○shin-1さんも歩けば花に当る
孫を連れて「くもん」に行きました。驚きました。都会の子どもは三歳になるともう習い事をしているのです。私はそこへ連れてゆくように娘から頼まれただけなので約30分そこへ孫を預けて周辺を散歩しました。道後界隈はあちこちに桜が満開で桜の木に出会う度に足を止め桜の花を見上げては歩きました。松山神社の長い参道を登ると徳川家ゆかりの葵のご紋の入った立派な社がありました。神社の規模としては今まで見たこともないような立派なもので、予期せぬ建築物だったので驚きながら周りを眺めていると、近所の人でしょうか境内に植えているツワブキを獲っていました。誰もいないと思って勝手に取っていて見つかったという感じで隠すように「ツワブキを貰っています」と咎めるように思われた私に言うのです。私も咎めるように「そのツワブキは植えているので獲らないで下さい」と思わず言ってしまいました。二人のおばさんはバツが悪そうにすごすごと下山しました。
山門あたりには竹の箒がやたらと置いていたので、私は一本を使って無断でそこら辺の落ち葉を集めました。すると登ってきた何人かの人が「ご苦労さんです」と声を掛けて通り過ぎました。風貌から私をてっきり坊さんか寺男に間違ったのだと思いました。
神社の上から見ると桜のいっぱい咲いてる文教会館の裏あたりが見えました。文教会館も表からだけしか見たことがないので不思議な位置にあると思いつつ歩いてゆくと、立派なお寺にたどり着きました。山門には常信寺と書いてありました。入り口には教育委員会が立てた松山城主松平家ゆかりの寺の来歴が書かれてあり二度びっくりでした。寺の中は歴史の重みというのでしょうか整然とした手入れの行き届いた庭や建物があり、今を盛りと咲く桜の花が一層情緒を引き出させていました。カメラを持った人も数人おり、ここを目当てにきた訳でもない私とは大違いの楽しみ方をしていました。
目的を持って歩くのもいいですが、私のように無目的な歩きの途中に発見した驚きは言いようのない喜びです。明日は早速カメラを持ってと天候のいいことを祈って先に進みました。歩いたこともない狭い路地を抜け、道後の下り坂に入ると光景は一変します。真昼間だというのに怪しげなネオンが輝いて、入り口には客を呼び込むお兄ちゃんが何人もたむろして行く人に声を掛けていました。昔はトルコ、今はソープランドというそうですが、道後の表と裏を一遍に見たような感じでした。多分観光客は裏通りの文化にはめぐり合うこともなくソープランド街の印象を土産に帰ってゆくに違いありません。悲しいかなです。
「shin-1さんも歩けば花に当る」の一席でした。
「知らぬ土地 思いつくまま 歩いたら 凄い発見 目から鱗が」
「道後には 裏と表の 落差あり 裏を知る人 意外と少なく」
「桜見る 僅か十日の 命にて 早くしないと 次の年にか」
「早咲きも 遅咲きもいい 桜花 今が適期と 思えばそれで」