○月並みな人並み
私たち日本人は「月並みな言葉ですが」とか、「人並みに幸せになりたい」などと、月並みとか人並みとかいう言葉を日常の会話の中で何気なく使っています。月並みとは「平凡なこと、陳腐なこと」で、人並みとは「一般の人と同様な程度、世間並みな状況」をいいます。日本人の殆どはそうした横並び意識、いわば中流意識を持っているといわれています。そうした言葉を思いつくままに考えてみました。
人並みに五体満足で生まれて良かった。人並みな暮らしがしたい。あの人は人並みはずれた特技を持っている。人並みな結婚をし人並みに子どもを育て人並みな人生を送りたい。月並みな話ですが人並みな生き方をしたいものです。
こんな言葉を聞くと月並みや人並みとは一体どの程度の事を指すのだろうと、自分の暮らしの程度を考えながら、手の届きうる自分より一ランク上の人の存在を考えてしまいます。人間は悲しいかな自分の努力のなさを棚に上げて人が努力によって勝ち得た幸せをねたんだり羨ましく思ったりするものなのです。しかし忘れてならないのは、自分ではどうすることも出来ない月並み以下や人並み以下の立場に置かれている人が存在することなのです。
私は仕事柄、そうした逆境に置かれ今なお人並みや月並みを求める群集から冷たい視線や仕打ちを受けている多くの人々に出会ってきました。ハンセン病やサリドマイド児など大きな社会問題になってきた人々は勿論のこと、原爆によって体に異常がある人などの不安な日々の暮らしは、まさに息を潜めて生きる苦しみであるに違いありません。
「上見て暮らすな下見て暮らせ」なんて言葉を人生の戒めとして親から子へと受け継いできた生き方にも問題があるようです。かつて私はシーサイド公園の砂浜やミニ水族館の早朝清掃を12年間もやり続けました。ある朝子ども連れのお母さんが、清掃でドロドロになった私を指差し、「あんたも勉強せんとあのおじさんのように掃除をせんといけんよ」と子どもに言ってる姿を思い出しながら、月並みや人並みの怖さを思うのです。
人間は悲しいかな一人では生きてゆけません。必ず人間という他人と生きて行くのですが、人と比較して自分の人生を決めるのではなく自分が人に生かされて生きてることを考えて生きなければならないのです。今日車の中で国会中継をカーラジオで聞きました。小泉首相が「人の憂いに涙し人の喜びに舞う」という言葉を引用して答弁していました。いい言葉ですがいかんせん今の世の中は強者の理論が多く、弱者への配慮はまだまだ足りません。
不足と感じても何不自由なく暮らしている私たちが月並みや人並みを求めるのではなく、月並みや人並みが与えられていない人たちにこそ月並みや人並みを差し上げる心を持ったら、世の中はもっといい世の中になると思うのです。
「月並みや 人並み求める 人ばかり 月並み人並み 誰にあるのか」
「おいちゃんは 汚れた仕事 好きでする あんな人に なれよと親も」
「あと僅か 残り少ない 人生を 生きてる証 人のお役に」
「これ以上 何を欲しがる なあお前 妻と二人で 相槌打ちつ」