shin-1さんの日記

○みんな忙しそう

 昔交通安全の標語に「狭い日本そんなに急いでどこへゆく」という名標語がありました。この標語のように今の日本人は急ぎ過ぎの感は否めない事実のようです。誰に会っても「忙しい」とか「せわしい」いう言葉が口から出ない人はないくらいです。結果は目に見えない幻影に惑わされてうつ病になったりする心の悩みを訴える人も多いようです。「早くも」という言葉が枕言葉になるような話題をマスコミが捉えるものですから、冬に夏の水着商戦が始まったり、クリスマスなんてものは10月ごろからジングルベルを鳴らし、年賀状だって11月に売り出して人々をあおっています。

 昨日「早くも」ハウスみかん取り入れの話題がテレビで放映されていました。みかんといえば秋の季題なのにハウスみかんの話題は春も終わらないのにもう初夏なのです。わが家ではまだ晩生のみかん類があるのにわざわざ高い重油を使って自然でない不自然なハウスみかんを作っているのです。

 昨日「早くも」松山市のあるデパートの屋上でビヤガーデンがオープンしたそうです。映像に映った人は皆寒そうな姿で飲んでいました。ビールは夏の季語、春も終わらないのにもう初夏なのです。ビールは屋外で汗をかくと上手いというのが自然ですが寒い補のビールは不自然です。

 昨日「早くも」うちわ製造が追い込みという話題が放映されていました。うちわは夏の季語なのにあろうことか夏の甲子園用だというのです。まだ出場校も決まってもいないというのに自然でなく不自然です。

 年中スイカ・トマト・キューリが店頭に並び、八百屋の主人が半袖でも着れば真冬でも間違いなく夏の写真が撮れるのですから世の中は一体どうなっているのでしょう。

 私たちは忙しさの余りではなく、忙しそうな気配を理由に立ち止まることをためらってきました。また立ち止まって失った落し物を拾おうともせずに暮らしている事に気付いていないのです。結構忙しいけれど忙しい気持ちを持たなくても済むような社会にいる私は、そのような生き方をすべきだと幾ら回りの人に言っても無視され、一向に悔い改めようとしないばかりか、むしろ私の言葉を「ご隠居さんの戯言」としてしか聞いてくれないのです。

 今晩今治市波方町の生涯学習総合開講式に講演を依頼され出かけました。ご多分に漏れずここでも合併の後遺症が色濃く残り、あれほど活気のあった海運の町もまるで火が消えたような感じがしました。旧友が支所長にになっていましたが彼は後一年で退職とか、成人病になってこれから歩くのだと散歩着で私に会いに着てくれました。ポツリ「輝いて生きてるあんたが羨ましい」と言ってくれました。「心豊かに生きる」と題した90分の講演は、聞き上手と話し上手で盛会のうちに終わりましたが、生涯学習で幾ら学んでもそのことを生かさなければ意味はありません。むしろこれからの生涯学習は「学んだことをどう生かすか」が重要なのです。今日のがぅ集のキーワードは立ち止まって考え大きな音のしない落し物に気づいて欲し飼ったのです。

 案内しても今日の集会に来なかった殆どの旧町民は私が講演をしている時間に一体何処で何をして過ごしているのでしょうか。気がかりです。

  「集会に 集まる人には 言うことなし 来ない人たち 学びもせずに」

  「幸せは 歩いてこない 取りに行く 学びがそれの 手助けします」 

  「10円は 落とせばちゃりん 音がする 一万円札 太い音(落)せず」

  「何故急ぐ スイカは夏に 食えばいい 高い金まで 出さず堪能」


 

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