○これが150年の年輪を刻んだ高知県魚梁瀬杉の切り株
双海町出身で高知大学に通っている堀川奈津さんがインターンシップでまちづくりのお手伝いに行っていた高知県安芸郡奈半利町へ講演に行った折、ふとしたことからまちづくりの中心メンバーである坂本利男さんと出会いました。彼は百姓はするは養鶏はするは、また高知新聞の直売所はするはと手広く事業を行っており、その生き方に感服していますが、彼から貰った魚梁瀬杉の切り株が我が家へ届いてから、親父と切り株の格闘が冬の寒さの中で行われ、その成果物が水平線の家へ運ばれたことはブログでも紹介しましたが、どんなになったかはお知らせしておりませんでした写真でお見せします。
切り株の年輪は数えてみましたがとにかく目が込んでいて数えづらいのですが有に150くらいはありました。したがってこの杉は150年生と呼んではばかりません。こんな大きな杉の木が果たして何処に生えていたのか坂本利男さんに一度お聞きし、その現地を訪ねたいと思っています。想像もつきませんが多分150年生の杉の木は天をも覆う大きな木であることは間違いありませんし、この切り株の年輪に比べたら私の年齢なんて僅か3分の1程度でまだまだ青年の木なのです。
それにしてもこの切り株を貰った私より、この切り株に再び命を吹き込んでテーブル台にする作業は相当な労力だったのだろうと思うと、88歳の親父の技は素人ながら大変な仕事だったようです。当てにならない息子より当てになる友人にお願いしていびつな切り口を木の個性を出来るだけ活かして使い、テーブル台に仕上げました。下の脚はまさに職人芸でいびつなままで横木を巧みに配置しテーブル台の上は水平を保つように出来ているのです。これぞ水平線の家の最も素晴らしい調度品です。杉の年齢150年に親父の年輪88年を合わせて240年の労作なのです。
馬路村の上流に位置する魚梁瀬地区は魚梁瀬杉に詳しい馬路村役場の木下さんの話によると、魚梁瀬杉も戦後の伐採で古木はかなり減っているそうです。九州の世界遺産に登録されている縄文杉で有名な屋久島でも屋久杉は減っており、その価値が高くなればなるほど人間は手に入れたいエゴのような気持ちが生まれてくるのです。
この切り株は魚梁瀬杉の物語と親父の物語の合作です。山が海の恋人なら杉が育った魚梁瀬の地は川と海で結ばれ、果てしない山野を越えて瀬戸内海を見下ろす山の一角人間牧場にたどり着きました。150年生の杉の木はこれから終焉の地水平線の家で一体どんな夢を見るのでしょうか。
「この杉は 江戸の終わりに 芽を出して 竜馬の脱藩 見つめて育つ」
「切り株と 厳冬格闘 した末に 見事なテーブル 山に登りぬ」
「一二三 数えて驚く 木の太さ 一つ一年 何と百五十も」
「坂本さん 龍馬の末裔 かも知れぬ 俺に託すは どんな生き方」