○樹齢200年のヤマモモの木
木霊宿るという表現がピッタリに樹齢200年といわれるヤマモモの木が人間牧場に入り口に威風堂々と立っています。私の背丈や目線が低かったからかもしれませんが、私の子どもの頃から半世紀を経ているというのに、あの頃と少しも変わらぬ大きさなのですから、木の樹齢は私たちたち人間の寿命が長く生きてもたかだか100年ですから、恐るべし木の寿命です。この木には大きいからかも知れませんが何度か雷が落ちた後があって、黒く焼け爛れた場所は完全に枯れてその周りに新しい樹皮が覆っているようです。人間に例えると老粋なのか最近は元気がないようにも見えますが、それでもしっかりと大地に根を下ろし振るさおの移り変わりや季節の移り変わりを年輪一つ一つに刻みながら生きています。
私が子どもの頃、この木の周りの人間牧場は食糧難のわが家を助けるため芋や麦を植える畑でした。歩けば1キロもあるわが家からここまでの急峻な山道を、時には肥料を背負子に背負って登り、時には麦や芋を背負子に背負って下りました。子どもの私も我が家の重要な労働力として働いたものです。その甲斐あって足腰の丈夫な子どもに育ちこれまでの人生を支えてきました。物が豊かになるにしたがって芋と麦は姿を消し、みかん類が植えられ、春のみかんの花咲く頃、秋の黄金色の実りの頃などが瞼に焼き付いています。その一部始終をこの木は黙って見続けてきました。勿論その世話を一手に引き受けて働いた母の汗して働く姿も・・・・・。またこの木は漁村の移り変わりも見ているに違いありませんが、口と目と記憶を再生出来ない悲しさからその物語は年輪の奥深くに刻み込まれたままなのです。
私にとってもこの木は特別な意味を持っています。焼け焦げた空洞は祠のようになっていてそこは私だけの宝物を隠す場所でした。ジョン万次郎の生涯という一冊の本と使い古しのハーモニカが忍ばせていたのです。私は畑仕事の合間を見てはこの本を読みハーモニカを吹きました。そしていつかあの海の向こうに行ってみたいという夢を持ったのです。
偶然なのか必然なのか分りませんがこの場所に夢の施設「人間牧場」が完成しました。これから20年この木に見守られながら、穏やかな暮らしをしたいと思っています。樹齢200年のヤマモモの木さん、宜しくお願いします。
「木は偉い 人の倍ほど 生きてきて 文句一つも 言うではなしに」
「木の祠 私だけしか 知らぬはず 本と楽器が ボロボロ朽ちて」
「なあお前 元気な頃の 母ちゃんの 思い出少し 語ってくれや」
「芋麦が みかんや柿に 変わったが 今度は俺の ついの住処に」