○若者の目に思わず涙が
兵庫県の招きで講演に行ったことがきっかけで尼崎の東朋子さんと知り合い、何が何でも来て欲しいと懇願されて再度2月末に兵庫県へ行きました。滅茶苦茶感動屋の東さんから「近いうちに若い者を連れて絶対夕日を見に行くから」と約束をしていました。しかしその時の熱い想いは何時しか冷めるのが普通ですが、東さんのは約束どおり3人の若者を連れてやって来たのです。私もこの時期は何かとご多忙なのですが、何はさて置いてもこのご一行様だけは大切にしなければならないと、案外大切な会をキャンセルしてまで対応しました。昨日の夕方約束の夕方5時にシーサイド公園へやって来た4人を夕日までの短い時間ながら人間牧場へ案内し、色々な話をしました。前日までの大雨が嘘のように晴れ渡り、風はきつくて寒かったものの紛れもない日本一の夕日を鑑賞し、わが煙会所、海舟館の見学が終わる頃には春の陽がとっぷり暮れていましたが、魚吉さんで夕食をとり潮風ふれあい公園に宿を取りました。
明くる日の今日はリクエストに応えて打つ誇張の町並み視察の途中に大洲祇園公園のぼたん桜や大洲赤レンガ館、それにポコペン横丁、まちの駅朝霧を友人たちと談笑しながら見学、内子の町並みを流し見学した後、中山経由で双海町高見から谷の道を下りて行きました。
予告もせずいきなり翠小学校を訪ねました。学校には迷惑だろうと思ったのですが、いつものことですので飛び込みで木造校舎の翠小学校へ入って行きました。私にとっては見慣れた風景、見慣れた客扱いなのに彼ら都会育ちの若者には凄く新鮮だったのでしょう。案内されて木造校舎の階段を登りつめた校長室に入ると、突然一人の若者がこらえ切れなくなって大粒の涙を流し始めたのです。私も校長先生も一瞬何があったのか戸惑いましたが、それは紛れもなく感動の涙でした。翠小学校へは学校に内緒の校門外訪問も含めるとかなりの人をご案内するのですが、言葉で「感動しました」と言う人はいますが、感動の涙を流してくれたのは初めてでした。私は「ああ日本にもこんな感受性の強い若者がいるのか」とついつい嬉しくなりました。と同時に翠小学校の持つ教育力の凄さに今一度驚きました。
学校の校舎が古いことは学校がぼろいことではありません。学校が小さいことは学校の教育成果が小さいことではありません。学校の先生が少ないことはいい先生がいないことではありません。歴史ある木造校舎が時代遅れでなく鉄筋コンクリート校舎が時代遅れなのです。学校は「木に交わって学ぶ」と書きます。「コンクリートに交わって学ぶ」学校は学校とはいえないのかもしれません。
本来小学校は低学年から高学年までその体力で歩いて行ける距離に置かれています。ところが段々子どもの数が減ってくると、小学校までも統合の話が水面下、いや教育行政では密かに進行していると聞きます。学校を維持存続していくためには相当の費用も要ることでしょう。しかし教育は効果効率だけでは出来ないのです。もしその学校に子どもがいなくなったら話は別ですが、最後の一人になるまで小学校は残さねばならないし、それが教育を受ける権利なのだと思います。勿論赤い屋根の木造校舎は近代化遺産として残して行きたいものです。
「若者が 感激涙 流すよな 学校今頃 どこにあるんだ」
「学校は 木に交わって 学ぶとこ 今はコンクリ 庭に木もなく」
「小学は 子どもが歩く 距離基本 バスで送迎 育つ訳なし」
「都会にも こんな立派な 若者が 田舎しっかり 肝に銘じて」
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昨日はありがとうございました。影響を受けやすい私がはじめたブログです。若松さんの足元にも及ばない、冗談が中心のものですが。「単身赴任おじさん」略して「単おじ」を名乗っています。