呂でひと風呂浴びて帰って来ました。

  「お願いは 自分の心に するものと 無理な願いは ほどほどにして」

  「世の中は 何処でもそうだ 風見鶏 冷ややか人が 手のひら返して」

  「この坊主 何処かの社長じゃ あるまいか 家は建てるし 温泉までも」

  「ゴマ豆腐 レシピをメモに したためる 妻に一声 料理は愛よ」 

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shin-1さんの日記

○三つのリンゴ

 私は毎朝リンゴとキャベツをもう二十年も朝食に食べているリンキャベ派です。リンゴとキャベツにどのような栄養素があるのか深く研究しているわけではありませんが、妻も私に見習って毎朝食べていて、それがよいのか殆ど病気もすることなく元気に働いていますから、これからも続けようと思っています。

 ところで今朝はまちづくりにつながる三つのリンゴの話です。まず一つは「ニュートンのリンゴ」です。ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て万有引力の法則を発見しました。私たちは日々の暮しの中で当たり前と思っていることがいっぱいあります。でも自分が一歩外に出た時、その当たり前が実は当たり前でないことに気付くのです。私の町のサイレンも一つの事例です。まちづくりが始まるまではあのけたたましい災害用のサイレンでした。子どもの頃からなっているサイレンですから何の疑いも持たずに暮らしてきました。ところが色々な町に行くようになってミュージックサイレンを聞くようになると、その音がまるで雑音にしか聞こえなくなったのです。「慣れると怖いなあ」と思ったし、この「雑音サイレンをミュージックサイレンにしたらさぞや快適だろうなあ」とも思いました。しかし気がついてもそれを変えるだけの勇気と行動がありませんでした。幸い私はまちづくりへの参加参画を促すセクションに異動したのを機にみんなにその話を持ちかけ、ついには無線放送で夕日の町に相応しい現在の「夕焼け小焼け」の音楽に変えたのです。町のイメージは音という世界で一変しました。これはニュートンの「発見」というよりは「再発見」かもしれません。でも身の回りにあるものでも「再発見」すれば価値があるものは随分あるのです。

 二つ目は「アダムとイヴのリンゴ」です。このリンゴは禁断の実ですから毒があるということをみんな知っています。だから百人が百人手を出さないのです。私が出会った夕日はまさに禁断の実であったように思うのです。「双海の夕日が美しいから地域資源にしてまちづくりをしたらどうか」という私の提案に、「夕日なんて日本中、世界中何処にでもある」とみんなが口をそろえて反対しました。私はみんなが反対するから成功すると思い「夕やけプラットホームコンサート」を思いつき実行しました。かなり激しい足引張りにも耐えながら20年間、様々な夕日夕焼け物語を作る努力をした結果現在の夕日の日本で一番美しいオンリーワンの町になったのです。皆が賛成するようなもの全てがいいものとは限りません。賛成しないリスクを乗り越え初めて甘い果実に行き当たるのだと思うのです。私の町はかつて「町名変更」という町を二分するような大騒動を経験した町です。町外の人から見れば町の騒動は恥ずかしいことに見えますが、実はこの「町名変更」騒動で培った町を二分する大議論が「反対意見も賛成意見もお互いが言い合う土壌が育っていたのです。リンゴに毒があっても抵抗があっても挑戦していく、アダムとイヴのリンゴは「挑戦」し続ける教えです。

 三つ目は「ウイリアム・テルのリンゴ」です。人間の頭の上に乗せたリンゴを弓矢で射抜くことなんか普通の人では出来っこありません。ですからそんな場面に出くわしたらみんな目をそむけ誰もやろうとはしないのです。人間は何気なく生きているようでもそれなりに目的を持って生きているものです。昨日まで正月でした。殆どの人が神社やお寺に初詣に出かけ、あるいは自分の家の神棚にお光をあげて今年一年の願い事を神に祈ったはずです。これはある意味個々人の目的であります。今年こそは日記をつけよう、タバコを止めようなんてささやかな目標を立てるのですが、一週間、一ヶ月するとその目標は計画倒れに終わってしまうものです。人間の心の弱さは万事こんなものです。

 私は夢を食べる人間のようで、シーサイド公園に「童謡の小路」を作る計画を考えました。しかしお金がありません。シーサイドのあちこちに童謡の歌碑を数箇所設置する構想には250万円ものお金が必要でした。でもその夢に投資をしてくれる郷土出身の篤志家がいて実現したのです。童謡の小路はささやかで小さな目的でした。でも頭の上に乗せたリンゴという「目的」を射抜くためにはしっかりとそれを見据えなければなりません。そうすれば無理だと思ったリンゴを貫通することができるのです。

 「ニュートンのリンゴ」も「アダムとイヴのリンゴ」も「ウイリアム・テルのリンゴ」も一つだけでは上手く行きません。まちづくりには三つのリンゴが必要なのだと思ういます。

  「ニュートンは リンゴ落ちるで 引力を 私は何を 発見するのか」

  「アダム・イヴ リンゴ食うなと いう教え 敢えて食うのも 挑戦ですよ」

  「ウイリアム テルはリンゴを 矢で射抜く 目的持てば 実現するもの」

  「なるほどと 三つのリンゴ 理解する 見る食う射抜く 力量必要」 

 

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