shin-1さんの日記

○船旅

 私は漁村で生まれ漁村で少年時代を過ごしました。水産高校を出てからふるさとに帰り7年間も漁師をしていたこともあって海との関係が深く、役場でも四年間水産を担当しました。またシーサイド公園では漁協婦人部のおばさんたちと一緒になってじゃこ天などを開発し様々な海を巡る仕事に携わってきました。また退職した現在も請われるままに地元漁協の活性化について委員会の取りまとめを依頼されるなど、海との関係は生涯にわたって続くものと思われます。私はそんな生い立ちが心を揺さぶるのか水産高校の練習船愛媛丸での遠洋航海や、総理府派遣青年の船で2ヶ月を超える船旅も経験しているのです。ですから海や船は私にとって切り離すことが出来ず、調べて船のルートがあれば多少時間がかかっても船旅の方を選ぶのです。

 先日九州の福岡博多に行きました。福岡県観光連盟の招きによるホスピタリティの研修でしたが、数日前懇意にしている関西汽船の浜田さんと出会ったのを機にふと松山~小倉ルートがあるのを思い出しました。飛行機だと松山空港からひとっ飛びなのですが、飛行機は性に合わない性格から極力避けるため、このルートを選んだのです。松山で会合を終えて時間があったので本屋へ寄ったりして過ごしていると浜田さんから連絡が入り、急遽船着場で会うことになりました。関西汽船には一昨年まで支社長として本町出身の池富さんがいたので一度お邪魔したこともあり事務所に案内されました。

 浜田さんはその日私が書いたブログの文章を既にプリントアウトして持っており、細かいところまで気の付く方なのです。そのうち浜田さんが「若松さんいい人を紹介しましょう」と、まだ乗船の始まっていないフェリーの船長室へ私を案内してくれました。多分普通の人は立ち入り禁止区域なので滅多に入れないのですが、ブリッジの横の船長室で出港準備の忙しい時間なのに面談してくれました。浜田さんや船長さんの話だと一度私を訪ねて双海町役場に来られて面談しているそうで、宇和島水産高校の後輩とのことでした。船長といえばこのお船では一番偉い人なのですが、そんなそぶりは微塵もなく短い時間ながら四方山話に花を咲かせました。

 やがて出航時間が近くなったのでブリッジに案内され船長さんと記念写真を撮りました。そして私は2等船室のチケットの場所へ行こうとしたのですが、浜田さんの計らいで特一という部屋へ案内されました。この日は木曜日ということもあって乗客も比較的少なく私の部屋は4人部屋だったのですが私一人専用でクルージングを楽しませてもらいました。私は庶民派なのでいつも2等船室を利用します。膝や腕がすりあうような混んだ船室は様々な会話が交わされ、それがまた旅のよき思い出となるのです。

 夜9時55分に松山観光港を出港した船は穏やかな瀬戸内海の航海を続け早朝5時には小倉港に無事入港しました。明けやらぬ小倉の街を小倉駅まで歩き、一番列車に乗って博多に着き駅の食堂で温かい味噌汁とご飯を食べました。

 旅情とはこんなものなのです。速いスピードの時代に、ゆっくりのんびり旅を楽しむ、それでいて安い旅、もう文句の付けようのない船旅でした。これからも折にふれこんなスローな旅を楽しみたいものです。でも私の安眠の影に船を動かしている人のいることを忘れてはなりません。

  「特一の 部屋で快適 小倉行き 起きれば九州 朝街歩く」

  「船長と ブリッジ談笑 ひょっとして 俺もこの船 乗っていたかも」

  「窓辺より 遠くにかすむ ふるさとの 辺りを眺め 夜船進む」

  「人生は 分らぬものよ 今の俺 海を目指した 昔懐かし」


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○朋樹プロジェクト

 娘の入院から始まったわが家での孫育てのことを、わが家では「朋樹プロジェクト」と呼んでいます。孫のことくらいで大袈裟なとお思いでしょうが、娘婿・私・妻・次男という忙しい人間揃いの周辺だけでは日程がかみ合わず、結局は松山に住んでいる長男も巻き込まなければこのプロジェクト事業が成り立たないのです。

 まずこのプロジェクトは毎週日曜日の夜娘婿から届くメールによる娘婿のスケジュール調整から始まります。大学に勤める娘婿の日程は年度末の忙しさもあって中々超多忙のようで、娘婿の日程の詰まっている日をみんながカバーするのです。私はこのところの県外出張続きで日程の塞がっている日が多く当てに出来ないと妻からこぼされていますが、それでも朝夕の松山にある幼稚園への送り迎えはこなそうと努力しています。妻は月曜日と金曜日は夕方遅くまで勤務があるためおやじの食事の世話や家事全般で目が回るほどの忙しさです。お陰さまで少し太り気味だった体重もどんどん落ちて今はスッかrスリムになったようです。次男は来月の国家試験に向けて追い込みだし演劇の発表会も控えていて連日連夜充実した寝不足の日々が続いているようです。そこで登場するのが長男です。設計事務所に勤めているので、今夜は仕方なく息子に幼稚園お出迎え送迎を頼むことにしました。長男は大の子ども好きで孫の面倒を見ることには慣れているため最適ですが、それでも仕事が終わってわが家まで送り届けることは大変なようです。息子夫婦も8月には待望の子ども誕生の朗報が入っているだけに、子育ての練習とばかりに一所懸命世話をしてくれているようです。

 昨日は日曜日だったので久しぶりに孫を連れて娘の入院している病院に見舞いに行きました。朝方の雨もあがり暖冬のおだやかな晴天に恵まれて、孫もウキウキしながら母親と再会し母子ともが安心したようでした。自分の勤める病院に入院する何とも奇妙なことなのですが、娘も母子ともに少し落ち着いた様子ですが予断は許さないようでした。

 帰路、他の人のお見舞いの品を高島屋へ買いに行く妻を近くの路上に車を止めて待っておりました。昨日は人の出も多く何処も満員の状態で込み合っていました。突然孫が「おじいちゃんウンコ」というのです。急に「ウンコ」といわれても困ったもので、近くの駐車場を探しましたが、お互い携帯を持ち合わせていないため連絡が取れないため、仕方なく路上空き地に車を止めて付近のトイレを足早に探して走りました。結果的には松地下の商店街しかなく、腰に爆弾を抱えていながら火事場の糞力よろしく、地下への階段を孫をおんぶして走りました。孫はトイレで大きな糞をして、「おじいちゃん僕のウンコ腐ってないよね」とすまし顔でいうのです。「うん、朋樹君のウンコは腐っとらん」と真顔で冗談を言い合いました。多分路上駐車なので駐車違反の張り紙をされるだろうと覚悟してのウンコ騒動でしたが、帰ってみると近くに駐車違反の監視員が近づいていましたが事なきを得たようです。悪いことは出来ませんね。

 孫がわが家に来始めてから既に一ヶ月近くが経ちました。孫も今ではわが家の太陽のように明るく輝いています。風呂に入れたり、食事をさせたり、寝かせたり、孫中心の毎日です。時には眉毛を10時10分にしてしかってみたり、8時20分にして眉を細めてみたり、一喜一憂の日々です。でも何故か孫が可愛いおじいちゃん、おばあちゃんを楽しくやっているこの頃です。今年は娘夫婦に、そして長男夫婦にそれぞれ子どもが生まれる予定です。一人だった孫も一挙に3人になる予定です。妻の苦労たるや大変なのでしょうが、これも親の務めと思い一生懸命サポートしてやりたいものです。

 「朋樹プロジェクト」は楽しくも忙しいわが家の一大事業となっています。

  「孫の手で 肩を叩いて くれました 優しい心 育ててやりたい」

  「じいちゃんに 叩かれ痛いと 妻にいう 孫の知恵です 助け舟呼ぶ」

  「このウンコ 腐ってないと 孫が聞く 糞は腐って 出るものなのに」

  「お兄ちゃん 盛んに自分 ピーアール 兄弟できるの 余程嬉しく」 

  

[ この記事をシェアする ]